分を弁える

2022-11-07 20:18:24 | 学習塾・勉強の仕方
分を弁えるという言葉があります。

使い方がとても難しい言葉です。謹み深さの印象もありますし、消極的なイメージもあります。

これから進路確定の本番の季節に入ります。分を弁えず実力より二ランク以上の学校を狙おうと思うなら、これまでやってきた、或いはやってこなかったことを十分認識した上で、失敗したときのことも考えておく必要は当然あります。受験というのはそういうことです。

勿論学校でも塾でも成功することを念頭に勉強しています。でも、だからといって全員が成功するわけではありません。そこのところは、学校でも塾でも最善の策、次善の策、或いはそれ以上の策をさまざま講じます。でも、だからといって全てが成功するわけではありません。

ある年、こんなことがありました。実力的にハッキリ赤信号が点灯している某私立学校を何度も受け続けたある受験生は、「それでもここを受ける」といって頑なであり続けた結果、予想通りの全敗で終わり、結果的に「分を弁えなかったツケ」を払うことになりました。受験とは時にはこういうことが起こります。 

問題はこの後で、この結果を受け止めて今後に活かせるか否かが大切なことであって、それが出来ないなら、はじめから「分を弁える勇気」を持って臨むべきなのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会を構成するものとは

2022-11-06 17:28:04 | 学習塾・勉強の仕方

ビートルズについて書かれた沢山の本には、ポール・マッカートニーの発言として、彼ら四人は全員音符を満足に書けなかったし読めもしなかったとのこと。比喩的な言い回しでは、ポールが思いついたメロディを口笛で吹くとジョンがそれに応えて口笛を吹き返して曲が出来上がるのだとありました。

町の修理工場からスタートして一代で世界最大のオートバイメーカーに育て上げた本田宗一郎さんは、自身の本の中で、読書が嫌いで学校のテストの点数も悪かったと言い切っています。モノを作る授業は大好きな反面、習字など発展性の乏しいものはとにかく嫌で仕方なかったと。

こういう話は沢山あります。エジソンやフォードなどもこれらの範疇かもしれません。

これらを読み、そう知ることでヘンな思い違いをして「それでもいいのだ」などと安易で勝手な決めつけをしてよいはずもないのですが、そこから何かが生まれることなど実際には殆ど無いし、でも実際にはそういう人が結構います。

物事を好き勝手に解釈して自分を甘やかす人は、自らを厳しい環境に置いて頑張る人の何万倍もいるとある本に書いてありました。その本には、こうして社会にはしっかり頑張った人と自分を甘やかした結果大した人間にならなかった人とがうまく混在して成り立っているとも書かれていました。

見方によれば、こうして社会あるいは世界は支配する者とされる者とが割合の上でうまく調和しているとも言えます。

聞いたその時はあまり愉快ではありませんでしたが、かつて努めていた損害保険会社の東大出の社長は、よく話していました。

「会社に貢献する社員は15%、会社にとって不要かつ有害な社員も15%、残る70%はどちらにもなる可能性があるだけで、実のところ給料泥棒の域を出てはいない」

似たようなことは、昔通っていた高校の教員も言っていました。

「良い成績を常に取れるのはクラスの10%、あとの連中はただのぶら下がり。ごくまれにそのぶら下がりの中から凄いやつが出てくることもあるらしいが、あまりにも稀すぎてオレはそういうやつにはまだ出会ったことはない」

 

私は思います。

好むと好まざるとに関わらず、こうしたことは現実の社会を反映したものだと。ちょっと頑張ったくらいですぐに芽が出てくるなんていうことは殆どないのが実際のところで、これは私も好きな「頑張っても全員ができるようになるとは限らないが、頑張らなければ全員がほぼ確実に出来ないままで終わる」という格言のような言葉に通じます。

問題は、一件不公平で過剰なまでの競争を強いられるようにも感じる社会ではあっても、グダグダ言っていないでそこから何を汲み取って活かしていくかということで、それ次第で住む世界が良くも悪くもなるのだと理解して行動することだと。これも本に書いてあったことですけど。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大事なことは

2022-11-06 12:20:37 | 学習塾・勉強の仕方
最近よく思うんです。
テストというのは、それでよい結果を出すために努力すること自体に本来の価値があるのであって、結果それ自体の価値はその次の位置にすぎないと。

テストは、決められた時間内にそれまでに覚えたり練習してきたことを、問題作成者が望む答え方で如何に効率よく答案に書き込むか、書き込めるかを問うものでしかなく、そこには人間性や将来性の本質をうかがわせるエッセンスはあっても、確たるものがそれから判定されるものでもありません。

冒頭で「最近思うんです」なんて書きましたし、学習塾などやっている立場の者が言うことでもないかもしれませんが、テストなんて所詮そんなものです。ですから、テストはそれを受ける前の、あるいは普段の段階から如何に何をどのように、どのくらい中身濃く努力するかに本来の価値があるのだという意識は、実は子供の頃からずっと思っていたことです。ここでいう努力とは、今他に適当な言葉が見つからないので臨時に使っているもので、昔でしたら修行とか精進とか、そんな言葉もあったことでしょう。因みに、年端も行かぬ子供がそれもせず学校にも行かず、他人からカネをせびって革命家とか抜かして調子こいてるようなろくでもないことは、ここでは全くの想定外且つ無意味なことです。

テストを受けて入る学校(つまり私立)だからよい学校だとか、テストで上の点数を取るからあの子は良い子だとか、そんな浅薄でしか判断出来ないなら、それは不幸です。毎週の単語テストで満点を取れないと言って自分の子供を詰るのは少しピントがずれていて、本質は、その子が普段からあると分かっているテストに向けて真面目に準備をしないその事にあるのであり、その理由がゲームだスマホだのいうのなら、それを買い与えている保護者自身の普段の行為段階における問題改善の努力不足をこそこの際真剣に深刻に考える時と、そう思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔女婆さん

2022-11-06 09:38:41 | 学習塾・勉強の仕方
我が家の隣は善人と魔女(それも婆さんなの)が住んでいて、朝八時には善人たるお寺のお坊さんのとても澄んだ綺麗な声の読経(朝のお勤め)がリズミカルに聞こえてきます。私の就寝は大抵午前二時頃なので朝早く起きるのは苦手なのですが、この読経はそんな私を夢見心地のなかでゆっくりと現世に引き出してくれます。

一方魔女の方は、10何年か前に私がここに引っ越して来るとき近所の人に「ヘンな人だから十分気をつけてね、十分」と警告された通りのヘンな人で、私が通りを歩いていたらブツブツ言いながら後をつけてきて、婆さんのくせに結局一キロあまりも意味不明の追跡をされたり、私が庭仕事をしたり玄関先を掃除していてふと視線を感じると物陰からじっとこちらを覗き見していたりと、不気味なことこの上ない。

近所から総スカン食って誰からも話しかけられない寂しさがそうさせるのか、こちらが「しまった!見つかったか」と思ってしまうくらいの偶然を装って待ち伏せ食らった時には、逃がすもんかという執念をギラギラたぎらせて「何々について話さなくちゃいけないと思ってるのよ。お時間あるう?」とか言ってにじりよって、しかしその「話さなくちゃいけない」内容たるや、鎌倉市役所の窓口の対応と駐車場の位置の関係性とか江の電の線路の曲がり方と飛び散る鉄粉についての件とか、なんじゃそれというようなことばかり。 

というわけで、家を出るときの私はまず二回の窓から十分に路地のあちこちを見回して、魔女婆さんの姿のないことを確かめた上で、なるべく音を立てないようにそうっと玄関を締め、そして走って大通りまで逃げ出して、そこで漸く一安心ということになります。

先日もそうやって腰越郵便局までたどり着き、ATMで用事を済ませた時、ふと背後に悪寒を覚えたと思ったその瞬間、魔女が「あら」と言って「そうそう、これも話しとかないとね」とか言い始めたので、私は思わず「出たなバケモノ」という吹き出しが目の前に浮かんで見えました(悲)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

町で

2022-11-05 17:41:19 | 学習塾・勉強の仕方
ダイソーに買い物に行きました。停まっている車の中に、湯上がりの猿みたいな顔をしたおじさんがチマチマと(←まったくもってこちらの勝手な感想)たばこをふかしているのが見えて、横の連れ合いに「悲しい吸いかただね」と言うと、「大きなお世話よ。それにあの人おじさんじゃなくておばさんよ、おばさん。女は年を取るとオヤジになるのよ」と言っていました。  

それで思い出しました。以前通りで知り合いのご婦人当時30歳と立ち話をしていたら、小学生くらいの男の子が「おじさんおじさん」と呼び掛けてきます。顔が私ではなく彼女を向いていましたので、それに気づいた彼女が「もしかして私?」と言うと、少年は「そうだよおじさん」と。

どこそこへ行くにはどの道が近いかを訪ねたかったそうですが、まだ30の彼女が既に子供の目にはおじさん化しているという図を華麗に見せつけられた瞬間でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝からクソオヤジ

2022-11-05 09:34:25 | 学習塾・勉強の仕方
深夜3時まで事務仕事をしていたので、今朝の起床はゆっくりなのに、知らない男の声で起こされて出てみると、わざとらしいピカピカの作業服を着こんだオヤジが「あのさあ、近くで工事しているもんだけど、ちらと見たらオタクの屋根の一部がめくれちゃってるよ。今ならついでだから安く直してあげるけど」などと古典的な詐欺話法。

「近所の誰の家?名前を言ってみろ。屋根?どの位置から見てどの部分がどのようにめくれてるって?もじもじしないで直ちに言ってみろ。ほら、考えてるんじゃない!言っとくが、この顔の如くこっちは極めて乱暴もんで通ってることをよくかんがえてさあ今聞いたことを即答しろ」

するとオヤジは「い、いや、あの、その」とか言って鳴ってもいない携帯を急に耳にあてて誰かに呼ばれた風を装いながら逃げ出した朝でした。  

寝る直前に、猿の生態について書かれた本を少し読みました。猿は他人(他猿)に対して存在をアピールするときによくディスプレイという行為をするのだそうです。手元にあるものを投げつけたり叩いたり、歯と目を剥き出してキイキイ言ったり、読んでいて「これって貧乏なクセにミサイルなんか飛ばして見せてる北朝鮮そのものじゃんか。そうか、奴らは猿のレベルから進化していないってことか」とヘンに納得しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらないのは

2022-11-03 12:41:52 | 学習塾・勉強の仕方
子供の頃、住んでいた石川町五丁目から石川小学校に行く途中に通称坊主山という小高い丘があって、私はその頂上から関内方面の景色を眺めるのが好きでした。今そこには大きなマンションが建っていて、景色を眺める以前に、それをすべく立つ場所そのものがなくなってしまいました。

昨日用事で保土ケ谷区権太坂から東戸塚をとおり、川上町を抜けて三ツ境に向かいました。

東戸塚駅から川上町にかけては、以前は牧歌的な趣のある静かな町でしたが、昨日車の中から見る景色はどこもこじゃれたマンション風建物ばかりで風情もなにもありませんでした。よく立ちよった伊勢福や八宝といった蕎麦屋などもみな店そのものを閉じたようでひっそりとしていました。

突然頭の中に、町は激変する、という言葉が浮かびました。

夜、事務仕事をしていると、講師が生徒に説明している数学や理科の授業が聞こえてきました。
ここには激変もなにもなく、苦手科目に悪戦苦闘る子供と、なんとかしてこれを分かるようにしようと励む講師の昔ながらの塾の図がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

情実というのは

2022-11-02 11:24:10 | 学習塾・勉強の仕方
この前から度々「情実」という言葉を使っています。

シビアであるべき交渉ごとや推進すべき計画に対して、これに手心を加えるとか、当初なかったオマケのようなものを、関係者(この場合、主として反対の立場に立つ者)の忖度で与えてしまうことを言います。

勉強には邪魔でしかないゲームなどを子供に渡した挙句、「ゲームばかりしてちっとも勉強しない」と言って怒り狂うばかりか(←ここまではまだ情実ではない)、結局は子供の勢いに負けて当初の計画を曲げたり縮小したりすると、これが即ち情実になります。経験から言いますと、情実が二度三度と絡んで来ると、そこから先がうまく行ったことは少ないです。  

子供に対して口やかましく、非論理的なまでに「勉強しろ勉強しろ」と繰り返す保護者が、そう言いながら子供の前でゲームに興じている図もある種の情実で、これで子供が自主的に効率的に意志と意欲と目的意識を持って勉強すると思うなら誰も苦労などしません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茅ヶ崎へ

2022-11-01 20:06:41 | 学習塾・勉強の仕方
昼間、茅ヶ崎市内の新規教室テナント候補を見に行きました。

家から出るとすぐに134号線に乗れます。あとは一直線に走り、本村エリアまで25分と、予想外の近さ。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コラボしませんか?

2022-11-01 19:46:53 | 学習塾・勉強の仕方

私達の教室は通常夕方から夜10時までの間、授業や面談、事務仕事などで使用しますが、それ以外、午前中から夕方までの間は休眠状態です。

何か新しいことを始めたいけど、場所がなあというお悩みをお持ちの方はいませんか? この時間、一緒にこれを活用しませんか?一緒に、と言ってもその自主性は最大限尊重し、こちらのルールを押し付けたりは決してありません。そのあたりはお互いにのびのびやりましょう。

そう、形は教室空間のシェア、やることは自主性と独立性をしっかり保った仕事のコラボというスタイルになります。算盤教室、習字教室、パソコン教室などの他にも可能な形の用途があるかと思います。

興味と関心と必要をお感じの方がおられましたら、一度教室にメールもしくはお電話ください。相談しましょう。 その際は匿名で結構です。


■メール;acs-aca.m@silver.ocn.ne.jp

■電話;0120ー513−955

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする