無欲ってすばらしいものだと思っていました。
もちろん、今でもその価値を否定するわけではありません。
だけど、そんな無欲は非現実的なものだとようやく気づいたんです。
チーターがインパラと戯れているのを見て愛くるしいと思うのは、きっと人間くらい。
理性を持った捕食者なら、たとえその時満腹であろうとも、
今後来るかもしれない食糧難の時代に備えてインパラを捕えるべきです。
刹那主義、快楽主義に溺れ、無計画に生きた「キリギリス」を、イソップは嘲りました。
それは多分、現在でも多くの人の同意するところですよね?
人がキリギリスを馬鹿だと笑うことと、
そのチーターをほほえましく思うこと、実は似通っていませんか?
チーターは人間じゃないからほほえましいと感じられるんです。
一時的な満腹感に満足し、自分の取るべき態度を忘れ、
こともあろうか獲物と遊ぶなどというとんでもない娯楽で暇をつぶしているわけです。
この行為とキリギリスの行為にどれほどの違いがあるでしょうか。
本能を抑圧していてまったく頭が下がる思いだなんて考える人はいないでしょう。
むしろ人は、十分な思考ができていないことを好ましく思っているんです。
それは、我々がよちよち歩きの幼児を見てほほえましく思うのとも似ています。
人間の貪欲さは周到さや計画性に通じるものがある、と思います。
『野生生物は無用な殺生はしない』・・?
それは違います。
野生生物は、殺してしまった後に有効活用するすべを知らないから殺さないだけ。
現にネコは本能の赴くまま、後先考えずに小動物を殺してしまいます。
それは無用な殺生以外の何物でもありません。
そういう意味では、そのネコの行為はチーターよりも下等でおろかです。
多くの物事に手を出しすぎて自壊してしまうのはもちろん考え物ですが、
手を出さずに見送り続けた挙句、冬に餓死してしまうのはやはりおろかです。
霞を喰らうような無欲な生き方など、普通の人間には最初から無理なんです。
ならば、いっそのこと対極的・・かつ現実的な生き方をしたほうがいいんじゃないか・・
そう最近思うようになりました。
尽きることのない欲望こそが人とほかの動物の最大の差異であり、
その貪欲さこそが人に発展をもたらしました。
その貪欲さを浅ましいことだと恥じる必要なんてどこにもありませんよね?
無欲は無欲で価値あることです。
でも僕は、むしろ貪欲に生きていこうと、最近思うようになりました。
最後に、キリギリスの行動に朱筆を入れておきます。
キリギリスの行動で一番問題だったのは、
冬の間の食欲を満たすという「快楽」のことを忘れていたことです。
貪欲さの程度が足りていません。
ほんの一瞬の夏の快楽で満足していたところが間違いだったんです。
夏の快楽を満喫し、かつ冬に舌鼓を打てるだけの準備をしておく。
これこそが理想的な・・人間的な生き方じゃないでしょうか。
言うまでもないことですが、夏の間、身を粉にして働いたアリはストイック過ぎます。
その行動もまた、決して褒められたものではありません。
人が人たるゆえんは、その計画性のある貪欲さにこそあると思います。
これまで「欲」の価値に気づけなかった僕はおろかだったな・・とも。
人畜無害な「欲」があれば、人を傷つけるだけの「欲」もありますが、
とりあえずはそれが持つ大きなエネルギーを評価したいと思います。
それを制御するものとして、
計画性、将来性といったものがあればいいんじゃないかって思うわけです。
【追記】このタイトルの元ネタがわかってくれる人、誰かいませんか?
もちろん、今でもその価値を否定するわけではありません。
だけど、そんな無欲は非現実的なものだとようやく気づいたんです。
チーターがインパラと戯れているのを見て愛くるしいと思うのは、きっと人間くらい。
理性を持った捕食者なら、たとえその時満腹であろうとも、
今後来るかもしれない食糧難の時代に備えてインパラを捕えるべきです。
刹那主義、快楽主義に溺れ、無計画に生きた「キリギリス」を、イソップは嘲りました。
それは多分、現在でも多くの人の同意するところですよね?
人がキリギリスを馬鹿だと笑うことと、
そのチーターをほほえましく思うこと、実は似通っていませんか?
チーターは人間じゃないからほほえましいと感じられるんです。
一時的な満腹感に満足し、自分の取るべき態度を忘れ、
こともあろうか獲物と遊ぶなどというとんでもない娯楽で暇をつぶしているわけです。
この行為とキリギリスの行為にどれほどの違いがあるでしょうか。
本能を抑圧していてまったく頭が下がる思いだなんて考える人はいないでしょう。
むしろ人は、十分な思考ができていないことを好ましく思っているんです。
それは、我々がよちよち歩きの幼児を見てほほえましく思うのとも似ています。
人間の貪欲さは周到さや計画性に通じるものがある、と思います。
『野生生物は無用な殺生はしない』・・?
それは違います。
野生生物は、殺してしまった後に有効活用するすべを知らないから殺さないだけ。
現にネコは本能の赴くまま、後先考えずに小動物を殺してしまいます。
それは無用な殺生以外の何物でもありません。
そういう意味では、そのネコの行為はチーターよりも下等でおろかです。
多くの物事に手を出しすぎて自壊してしまうのはもちろん考え物ですが、
手を出さずに見送り続けた挙句、冬に餓死してしまうのはやはりおろかです。
霞を喰らうような無欲な生き方など、普通の人間には最初から無理なんです。
ならば、いっそのこと対極的・・かつ現実的な生き方をしたほうがいいんじゃないか・・
そう最近思うようになりました。
尽きることのない欲望こそが人とほかの動物の最大の差異であり、
その貪欲さこそが人に発展をもたらしました。
その貪欲さを浅ましいことだと恥じる必要なんてどこにもありませんよね?
無欲は無欲で価値あることです。
でも僕は、むしろ貪欲に生きていこうと、最近思うようになりました。
最後に、キリギリスの行動に朱筆を入れておきます。
キリギリスの行動で一番問題だったのは、
冬の間の食欲を満たすという「快楽」のことを忘れていたことです。
貪欲さの程度が足りていません。
ほんの一瞬の夏の快楽で満足していたところが間違いだったんです。
夏の快楽を満喫し、かつ冬に舌鼓を打てるだけの準備をしておく。
これこそが理想的な・・人間的な生き方じゃないでしょうか。
言うまでもないことですが、夏の間、身を粉にして働いたアリはストイック過ぎます。
その行動もまた、決して褒められたものではありません。
人が人たるゆえんは、その計画性のある貪欲さにこそあると思います。
これまで「欲」の価値に気づけなかった僕はおろかだったな・・とも。
人畜無害な「欲」があれば、人を傷つけるだけの「欲」もありますが、
とりあえずはそれが持つ大きなエネルギーを評価したいと思います。
それを制御するものとして、
計画性、将来性といったものがあればいいんじゃないかって思うわけです。
【追記】このタイトルの元ネタがわかってくれる人、誰かいませんか?