不意にある短編小説が読みたくなり、夢中で読みました。
村上春樹「レキシントンの幽霊」(文藝春秋)の中の「沈黙」という小説。
ページ数にして40ページ弱の短い小説です。
この短編集自体は愚にもつかない短編が結構混ざっていて、
お気に入りの一冊というわけではないんですが、この短編だけは面白いです。
尤も、万人受けする面白さ、ではありません。
むしろこれを面白いと感じるのは少数派かもしれません。
僕が面白いと感じる理由はただ1つ。
話の主人公「大沢さん」に限りないシンパシーを覚えるから。
小説を読む場合、誰しも大なり小なり主人公に自分の像を投射するものだと思います。
そうすることでの主人公の心の機微を理解し、その世界へ入り込んでいけるわけですよね。
ところが、この小説においてはそうする必要性がありません。
そんなことをせずとも、「大沢さん」がまるで自分であるかのようによく分かってしまうから。
この主人公、自分と似ている、という感覚を越えた何か。
それがこの話にはあります。
だから記憶にも残っていたし、読み返したいという衝動にも駆られました。
話の筋はおぼろげだったけど、すごく「面白い」話だった、というように。
さらに面白いのが、主人公「大沢さん」が忌み嫌う「青木」にも自分を重ねてしまうことです。
犬猿の仲でタイプも全く異なるのに、「青木」もまた自分に似ているんです。
その矛盾しているような両面性が、僕にとってこの小説の価値を倍増させている理由。
小説の中で、自分の中の「部分A」と「部分B」がどろどろした戦いを繰り広げているわけです。
こういう感覚が行き過ぎると、
「おい、この主人公のモデルは自分じゃないのか?」
なんて主張する陳腐なクレーマーと化してしまいますが、さすがにそれは大丈夫。
「大沢さん」も「青木」も自分の中だけの要素というわけではなく、
ある程度普遍性を備えたもの。
あの小説を読んで面白いと感じる人にどんな共通項があるか、ちょっと知りたくなりました。
村上春樹「レキシントンの幽霊」(文藝春秋)の中の「沈黙」という小説。
ページ数にして40ページ弱の短い小説です。
この短編集自体は愚にもつかない短編が結構混ざっていて、
お気に入りの一冊というわけではないんですが、この短編だけは面白いです。
尤も、万人受けする面白さ、ではありません。
むしろこれを面白いと感じるのは少数派かもしれません。
僕が面白いと感じる理由はただ1つ。
話の主人公「大沢さん」に限りないシンパシーを覚えるから。
小説を読む場合、誰しも大なり小なり主人公に自分の像を投射するものだと思います。
そうすることでの主人公の心の機微を理解し、その世界へ入り込んでいけるわけですよね。
ところが、この小説においてはそうする必要性がありません。
そんなことをせずとも、「大沢さん」がまるで自分であるかのようによく分かってしまうから。
この主人公、自分と似ている、という感覚を越えた何か。
それがこの話にはあります。
だから記憶にも残っていたし、読み返したいという衝動にも駆られました。
話の筋はおぼろげだったけど、すごく「面白い」話だった、というように。
さらに面白いのが、主人公「大沢さん」が忌み嫌う「青木」にも自分を重ねてしまうことです。
犬猿の仲でタイプも全く異なるのに、「青木」もまた自分に似ているんです。
その矛盾しているような両面性が、僕にとってこの小説の価値を倍増させている理由。
小説の中で、自分の中の「部分A」と「部分B」がどろどろした戦いを繰り広げているわけです。
こういう感覚が行き過ぎると、
「おい、この主人公のモデルは自分じゃないのか?」
なんて主張する陳腐なクレーマーと化してしまいますが、さすがにそれは大丈夫。
「大沢さん」も「青木」も自分の中だけの要素というわけではなく、
ある程度普遍性を備えたもの。
あの小説を読んで面白いと感じる人にどんな共通項があるか、ちょっと知りたくなりました。