風吹く豆腐屋

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「好き」と「嫌い」

2010-02-13 02:37:22 | Weblog
昔、小学校とかで「好き嫌いをなくそう」のようなスローガンをよく目にした記憶はありませんか?
当時は何の疑問も抱かなかったけれど、思い返してみて腑に落ちない点があります。

・・・どうして「好き」を無くす必要が―?

好きな物は好きだし、嫌いなものは嫌い。
それは嗜好の問題であって、標語をきっかけに変わるはずありません。

そう考えると「好き」を無くす理由以前に、
嗜好を無くせなんて無茶な要求をしているこの標語の存在意義がぐらついてきます。
バランスよく栄養素を取らせたいなら、
最初から「偏食はやめよう」のような素直な表現をすればよかったんです。
(まぁ・・・いつの間にか決まり文句になっていたから使いまわし、ってところなんでしょうけどね)


こんなことを言いながら、僕にはあまり「好き嫌い」がありません。
大抵の人が美味しいと感じられるものなら、僕は美味しく頂ける自信があります。
そして同時に特別嫌いなものも思い浮かびません。
もしかすると、あのスローガンが目標とする理想の人間像に近いかもしれません。


そして、ふと思いました。

「好き嫌い」は同じ程度に存在するものなんじゃないかって。
つまり、嫌いなものが多い人は好きなものも多く、
嫌いなものが少ない人は好きなものも少ないんじゃないかと・・。

主張がはっきりしているというだけの問題かもしれませんが、
ふと「嫌うだけの積極性を持っていない」という友人の言葉を思い出したんです。

嫌うというのはエネルギーを必要とする行為。
好くのもまた、同じようにエネルギーを必要とする行為。
ベクトルの向きが反対というだけで実は似通っていませんか。


こう考えると、これは食べ物の好みの話だけにとどまらず
「好く」「嫌う」と言う行為全般について言えるような気がしてきました。

何かを嫌えない人間は何かを好きになることができないんです。
多分、「好き」でも「嫌い」でも動かせる感情の量が絶対的に不足しているんです。

「好き」の方向にだけ振幅が大きいのはちょっと不自然。

実習で新しい科を回るたびに「彼女はいるの?」みたいな質問をしてくる先生が居て、
毎度の事ながらうんざりしています。

・・・そういう先生を嫌えたら何か変わるだろうか(笑