風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

音美を終えて

2006-12-11 03:22:20 | Weblog
ついさっき広島から帰ってきました。
今思うことはただ1つ。


悔しい…。


すごく悔しいです。
悲惨なことになった合演の1812だけでなく、単演のマラ5も。

自分の実力の低さを痛感し、
他大学に上手な人がたくさん居ることを改めて知らされました。





僕の曲をさらい方は確実に演繹的です。
楽譜を見ても何も分からないので、

誰かが演奏したのを聞いて覚える
→音とリズムを覚える
→記憶を頼りに再生してみようと試みる
→楽譜を見て、「あぁ、そういうことだったのか。」と納得する。

切りの長さとかは入りとかはほとんど全てパートや弦分での記憶頼み。
だから不正確って言われても正直よく分からないことのほうが多いんです。

で、パートや分奏がなかった今回、楽譜すら読めていなかったと言う状況でした。


こんなことしかしてこなかったから、いつまでたっても楽譜が読めません。
読めないから読もうとせず、結果読めないままになる。
そんな悪循環ですが、それはなかなか止められません。

問題なのは分かっていてもそうせざるを得ないのが、「初心者組」の悲哀…。
いつもそう感じているので、
ピアノを筆頭に他の楽器の経験のある人は「初心者」と言うのとは違うんじゃないかと思っています。


楽譜が読むことは、多分言語習得と似ていると思います。
大人になってから文字を覚えることが想像以上に難しいのと同様、
もはや柔軟な発想の出来ない僕がそれを習得するのは無理じゃないかって気がしています。

大学から音楽を始めて楽譜が読めると言う人は、
柔軟な思考ができるか、死に物狂いで努力したかのどちらかなんでしょう、多分。


まぁ…そんなこといっても何も始まりませんね。


上手い・下手の次元ではなく
弾いているか・弾いていないかの次元を漂っている今、
どういうことから練習していけばいいのか分からず途方にくれているわけです。
悔しい気持ちを練習に生かしたいのに…。


気分は八方塞…。