風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

青い。

2010-02-21 03:27:33 | Weblog
「コーン・ポタージュ・スープ」

「ミシシッピ」

「ヨークシャー・テリア」

この3つの単語だけで更新しようかと思ったんですが、
通じる人があまりに少ないだろうからやっぱりやめました。

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"I'd just be the catcher in the rye and all."


たまには話題になっている本でも読んでみようかと思って、読みました。
「ライ麦畑でつかまえて」でも「The Catcher in the Rye」でもなく、
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の方を。

それをわざわざ探して買ったわけではないんです。
単に、ふらりと立ち寄ったブックオフでふと目に入ったから。

値段も850円。
これならハードカバーでも手を出せます。


読んで抱いたのは月並みな感想でした。
この主人公・・やること成すこと考えること、全てが子供っぽい。
今時にいうところの典型的な「中二病」ってやつなのかな、と。

でもそういう幼稚な主人公に反感を覚えるとともに、
過去の自分を重ねている自分に気がつきます。

そうそう、そんな風に感じたものだった、って。

まして前の記事を見てもらってもわかるとおり、今でも青い僕なので―。 


"永遠の青春小説"

それはちょっと買いかぶりすぎなんじゃないかとも思えるけれど、
時代を超えて広くその本が読まれている理由もわかる気がしました。

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さて、実は冒頭の3つの単語は、「カンガルー日和」の中の短編からの引用です。
その物語で、語り手たる「僕」は、友人の女性にこう言って怒られます。

『「要するに」としばらくあとで彼女は言った。
「あなたはいつまでも子供でいたいのよ」』


「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳者とその短編の作者は同じ。
"ライ麦畑"は少なからず影響与えていたのかな・・。

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引用ついでに最後にもうひとつ。


「僕は誰かに兄弟の数を訊かれるのが嫌でたまらなかった。
兄弟がいないと聞いただけで人々は反射的にこう思うのだ。
こいつは一人っ子だから、両親にあまやかされていて、ひ弱で、おそろしくわがままな子供に違いない、と。
人々のそういったステレオタイプな反応は僕を少なからずうんざりさせ、傷つけた。
しかし少年時代の僕を本当にうんざりさせ、傷つけたのは、彼らの言っているのがまったくの事実であるという点だった。
そのとおり、僕は事実あまやかされて、ひ弱で、おそろしくわがままな少年だったのだ。」

                           (「国境の南、太陽の西」より)

最初は、読者の関心を引く巧みな表現だと思っただけでした。
だけど、今日ふとこの一節を思い出して、その中に込められたメッセージに気がつきました。
あぁ、そういうことだったのか、と深く感じ入りました。
 

そういった経験の積み重ねが、いつまでも子供でいたいわがままな「大人」を、
少しずつやさしく変えていくんだろうな・・。




国家試験まで1年切った状態にありながら、試験には出ない一般教養ばかり鍛えています(笑