◎普選という言葉を空気のように吸った清水幾太郎
昨日の続きである。社会学者の清水幾太郎の『社会学入門』(カッパブックス、一九五九)から、清水が、関東大震災の体験を語っているところを紹介している。本日は、その四回目(最終)。
私の十歳代は第一次世界大戦の終結と共に始まった。民主主義を標榜していた連合国側の勝利で戦争が終わったために、日本の社会にも民主主義の大波が押しよせてきた。
しかし、それと同時に、私の十歳代はロシア革命の成功と共に始まったと言える。日本でも労働組合の結成が進み、ストライキが頻発した。といっても、そのころは無我夢中で、私が一番ハッキリと覚えているのは普通選挙であった。第二次世界大戦後の今日では、普通平等選挙権などというのは平凡きわまる代物〈シロモノ〉に見乏るが、その獲得を目指す運動は、私が生まれる十年以上も前に始まり、途中で社会主義運動と合流、はげしい弾圧の下で続けられてきていた。普通選挙とか普選とかいう言葉を、私は空気のように吸って成長してきた。
その普選が、第一次世界大戦後の民主主義とロシア革命の成功とによって生み出された条件の中で新しい生命を帯びてきていた。関東大震災の直後の一九二五年、運動開始後三十六年で普選はようやく実現するのだが、この普選運動を中心とする時代の雰囲気とでもいうべきものが、私にとっては、大杉栄という自由な人間のうちに、とりわけ、彼の著書のうちに結晶していたように思われる。
この結晶は、今、こなごなに打ちくだかれたのだ。国家は何のためにあるのか。軍隊は何のためにあるのか。警察は何のためにあるのか。今日の少年ならすでに多くのことを知っているであろうが、私は大震災のドサクサの中で、つまり、自分の身の上の危機の中で目を開かれたのである。大杉栄は私の先生である。くわしいことは判らないが、彼は人間を愛し、自由を愛し、正義を愛する人である。日本の軍隊は先生を虐殺した。先生を殺した力は、いつか、私にソッと近づいて、私を殺すであろう。
こうして、清水幾太郎は、関東大震災、その直後の朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺等、関東大震災の二年後に実現した普選(普通選挙)等の体験を通して、「国家は何のためにあるのか。軍隊は何のためにあるのか。警察は何のためにあるのか」について、考えはじめたのである。
こうした体験が、彼の学者としての原点になるわけだが、しかし、その原点が、清水幾太郎という学者において、貫徹していたかどうかは疑問である。清水の戦中における言動については、暫く措くとしても、一九七四年以降の「右旋回」は、どういう動機に基づくものなのか。この点については、機会を改めて論ずるとし、次回は話題を変える。
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