◎満洲を中立地帯とするため日本軍は完全撤収
「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
本日は、「廣田・マリツク強羅会談」のうち、昨日に続く部分を紹介する(一八~一九ページ)。
廣田氏は日・ソ関係打開の折衝を引うけるに当り、上掲三個の原案中(B)案をもつて最も現実的な案と考へたといふことがこれで明かとなるわけである。
ソ連は日本を侵略国家と呼んだ。また中立条約更新の意思なきことを言明した。これは一見日本を去つて漸次米・英側に付かんとするソ連の下心を告白するものであるかのごとくであるが、また、当時のソ連と米・英との関係、更に世界全体とソ連との関係等を仔細に分析検討するならば、必ずしも安直にさうとばかりは考へられないのではないか、即ち、ソ連の肚裡〈トリ〉には今日なほ充分対日取引の秘められたる腹案が蔵されてゐて、この取引き案をできるだけ高く売らんとする計画があるのではないかとの一種の希望的観測も、当時のわが外交界では相当有力に行はれてゐたのであつた。
廣田氏が果して右のやうな見解に与する〈クミスル〉一人であつたか否かは知らないが、彼が選んだ対ソ工作の方針からこれを見れば、彼もまたその基本的判断としては大体右の見解に立つてゐたのではなかかと考へられるのである。.
帝国政府においてはマリツク氏の具体案提出要求を「脈あり」として大いに喜んだ。東郷外相は直ちに(B)案に関する日本政府原案の樹立に着手した。しかもそれは極めて急速になされなければならない。
かくて六月十八日に至り漸く成案を得て、東郷外相はこの案を携へて参内、天皇陛下に直々〈ジキジキ〉内奏申上げたのであつた。
内奏された政府原案の内容は大体次のごときものであつた。即ち
(1) 満洲国を将来中立地帯化すること。
(2) これがため、大東亜戦争終了後、日本は急速に満洲からその全兵力を完全撤収すること。
(3) ソ連が日本に対して一定量の石油供給を約するならば、これが代償として日本は漁業権を返還すべきこと。
(4) 以上を基礎として日・ソ間に期間三十年の長期友好条約を締結すること。
(5) このほか何事によらず、日本政府は充分の誠意をもつてソ連との間に懸案の商議に応ずる用意あること。【以下、次回】
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