分を弁えるという言葉があります。
使い方がとても難しい言葉です。謹み深さの印象もありますし、消極的なイメージもあります。
これから進路確定の本番の季節に入ります。分を弁えず実力より二ランク以上の学校を狙おうと思うなら、これまでやってきた、或いはやってこなかったことを十分認識した上で、失敗したときのことも考えておく必要は当然あります。受験というのはそういうことです。
勿論学校でも塾でも成功することを念頭に勉強しています。でも、だからといって全員が成功するわけではありません。そこのところは、学校でも塾でも最善の策、次善の策、或いはそれ以上の策をさまざま講じます。でも、だからといって全てが成功するわけではありません。
ある年、こんなことがありました。実力的にハッキリ赤信号が点灯している某私立学校を何度も受け続けたある受験生は、「それでもここを受ける」といって頑なであり続けた結果、予想通りの全敗で終わり、結果的に「分を弁えなかったツケ」を払うことになりました。受験とは時にはこういうことが起こります。
問題はこの後で、この結果を受け止めて今後に活かせるか否かが大切なことであって、それが出来ないなら、はじめから「分を弁える勇気」を持って臨むべきなのです。