不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ソ連を仲介者とした極秘裡の和平工作

2016-09-20 05:04:27 | コラムと名言

◎ソ連を仲介者とした極秘裡の和平工作

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「鈴木内閣の対ソ三政策決定」の節の、昨日、紹介した部分に続く部分を紹介する(一二~一四ページ)。

 (A)まづ第一段として、帝国政府はソ連をして対日中立政策を今後とも引継ぎ維持せしめるがごとき方図〔方途〕を講ずること。
 眧和十九年十一月のソ連革命記念日に当り、スターリン首相がその公式演説ではじめて日本に言及して、これに「侵略的国家」なる烙印〈ラクイン〉を捺したことは当時世界のセンセーションとして姦しく〈カシマシク〉論議されたところであつたが、爾来ソヴェトの対日態度は漸次冷却の一途を辿り〈タドリ〉、遂に二十年四月末に至つて、上述のごとくモロトフ外相はソ連としては中立条約更新の意思なきことを声明したので、従来ソ連交渉の基本とされて来た中立条約はあと一ケ年の有効期間を余して〈アマシテ〉当然廃棄せらるる運命と決したのであつた。
 ソ連はこれをもつて果して近き将来におけるその対日参戦の準備となすものであるか否か、この点を確実に探知することが当時における外交の最大急務とされた。
 当時の日本にもし活路といふものが残されてゐたならば、それは実に一に〈イツニ〉かかつてソ連の動向如何にあることはいまや議論の余地のないところであつた。従来の経験に徴しても、また現下の客観情勢に照しても対ソ工作は極めて困難である。それはむしろ不可能に近い。しかし、困難であらうと不可能に近からうと、日本が絶望的太平洋戦局の中からなほ且つ一条の活路を見出さんとするならば、それは敢へて対ソ工作の一本に邁進する以外にはない。といふのが鈴木内閣においてもまたその最高首脳部たちの一致した意見であつた。
 (B)第二段として、もし可能ならば、そして能ふ〈アタウ〉限りの努力を傾注して、日・ソ関係を現在の中立条約による不即不離の状態から更に一步を前進せしめて、両国間に相当長期に亘る友好関係を確立するごとく働きかけること。しかして、これがためには日本としては勿論相当高価な犠牲を払ふことをもまた已む〈ヤム〉を得ないとされた。
 従来の経緯から言つても、かゝることが可能であらうとは容易に考へられないところである。しかし、かうした活路打開の要求は、政界上層部から一般国民に至るまでその隠れた一部では相当根強く主張されはじめてゐた。表面は一億玉砕を標榜して飽くまで強硬であるかのごとく見えた軍部においてすら、海車の全滅的戦力消耗と陸軍の装備及び機動力
状況とを知る人々は、本土決戦の言ふべくして行はれ得ざる所以〈ユエン〉のものを熟知してゐた。まして陸軍の大部分が出張してゐたごとき本土及び大陸における「ゲリラ坑戦法」の全く無意味なことも充分に認識してゐたのである。してみれば、事の成否は別として、かゝる窮余の一策をもこれを試みざるを得ないことに、陸海軍大臣、陸海軍両幕僚長もまた進んで同意したのは蓋し〈ケダシ〉当然のことであつた。
 (C)第三段の策としては、ソ連政府を仲介斡旋〈アッセン〉者とする対米・英和平工作を極秘裡〈ゴクヒリ〉に進むること。
 これは勿論最後の手段である。そして私は、この決定をなすに.当つて陸海軍大臣、陸海軍両幕僚長が果していかなる程度にまで積極的な同意を示したかについては何ら知るところがない。だが、この決定が陸海軍の軍政・統帥を代表する最高責任者である四人を交へた六人だけの最高戦争指導会議で「絶対極秘」の固き約束のもとに正式政策として決定されたといふ事実は極めて重要視さるべきである。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2016・9・20

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六人以外にはその決定内容は一切極秘

2016-09-19 11:27:30 | コラムと名言

◎六人以外にはその決定内容は一切極秘

 一六日からの続きである。「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「鈴木内閣の対ソ三政策決定」の節の、一六日に紹介した部分に続く部分を紹介する(一一~一二ページ)。

 四月の末から五月の初めにかけて、ドイツは徹底的破壊と名状すべからざる混乱との中で、完全に壊滅し去つた。
 日本は――事実上はとうの昔からさうであつたのだが――いまや真に単独で全世界を敵として孤軍奮闘せざるを得ない立埸に立つた。加ふるに、日本が望みの綱と恃んだソ連の対日中立態度の持続も四月のモロトフ外相による中立条約廃棄声明によつて、いまは全く絶望と見るほかはなくなつて来てゐたのである。一方国内的にはますますその頻度と強度とを付加し来つた〈キタッタ〉敵のわが本土空襲は、さらでだに殆ど絶望状態に追ひつめられてゐたわが戦力のあらゆる部面に亘つて、最後のとどめにも等しい痛撃を連日連夜加へつつあつた。
 かうした事情のもとにあつて、鈴木〔貫太郎〕内閣は五月十一、十二、十三日の三日に亘り、連日「最高戦争指導会議」を開いて、この難局に対処すべき最高の根本政策の議定に当つたのであつたが、この時の会議は真の秘密会議で、その構成メンバーである鈴木首相、東郷〔茂徳〕外相、阿南〔惟機〕陸相、米内〔光政〕海相、梅津〔美治郎〕参謀総長、豊田〔副武〕軍令部総長の六人以外にはその決定内容は一切極秘とされることが固く約来されたのであつた。従つて、その詳細については今日なほ知るべくもないが、この重大会議で決定されたのは大要次のやうな三段構への対ソ政策であつた。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2016・9・19(5・9位にかなり珍しいものが入っています)

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このブログの人気記事(2016・9・18)

2016-09-18 11:26:50 | コラムと名言

◎このブログの人気記事(2016・9・18)

 申し訳ありませんが、本日も都合により、「このブログの人気記事」のみです。

*このブログの人気記事 2016・9・18(なぜか十銭文庫が急浮上)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このブログの人気記事(2016・9・17)

2016-09-17 17:36:22 | コラムと名言

◎このブログの人気記事(2016・9・17)

  都合により、本日は、このブログの人気記事のみ。

*このブログの人気記事 2016・9・17

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザカリアス大佐、日本語で対日放送

2016-09-16 01:58:46 | コラムと名言

◎ザカリアス大佐、日本語で対日放送

「時事叢書」の第九冊、大屋久寿雄著『終戦の前夜――秘められたる和平工作の諸段階』(時事通信社、一九四五年一二月)を紹介している。
 本日は、「鈴木内閣の対ソ三政策決定」の節の、初めの部分を紹介したい(一〇~一一ページ)。

 鈴木内閣の対ソ三政策決定
 鈴木内閣の成立と同時に、敵側殊にアメリカにおける一種の和平攻勢が頓に〈トミニ〉活潑化したことは、見逃すことのできない重要な特徴であつた。
 まづ、敵側言論機関は、鈴木内閣を目して和平内閣ではないかとの疑問を執拗に練り返し論じた。それには勿論当時の客観情勢が日本にとつて著しく不利で、日本としては当然ここらで何らかの和乎の手を打つほかはなからうと、大方の観測者たちの眼には映じてゐたといふ理由もあつたが、更に鈴木首相の経歴、人柄、その出馬の経緯等にもまた、かうした疑念を当然とする根拠が少からず見出された。
 加ふるに、上述のごときわが対ソ連・対重慶工作が、いつとはなしに敵国側にも洩れてゐただらうことも想像しで誤りのないところである。大東亜戦争開戦当時の外相であつた東郷重徳氏の外相就任によつて一時下火になつたこれらの鈴木内閣評は、組閣後日を経るに従つて却つて勢〈イキオイ〉をもり返して来て、それは殆ど彼らの確信に近いものにまでなつたかの観を呈した。かうした事実を知らずにゐたのは依然として日本国民のみであつたのだ。
 後には単に言論・報道機関だけでなしに、アメリカ政府の要人たちも間接・直接の対日和平攻勢を開始した。トルーマン大統領が六月「無条件降伏の要求は日本民族の抹殺乃至は奴隸化を意味するものではない」とて、無条件降伏の内容についてはじめて公式の――漠然たるものではあつたが――定義を与へたのをきつかけに、アメリカ議会方面でもこの議論は有力議員間の真剣な議題となつて来た。また、アメリカ放送は「アメリカ政府代理人」といふ正式な資格を与へて元駐日海軍武官ザカリアス大佐をして日本語による対日放送を連続的に行はしめ、日本としては無条件降伏以外に活路は残されてゐないことの説得に努めさせはじめた。
 もつとも、日本政府による和平打診の説は、これまでにも時折り中立国筋から流布されたことがないでもなかつた。殊にスウエーデンの首都ストツクホルムは常にこれら流言の発源地となつてゐたのである。だが、今度の鈴木内閣に関するものは従来のこれらの流説に比べれば遥かに確実な根拠を有するものであつた。【以下、次回】

*都合により、数日間、ブログをお休みします。

*このブログの人気記事(なぜかジラード事件にアクセスが……)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする