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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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赤木さんの死を無駄にするな!森友問題の幕引きを許すな!

2020年03月25日 08時09分59秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を

森友学園への国有地払下げで、文書改ざんを命じられた末に自殺に追いやられた財務省職員、赤木俊夫さんの手記が「週刊文春」に掲載されました。その手記には当時、理財局長だった佐川宣寿が改ざんの首謀者だった事が克明に記されています。新たな証拠が出てきた今、赤木さんの無念を晴らす為にも、国会で「文書は破棄した」と嘘の答弁を繰り返した佐川宣寿の国会再喚問を改めて要求します。

下記がその再喚問を要求するネット署名です。安倍首相や麻生財務相は、赤木さんの遺族に対して「お悔やみ申し上げます」とは言うものの、「再調査の必要はない」と繰り返すばかり。これには遺族も「本当に悔やむ気持ちがあるなら再調査に応じるはず。そもそも、この2人は改ざんのきっかけになる発言をしたり、私が断ったと嘘をついて墓参りにも来なかった。2人自身も再調査される立場なのに、そんな事言う資格があるのか?」と大変憤っています。是非、署名にご協力をお願いします。

 
【森友問題】佐川宣寿氏の国会喚問をもう一度行ってください 
発信者:「森友学園問題」を考える会 宛先:衆院議長、参院議長

森友問題は終わってなどいません。なぜ国有地がタダ同然で叩き売られたのか? 「石橋を叩いても渡らない」ほどに慎重でお堅い財務官僚が、本当に「忖度」だけで公文書改ざんというとんでもない不祥事をやらかしたのか? 政治家の指示はなかったのか?・・・等々、肝心の部分は依然として闇の中です。

今年8月9日、大阪地検特捜部は、刑事告発を受けていた財務官僚全員を不起訴としました。特捜部は昨年3月にいったん不起訴としたのですが、財務省理財局長(当時)でその後、国税庁長官となった佐川宣寿氏らについて、検察審査会が「不起訴不当」と議決したため、再捜査していたものです。改めて不起訴としたことで、不起訴が確定しました。

昨年3月、佐川氏は国会へ呼び出され証人喚問を受けましたが、公文書変造や公用文書毀棄で刑事告発を受けていたため、「刑事訴追の恐れがある」としてほとんど何も答えませんでした。

不起訴が確定し、佐川氏が刑事訴追される恐れはなくなりました。国会は、改めて佐川氏を証人喚問すべきです。

ウソの答弁をし、改ざんされた文書が提出された、つまりは、国会が軽視され、愚弄されたのです。与党・野党を問わず、政党・会派の違いを超えて、全ての国会議員は、公文書改ざん・公文書破棄・虚偽答弁について、真相を徹底究明すべきです。

真相究明に必要不可欠である佐川氏の国会証人喚問を、速やかに行ってください。

(参考記事)

近財職員の妻、佐川氏と国を提訴 森友事件巡る自殺
2020年3月19日 大阪日日新聞 
 学校法人「森友学園」に国有地が不当に値引きされた「森友事件」で、公文書の改ざんを迫られ命を絶った財務省近畿財務局の男性職員の妻が、改ざんを指示したと名指しされた佐川宣寿元財務省理財局長と国を相手に18日、総額約1億1千万円の損害賠償を求めて大阪地裁に提訴した。(3月19日1、2、22、23面に関連記事)

 提訴したのは、近畿財務局管財部の上席国有財産管理官だった赤木俊夫氏=当時(54)=の妻。訴状などによると、赤木氏は2017年2~3月、森友事件が発覚し国会で厳しく追及されていたさなか、国有地の取引について記した公文書を改ざんするよう繰り返し職場で迫られ、抵抗しても財務省幹部らに押し切られて何回も改ざんをさせられた。
 これが精神的な負担となり、同年7月にうつ病と診断され休職した後も、現場の自分に責任が押しつけられるのではないかと恐れて病状が悪化し、18年3月に命を絶った。
 これについて訴えでは、国だけでなく佐川氏も違法な改ざんを指示した責任がある上、死後に妻が弔問を求めても誠実に回答しなかったとしている。
 提訴後に記者会見した弁護士は、冒頭で妻のコメントを読み上げた。
 「夫が死を選ぶ原因となった改ざんは誰が何のためにやったのか、改ざんをする原因となった土地の売り払いはどうやって行われたか、真実を知りたいです」「そのためには、まずは佐川さんが話さなければならないと思います」
 また、弁護士は「国と佐川氏は誠実に対応し、真相を明らかにする責務がある」と指摘した上で、赤木氏が残した「手記」と題された遺書で名前が上がっている佐川氏をはじめ、佐川氏の後任の理財局長だった太田充主計局長、近畿財務局長だった美並義人東京国税局長など、名指しされたすべての財務官僚らを証人として申請する考えを明らかにした。

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パブロフの犬

2020年01月29日 16時21分38秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
先日、同僚と交わした仕事中の雑談の中でこんな話が出た。「バイトの沢○は、1番花○店の商品が積まれたカゴ車で、101番八○店のカゴ車をセットしようとした。1番と101番なんて、普通なら見間違えるはずないのに。自分の思い込みだけで仕事をしているから周囲の状況が全然見えなくなるのだ」と。それを聞いて私も、「まるで『パブロフの犬』みたいな話だな。次のブログ更新はこのタイトルで行こう!」と思わず言ってしまった。

「パブロフの犬」とは、「パブロフの実験」に出てくる犬の事だ。では「パブロフの実験」とは何か?旧ソ連のイワン・パブロフ博士が行った条件反射の実験の事だ。犬に餌を与える際に鈴を鳴らすようにしたら、最後には餌を与えなくても鈴を鳴らしただけで犬はヨダレを垂らすようになった。このように、何かする時に、ある仕草を習慣付けたら、別に何もしなくても、その仕草をしただけで、同じような反応を示すようになる。これが「条件反射」だ。それを証明したのが「パブロフの実験」だ。

これは何も動物に限った話ではない。人間にも大いに当てはまる事だ。現に私も、仕事中に、それとよく似た場面に何度も出くわして来た。例えば、普通、カゴ車に商品を積む際には、積荷のバランスや安定性を考え、重い物や数の多い物を棚の下に積み、軽い物や数の少ない物を棚の上に積むものだ。しかし、横着な奴は、バランスや安定性を考える事を邪魔くさがり、何でも棚の上に積もうとする。
 
何故そうなるのか?下手に棚の下に積んで、次の作業者から「積みにくい」と苦情を言われるぐらいなら、まだ棚の上に積んだ方が良いだろうと考えるのだろう。あるいは、ただ単に、色々考えるのが邪魔くさいだけかも知れない。しかし、それを邪魔くさがっていたら、いつまで経ってもへたくそな積み方しか出来ない。
 
確かに、積み方の基本形はいくつかある。例えば、前述の「重い物や数の多い物を棚の下に積む」というのも基本形の一つだ。しかし、軽重の違いは他の積荷とのバランスで決まる。小箱とミカン箱の積み合わせであれば、ミカン箱の方が重いのでこちらを棚の下に積む。一方、大根のケースとミカン箱の積み合わせの場合は、前者の方が重いので後者を棚の上に積むようにする。その違いは場数を踏まなければ分からない。それを邪魔くさがっていたら、いつまで経っても上達しない。でも、横着な奴は、何でも「アホの一つ覚え」みたいに杓子定規で作業を進める。
 
そんな事も織り交ぜてブログの記事を書こうとしたが、なかなか良い文章が浮かんで来ない。「さあ困った」と思っていた矢先に、安倍がまたやらかしてくれた。本来なら功労者を選んで政府が招待すべき「桜を見る会」参加者の人選を、安倍首相が後援会に丸投げしてしまった為に、国に何の功労も果たしていない、首相の単なる「お友達」や、果てはマルチ商法の元締めやヤクザみたいな奴らまで、国の税金で招待する事がずっと続いて来た。参加も申込書のコピーで良いとされた。その不備を野党から追及された時に、安倍が次のような大ボケ答弁をかましたのだ。(1月28日の衆院予算委員会
 
「募ってはいたが募集はしていない」「参加を呼び掛けたが新聞広告なぞは出していない」と。「募る」と「募集」は同じ意味なのに。バイト募集も別に新聞広告だけとは限らない。むしろ、それ以外の求人誌やハローワークで募集する場合の方がはるかに多い。それをこんなデタラメな答弁で言い逃れする、そんな奴でも首相に収まっていられるのだから、気楽なものだ。これでは「人を殺したが殺人はしていない」「首を絞めたがバットでは殴っていない」と言っているのと同じではないか。
 
何故こんな珍妙な答弁になってしまったのか?言い訳する事しか考えていないからだ。言い訳する事しか考えていないので、「ご飯を食べたか?」聞かれて「パンを食べたがご飯は食べていないので、食べてないと答えた」という「ご飯論法」に逃げ込み、それで言い逃れしたつもりになっているのだ。傍から見れば、安倍が屁理屈こね回しているだけなのに。
 
つまり、条件反射でその場しのぎを繰り返しているだけなのだ。先述の「何でもかんでも棚の上に積む」やり方と同じだ。何も考えずにやるならサルでも出来る。そんな事も分からない安倍晋三はサル以下だ。
 
安倍晋三は、こんなアホ総理なのに、いまだに多くの国民から支持され、在任期間を更新し続けている。それなら我々、国民も、「桜を見る会」参加申込書と同じように、社員食堂の10枚つづり4千円の食券をコピーして使い回し出来るはずだ。これで一ヶ月8千〜1万2千円の食券代を浮かす事が出来る。
 
「遅れてきたが遅刻はしていない」「休んだが欠勤はしていない」「食券をコピーしたが偽造はしていない」…さっきの「募ってはいたが募集はしていない」と一体どこが違うのか?全く同じではないか。アホ総理のお陰で、我々の所にも、アベノミクスの恩恵がようやく届き始めたようだw。
 
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どうしたら安倍政権を倒せるか?

2020年01月26日 22時27分00秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
次回のブログ更新は、アイヌの歴史について書くつもりでいた。書こうと思ったきっかけは、麻生太郎の「日本は2千年来、天皇を戴く単一民族国家」発言だった。
この発言がトンデモである事は明白だ。「万世一系」で「日本の象徴」とされる天皇家も、実際は壬申の乱や院政、南北朝の争乱で同族が相争って来た。その挙句に平家や源氏の台頭を招き、武士に覇権を奪われて来た。天皇が再び脚光を浴びるようになったのは、明治以降のたかだか150年余りに過ぎない。そんな物を「日本古来の伝統」と呼ぶ事は出来ない。

「日本は単一民族国家」と言うのも大嘘だ。実際は大和朝廷とは別に、沖縄では琉球王国が栄え、東北・北海道でもアイヌ人が大陸と交易活動を行なっていた。ところが、日本では大和朝廷以外の歴史は全て闇の中に葬られて来た。島津藩の琉球侵略、松前藩のアイヌ侵略についても、学校の歴史の授業では一切教えられて来なかった。
だから、私はアイヌの歴史について、図書館で本を借りて読み、ブログでまとめるべく、資料もコピーしていた。

でも、何か気乗りがしないので止めた。気乗りがしない理由の一つは、本を読むのに時間が取られ、書くタイミングを逃してしまったからだ。その後も、河井案理の選挙汚職に新型肺炎流行と、次々と新しいニュースが流れ、麻生発言はいつしか後景に退けられてしまった。
もう一つの理由は、私自身も来月初めに転居を控え、もう麻生発言だけに構っていられなくなったからだ。今の私にとっては、少しでも預金の目減りを防ぐべく、より家賃の安い賃貸物件に移る事の方が最優先課題なのだ。

そこでハタと気が付いた。安倍政権がこれだけ不祥事を重ねても、何故、内閣支持率が高止まりしているのか?その最も大きな理由も、ロスジェネ世代の「諦め」「消極的支持」にあるのではないか。「ロスジェネ」とは「ロスト・ジェネレーション」の略だ。訳せば「失われた世代」となる。日本でバブルがはじけ、構造不況に突入した1990年代以降に社会人デビューした世代の事だ。
1990年代以降に社会人としてデビューし、現在50歳より下の世代は、「就職氷河期世代」として、それまでの50年間ずっと、不況の中で生活して来た。好景気を一度も経験していないのだ。特に1995年以降は終身雇用の見直し、正社員から非正規雇用への置き換えが進み、派遣切りにも遭って来た。
また、この時期は、社会党・総評ブロックの消滅や、ソ連・東欧圏の崩壊で、社会主義運動や労働運動が後退して行った時期に当たる。それ以前には普通に見られた春闘やストライキが、今やほとんど見られなくなった。今や労働組合がある職場は大企業に限られ、頼みの労組も正社員の事しか考えない御用組合が大半を占めるようになってしまった。

そんなロスジェネ世代からすれば、今の安倍政権の時代は、たとえブラックな求人ばかりだったとしても、求人そのものがはるかに少なかった民主党政権時代と比べたら、まだマシにしか見えないのだ。それがどれだけ日銀の株買い支え、株価バブルによるはかないものであったとしても、だ。
何故なら、それ以前のバブル景気や高度経済成長時代の事を知らないのだから。安保闘争や全共闘運動、沖縄返還闘争やベトナム反戦運動の経験もなく、ストライキの経験もないのだから。
実際、朝日新聞の最新世論調査でも、60歳代では31%対54%と不支持率の方が高いのに、29歳以下になると48%対26%と、支持率の方が上回るという数値が出ている。(上図参照)

権力と戦って何かを勝ち取った事もなく、ずっと続く不況の中で、我慢を強いられた経験ばかり。物心ついた時に経験した数少ない「革命」体験である自民党から民主党への政権交代も、惨めな失敗に終わった。
そんな境遇に何十年も身を置いていたら、たとえ官製相場であっても、実際に最低賃金や有効求人倍率を引き上げて来た第二次安倍政権を、積極的に支持しないまでも、容認する気持ちになるのも不思議ではない。

勿論、今の相対的「好景気」は決してアベノミクスのお陰ではない。長く続いた不況のせいで、生活が悪化し、結婚や子育ても出来なくなる中で、少子高齢化が進み、それが人手不足となり、たまたま最低賃金や有効求人倍率の増加となって現れているに過ぎない。これらは「自然増」に過ぎず、決してアベノミクスの成果なんかではない。
むしろ、今の日本は、1990年以降ずっと続いた不況のせいで、とっくに先進国の座から滑り落ちてしまっている。この30年もの間、GDP(国内総生産)はほとんど伸びなかった。中国・インド等の新興国だけでなく、欧米諸国も何倍もGDPを伸ばして来たにも関わらず。

日本に外国人観光客が殺到しているのも、別に外国人が日本文化に魅せられたからではない。デフレが長く続いたせいで、今や欧米だけでなく中国や東南アジア諸国よりも物価が安くなってしまったからだ。その安い物価でも日本人は生活に汲々としているのだ。どれだけ生活が悪化したか分かるだろう。
長い目で見れば、むしろデフレの弊害の方が大きい。小泉構造改革やアベノミクスによる規制緩和で、経済格差が広がり、労基法の骨抜きで、長時間労働や過労死が蔓延する事になった。昔は年間数万円だった国立大学の学費も、今や百万円を超えるようになり、学生はバイトや奨学金の返済に追われるようになった。社会保障も切り捨てられ、整骨院にも満足に通えなくなった。安くなったのは百均や牛丼、ドンキ等の「ド貧民が買う商品」だけなのだ。

今のロスジェネ世代は、決してアベノミクスや安倍政権の進める憲法改正、戦前回帰の政策を容認している訳ではない。モリカケや裁量労働制データ改ざん、「桜を見る会」疑惑を容認している訳ではない。それが証拠に、各種世論調査の結果を見ても、これらの項目については、安倍政権に否定的な回答が多数を占める。
ところが、安倍政権全体に対する評価となると、途端に内閣支持率が高止まりしたままとなる。個別の政策については、安倍政権の政策に反対の意見の方が多いのに、何故、全体評価となると、安倍政権支持が多数になるのか?

生活を守るのに精一杯で、投票に行く余裕もない中で、政治を変える事を諦めてしまっているからだ。それを安倍政権も良く知っているからこそ、民主党政権から返り咲いてからは、第一次政権の時みたいな改憲一本槍ではなく、アベノミクスで見せかけの「好景気」を演出しながら、それを改憲策動に利用しているのだ。
これは決して安倍晋三の力では出来ない。安倍晋三は、首相でありながら、一人では答弁原稿も振り仮名付きでないと読めない人物なのだ。誰でも読める「画一的」「背後」「云々」等の漢字ですら、「がいちてき」「せいご」「でんでん」と誤読する程の無能者なのだ。そんな無能者であるにも関わらず、何故、第二次政権では第一次政権とは対照的に、8年も政権を維持して来れたのか?政権中枢の中に、安倍晋三を操る策士がいるからだろう。おそらくCIAとも繋がりのある人物が。

それを唯一分かっているのが山本太郎だ。山本太郎率いる新党「れいわ新選組」が、何故、結党間もない参院選で、いきなり200万票以上も得票し、2名の新人議員を当選させる事が出来たのか?それは、「消費税廃止」「奨学金返済チャラ」等の分かりやすい言葉で、ロスジェネ世代にアピールする公約を前面に押し出したからだ。
「れいわ新選組」の公約も、格差是正に規制緩和反対と、他の野党の公約と余り代わり映えはしない。違いと言えば、財政出動を容認している(その一点でアベノミクスの手法も一定評価している)点ぐらいだ。でも、同じ格差是正を言うにしても、「奨学金返済チャラ」「公営住宅増設」を前面に押し出すのと、そうでないのとでは、有権者の受け取る印象は全く違う。ロスジェネ世代にとっては、「桜を見る会」疑惑追及よりも、「奨学金返済チャラ」の方が、より切羽詰まった問題なのだ。

「消費税廃止」の公約もそうだ。非正規雇用の労働者にとっては、住宅減税やベースアップなんかよりも、こちらの公約実現の方がはるかに重要だ。幾ら住宅減税やベースアップが実現した所で、自分の時給が上がる訳ではない。しかし、消費税が下がれば、惣菜屋で買えるメニューは確実に増える。
「桜を見る会」その他の疑惑追及も勿論大切だ。何故なら、それ自体が安倍政権の身びいき、不公平体質の追及に繋がるからだ。しかし、それだけを前面に出していては、ロスジェネ世代は動かない。彼らにとっては、疑惑追及よりも「消費税廃止」等の方が、自分の生活により直結する公約だからだ。同じ公平を訴えるなら、疑惑追及よりも、消費税や高い住宅家賃の不公正さを、もっと訴えるべきだ。
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西成・釜ヶ崎こそ反貧困の世界遺産に!

2019年12月11日 10時37分17秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
ホテル建設より先にやらなければならない事がもっと他にあるだろう。」という事を、大阪・西成のあいりん地区(旧称:釜ヶ崎)の例も引いて先日ブログに書きました。しかし「現実に、あいりん地区に外国人観光客が押し寄せて来る中で、旧住民の日雇い労働者やホームレスの人達と共存を図るにはどうしたら良いか?」という事についても、少し考えてみたいと思います。
 
アフガニスタンのタリバンが何故バミヤンの石仏を破壊したのか?シリアのIS(イスラム国)が何故パルミラのローマ遺跡を破壊したのか?
イスラム原理主義テロリストの自分達からすれば、それらの遺跡は異教徒による侵略の象徴でしかないからでしょう。あるいは、放牧や農業、観光客相手の物売りで生計を立てるしかない自分達を、好奇の目で見る観光客の差別的眼差しに我慢ならなかったからでしょう。

以上は、あくまで私の想像に過ぎません。でも、今なら何となく理解出来きます。私達ですら、非正規労働者の少ない給与では、食って行くだけで精一杯なのです。非正規労働者にとっては、今やフルーツすら贅沢品となってしまいました。その中で、夏場は物流センターでスイカの仕分けに追われています。自分達はスイカも満足に買えないのに、何故毎日、重たいスイカの仕分けに追われなければならないのか?腹が立って仕方がない。「一層の事、スーパーのスイカ売り場をテロで爆破してやろうか!」。私達ですら、そういう気持ちになる時があるのです。

エジプトやインドネシアのバリ島などの観光地で、たびたびテロが起こるのも、先進国との経済格差や、白人観光客の差別的眼差しに対する現地民の怒りの現れではないかという気がします。勿論、そんな幼稚な論理をそのまま肯定する事は出来ません。それどころか、アフガニスタンの平和復興、貧困撲滅の為に、白衣を脱いで自費で用水路を作り、不毛の砂漠を沃野に変えた中村哲医師すら、異教徒の侵略者と錯覚して殺害してしまうテロリストの狭量さには、憤りしか感じません。

その中で、あいりん地区は独特の立ち位置を占めています。なるほど、あいりん地区にやって来る外国人観光客は、あいりん地区に魅せられてやって来る訳ではありません。単に宿泊費や物価が安いからやって来るのに過ぎません。しかし、その宿泊費や物価の安さも、あいりん地区が日雇い人夫の寄せ場として差別されて来た結果なのです。逆に、ドヤ代や弁当代を吹っかける悪徳業者との闘いの中で、勝ち取って来た成果でもあるとも言えます。一見の観光客も、そのメリットを享受している意味では、あいりん地区の問題と無縁ではあり得ません。そこに、単なる観光客と現地民の垣根を超えた、交流や相互理解が成り立つ可能性を見出す事が出来るのではないでしょうか。

ベトコンがゲリラ戦で立てこもった秘密の地下トンネルや、米兵殺害用の落とし穴すら、今やベトナム観光の定番コースに組み入れられています。チェ・ゲバラが政府軍に処刑された南米ボリビアの山村も、今や革命の聖地として、世界中から観光客が押し寄せる様になりました。あいりん地区も、この様に過去の被差別の歴史を逆手に取って、反貧困運動発祥の地、新たな観光地として再生出来るのではないでしょうか。

あいりん地区では毎年、野宿者支援団体の手で、夏祭りや越冬闘争が取り組まれて来ました。夏祭り会場の三角公園では、ライブコンサートやスポーツ行事だけでなく、一年間で行き倒れになった野宿者の盆の慰霊祭や遺影展も執り行われて来ました。年末年始の越冬闘争でも、炊き出しや餅つき大会だけでなく、野宿者襲撃に備え、「一人の餓死者・凍死者も出すな」と、見回りパトロールや集団野営の活動が繰り広げられて来ました。近くのライブハウスでは、反原発の講演会や西成ジャズのコンサートも行われてきました。
 
それらの取り組みも、今後は野宿者・支援者だけの運動で終わらせるのではなく、観光客も巻き込んだ社会啓発の場として、積極的にアピールしていくべきではないでしょうか。時々、ユーチューバーが、西成の野宿者・日雇い労働者や、地域のドヤ・居酒屋・弁当屋を興味本位で動画に載せています。私達は、それらの興味本位な動画とは一線を画した上で、あくまで啓発活動の一環として、支援体験ツアーを西成の観光コースに組み込むのです。そういうアプローチの仕方もありではないでしょうか?
 
あいりん地区には、それ以外にも、映画「さとにきたらええやん」の舞台になった児童養護施設「こどもの里」などの施設もあります。地区の西側には、地区や在日コリアンの集住地域も広がっています。その一角に大阪府立西成高校があります。いわゆる低学力校で、せっかく高校に入学しても中途退学者が後を絶ちませんでした。学校は試行錯誤の末に、ある教育方針を打ち出します。それは、学校のマイナスイメージでしかなかった教育格差や貧困の問題を、従来のように恥と捉えるのではなく、むしろ積極的に教材に取り上げる事で、「貧困や差別に負けない学校作り」を目指したのです。かくして、西成高校の反貧困学習は生まれました。

 

西成高校の反貧困学習の中に、「不公平な椅子取りゲーム」の授業があります。生徒をA・Bの2つのグループに分け、Aチームがより多く椅子に座れるような不公平な椅子取りゲームを敢えて行います(詳しくは当該ブログ記事を参照)。その後、不公平なルールの種明かしを生徒にすると、案の定「ずるい、不公平だ」と声が上がりました。そこで「不公平を解消するにはどうすれば良いか?」質問すると、「もっと公平なルールを設定する」という、ありきたりの答えしか返って来ませんでした。しかし、いくらルールを公平にしても、常に一定数の人が椅子に座れない状況は改善されません。本当に全員が公平に椅子に座れるようにするには、全員の椅子をあらかじめ用意しておく以外にないという事を、生徒に悟らせるのが、この授業の真の狙いだったのです。

そうして、貧困は自己責任ではなく社会問題であり、それを解決するのは自分達である事を、生徒は、社会科の授業やホームルーム、学校行事を通して学んでいきます。バイト先で生徒が不当解雇に遭った事例から、労働基準法や労働組合法、憲法の基本的人権について学びます。それと同時に、履歴書の書き方や就職面接の受け方、介護などの仕事の重要性についても学び、単なる知識の丸暗記ではなく、生きていく上で必要な真の学力を身に着けて行きます。それが西成高校の教育方針です。

それらの先進事例に学ぶ訪問ツアーを企画しても面白いと思います。堺市の百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に認定されたと、最近話題になりましたが、私に言わせると、本当に仁徳天皇の墓なのかも定かでない、時の支配階級が民衆を酷使して無理やり作らせた古墳よりも、むしろ、あいりん地区や西成高校の反貧困運動の実践の方が、よっぽど世界遺産に認定されるべきだと思います。
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ホテル建設より先にやらなければならない事がもっと他にあるだろう。

2019年12月10日 17時03分32秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を

菅官房長官が12月7日に、視察先の熊本地震の被災地で、「復興と地域経済の活性化を図る為に、今後各地に世界レベルのホテルを50か所ぐらい建設する」と述べたそうです(NHKニュースより)。インバウンド(外国人観光客)需要を当て込んでの大風呂敷発言で、「桜を見る会」疑惑の矛先逸らしの意図が透けて見えるような発言ですが、私は「そんな事をしても無駄だ」と思います。

その理由は、まず第一に、幾らそんな事をして外国人観光客を呼び込んでも、潤うのはホテル資本だけで、地域にはほとんど還元されないからです。その典型が大阪・西成のあいりん地区です。あいりん地区でも、この数年来、インバウンド需要を当て込んでのホテルの建設ラッシュが続いていますが、賑やかなのはJR新今宮駅や地下鉄動物園前駅周辺のホテルだけで、あいりん地区の中の方は依然として寂れたままです。

あいりん地区では、今年の10月末から11月にかけて、簡易宿泊所組合や行政が中心になって、「新今宮フェスティバル」や「フリンジフェスティバル」等のイベントが行われました。しかし、そのイベントの内容は、外国人目当てのタコスやたこ焼きの屋台、高級生ハムやワインの展示即売、ジャズやビートルズナンバーのコンサート、ネイルアート、英語落語などといったものでした。いずれも、昔からそこに住んでいる日雇い労働者やホームレスの人たちとは無縁の内容です。ホームレスの人にとっては、1本50円の激安自販機の飲料すら高根の花なのです。そんな人たちが、ネイルアートや一盛り600円もするタコスなどに手が出る訳ないでしょう。確かに、外国人観光客が来るようになって町の雰囲気は明るくなりましたが、逆にそのおかげで物価や地価が上昇し、かえって住み難くなりました。

 

左上が新今宮フェスティバルのチラシ。右上がその会場案内図。会場として賑わったのは、あいりん地区の中でも駅周辺の限られた一角に過ぎない事が分かる。

同じ事が他の地域でも起こっています。例えば、京都の下町でも、今まで寂れる一方だった商店街が、空き家を民泊に活用する事で、かつての賑わいを取り戻しつつあると言われました。しかし、実際に潤っているのは、民泊を経営しているホテル資本だけで、商店街への波及効果はほとんどありませんでした。それどころか、住民は観光客の出す騒音公害やゴミ公害に振り回され、物価や地価の上昇で逆に出ていく人が増え、かえって空き家が増えているのが現状です。

第二に、近年のインバウンド需要は、別に外国人観光客が日本の良さを認識したからではありません。他の先進国・新興国がインフレで物価がどんどん上がっている中で、日本だけがデフレから脱却できずに、物価が下がっているからです。その結果、安宿を求めて外国人観光客が殺到しているだけです。他の国は物価も賃金も上昇しているのに、日本では物価が下落し、賃金はそれをさらに上回って下落しています。「東京や大阪では最低賃金が時給千円を超えた」と言って喜んでいる人がいますが、台湾や韓国では既に全国一律でそのレベルに到達しています。日本の百均で売っている商品も、米国では162円、ブラジルでは215円、タイでは214円、生産地の中国でも153円で売られているのです。他国ではそんな値段で売られている商品が、日本では百円まで値下げしないと売れない。だから、かつて世界中のヒッピーがネパール・カトマンズの安宿に押し寄せたように、外国人観光客が日本に押し寄せてきているだけなのです。

 

左上は一人当たり名目GDP(国内総生産)、右上は労働者時給の推移。いずれも1987年を100とした場合の2018年の数値。全体通して数値が停滞・低下しているのは日本だけ。資料の原典は日経新聞の記事ですが、画像は「逝きし世の面影」さんのブログから拝借させてもらいました。

だから、本来なら国民も、インバウンド需要のバブルに浮かれている政府や企業に、「肝心の自国民の暮らしが安定してこそ、初めて外国人を気持ちよくもてなす事も出来るのだ。そうする事が出来るように、もっと国民の暮らしを顧みろ」と要求すべきなのです。消費税増税なぞ、もってのほかです。ところが、政府や企業は、福島原発事故の収束も進まず、台風被災者がいまだに仮設住宅で困難な暮らしを強いられているのに、オリンピックやカジノにうつつを抜かし、中小企業の低賃金やブラックな労働環境は放置したまま、人手不足の穴埋めを外国人労働者で埋めようとするだけです。その外国人労働者も、所詮は日本の派遣労働者と同じように使い捨てされるだけです。

第三に、その頼みのインバウンド需要も、日本政府の韓国・中国敵視政策のせいで、いつ何時、雲散霧消してしまうか分かりません。現に、それまで韓国人観光客で潤っていた長崎・対馬のホテルも、徴用工裁判をめぐるトラブルで韓国との関係が冷え込み、韓国からの観光客が激減してしまってからは、火が消えたように寂れてしまいました。来日観光客の大半が中国・韓国・台湾・東南アジアからの観光客です。ところが、肝心の日本政府の外交方針は、韓国・中国敵視政策で日本人のナショナリズムにおもねろうとするばかり。

そのナショナリズムも、目先のあぶく銭に汲々とする「ニセ・ナショナリズム」に過ぎません。本当に国を愛するなら、福島原発事故や台風の被災地を見捨てたまま、オリンピックやカジノにうつつを抜かしたりはしません。自国民の困窮をよそに、インバウンド需要にうつつを抜かしたりはしません。竹島や尖閣の問題だけでなく、沖縄・辺野古の米軍基地建設反対や北方四島返還についても、筋を通すはずです。今まで友好国だったイラクやイランを見捨てて、米国の言いなりになったりはしません。「香港の民主主義を守れ」と言いながら、肝心のおひざ元で、公文書破棄やデータ改ざんなぞで民主主義をないがしろにするような事なぞしたりしません。

今の「桜を見る会」の疑惑についても、世界の常識では、安倍首相はとっくに退陣していなければおかしいのです。政府主催で功労者を招待するはずだった観桜会が、いつのまにか安倍首相のお友達慰労会に変質してしまっていた。そこに税金が野放図に使われ、政治資金報告書にも使途が記載されなくなってしまっていた。「招待者名簿や会計報告を開示しろ」と迫っても、公文書であるにも関わらず「破棄した」の一点張り。それどころか、マルチ商法やヤクザの元締めと安倍政権との繋がりすら、指摘される始末です。普通なら、とっくに政権が倒れていなければならないはずです。

ところが日本では、この期に及んでもまだ、内閣支持率が若干下がっただけです。それどころか、「いつまでこの問題をやっているんだ」と、暗に幕引きをそそのかす勢力まで出てくる始末です。事は民主主義の根幹に関わる問題なのに。この問題をそのまま放置していると、最後には安倍首相だけでなく、日本国民も世界の人々から信用されなくなってしまいます。最大の景気回復策は、一刻も早く消費税を廃止し、安倍政権を退陣に追い込む事です。そうしてこそ初めて、日本も再び世界から信頼を回復し、私たちも気持ちよく外国人観光客をもてなす事が出来るようになるのです。

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香港に再び栄光を!(願栄光帰香港)

2019年11月27日 15時45分04秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を

香港に再び栄光を!(願栄光帰香港・日本語版)《Glory to Hong Kong》《香港に栄光あれ》【動画版】

★「香港に栄光あれ」★

なぜ 涙あふれ
なぜ 怒りが湧く
頭を上げて 叫べ
自由よ 戻れ
なぜ 恐れ消えぬ
なぜ 信じてやまぬ
なぜ 傷ついても進む
自由なる 香港
星の 見えぬ夜に
霧に 角笛が響く
自由のため 集え 戦え
勇気 叡智 永遠(とわ)に
夜明けだ 我らが香港
正義の革命をいま
民主と自由 永遠(とわ)にあれ
栄光あれ 香港

★「願栄光帰香港」★

何以 這土地 淚再流
何以 令眾人 亦憤恨
昂首願栄光帰香港
拒默沉 吶喊聲 響透
盼自由 歸於 這裡
何以 這恐懼 抹不走
何以 為信念 從沒退後
何解 血在流 但邁進聲 響透
建自由 光輝 香港
在 晚星 墜落 徬徨午夜
迷霧裡 最遠處
吹 來 號 角 聲
"捍自由 來齊集這裡 來全力抗
勇氣 智慧 也 永不滅"
黎明來到 要光復 這香港
同行兒女 為正義 時代革命
祈求 民主 與自由 萬世都
不朽
我願 榮光 歸香港

上記の「香港に再び栄光を!(願栄光帰香港)」という歌は、自由と民主主義を求めて決起した香港の人々が、闘いの中で歌い継ぐようになったものだ。その中国語の歌詞を、我がブログの古くからの読者でもある「まっぺん」さんという方が日本語に訳してくれた。私も聴いたが、何度聴いても魂が揺さぶられる。ここに紹介するので、まずは皆さんも是非、聴いてほしい。

香港の犯罪者(その中には政治犯も含まれる)を中国本土で裁けるようにする「逃亡犯条例」に対する反対運動に端を発した香港の民主化運動は、今や条例撤回を勝ち取っただけに留まらず、「五大要求」の実現を掲げて、新たな広がりを見せている。先の区議選でも民主派候補が8割以上もの議席を制する結果となった。

「五大要求」とは、①警察の暴力行為を調査する独立委員会の設置、②有権者が1人1票を投じる普通選挙の実現、③条例の完全(永久)撤回、④抗議者の逮捕取り下げ、⑤抗議を暴動とした認定の取り消し、の5つである。この要求案を見て、「今の日本と何とよく似ている事か?」と思わざるを得なかった。こんな事を言うと、「日本は民主主義の国であり、共産主義の中国とは違う」という意見が必ず出てくるが、私はそうは思わない。

確かに、日本は表向きは民主主義の国という事になっているが、実際はどうか?安保法制も、共謀罪法案も、秘密保護法も、ろくに審議もせずに国会で強行採決されてしまったではないか。森友・加計問題や今の「桜を見る会」私物化問題にしても、次から次へと新たな疑惑が浮かび上がってくるのに、政府・与党は証拠隠滅に走り、全く情報を開示しようとはしない。そして、マスコミに圧力をかけて、この問題を国民の目から逸らそうと躍起になっている。御用メディアやネトウヨ(ネット右翼)を使って国民を黙らせようとしている。

国政選挙も、与党や大政党に有利な小選挙区制の下で、投票率は年々下がり、遂には4割の投票率で、有権者比では3割前後しか得票できなくても6~7割も与党が議席をかすめ取ってしまうようになってしまった。その結果、「戦争発言」の丸山穂高のような問題のある人物でも、世襲や金の力で楽々当選できるようになってしまった。今の日本も、本質的には今の香港や中国と何ら変わらないではないか。

それどころか、香港の人々が自由と民主主義を求めて立ち上がっているのに引き換え、日本の国民は大多数が安倍政権に飼い慣らされ、自分や目先の損得勘定だけで、「長いものに巻かれろ」と安易に勝ち馬に乗っかったり、ダンマリを決め込んだりしてしまっている。そういう意味では、香港よりも日本の方が、むしろ数倍も重症だと言える。このままでは、下手すれば日本も、今の中国のウェイボーみたいに、時の政権が認めたインターネットやアプリしか使えなくなるかもしれない。

かつては日本にも、今の香港のような時代があった。1960年の安保闘争や、60年代から70年代にかけて、ベトナム反戦運動、沖縄返還闘争、学生運動、公害反対運動、ウーマンリブ、革新自治体の運動などが、堰を切ったように広がっていった時期があった。しかし、せっかくのその運動も、やがて社会が保守化するに従い、次第に小さくなっていってしまった。今や、香港のような運動が今も続いているのは、辺野古移設・米軍基地問題を抱える沖縄だけとなってしまった。

かつて「総中流社会」と呼ばれた日本も、今やすっかり「格差社会」に変貌してしまった。「ブラック企業」「ワーキングプア」「過労死」「孤独死」「下流老人」「ひきこもり」「8050問題」「毒親」などが流行語となり、本来ならどんな人間でもかけがえのない個人として尊重されなければならないのに、財産や地位の違いで上層と下層に分かれ、互いに「上級国民」「ド底辺」と罵り合う様になってしまった。これも今の中国、香港と、一体どこが違うのか?

上記の「願栄光帰香港」の「香港」を「日本」に置き換えれば、日本でもそのまま通用するようになってしまった。しかし、我々は下僕でもなければ社畜でもない。この歌はもはや香港の人々だけのものではない。我々、日本人も、「香港」を「日本」に置き換え、この歌のように、かつての貧しくとも希望に満ちた時代の息吹を、再び取り戻そうではないか!

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山本太郎と一緒に日本を立て直そう!

2019年07月24日 22時29分54秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
 
今回の参院選を機に、支持政党を共産党から「れいわ新選組」(以下「れいわ」と略す)に変更する。その理由は下記の三つだ。

①弱者にとことん寄り添う公約。

私が「れいわ」のHPを観て最も心を揺り動かされたのが、「安い家賃の住まいを提供する」という公約だ。

今住んでいるホテルは水光熱費込みで家賃が月4万3千円余だ。昔ドヤだったのを観光客向けに改装したホテルなので、敷金・保証金は不要だ。お金を払ったその日から泊まれる。但し、元はドヤなので部屋の広さは三畳一間しかない。風呂も水道も共同で冷蔵庫もない。そんな賃貸物件でも月収の約4分の1もの家賃を支払わなければならない事に、常に矛盾を感じていた。

勿論、家賃だけでは、トイレ・風呂・台所付きでもっと安い物件がある事は知っている。しかし、そんな物件でも、初期費用を含めれば、最低でも10万円は用意しなければならない。立地も意外と不便な場所が多い。身元保証人も立てなければならない。契約変更や引越しの手間を考えると、やはり便利な今の所で我慢するしかないかと思ってしまう。
 
そんな中で、「れいわ」が「公営住宅の増設や家賃補助で家計を助ける」という公約を掲げているのを観て、「これこそ私が求めていた公約だ」と思った。

格差是正と言えば、今までは立憲民主党や共産党の十八番(おはこ)だった。確かに、それらの党も格差是正には熱心だ。しかし、それらの党も、所詮は持ち家の一般サラリーマン、中産階級向けの公約が中心だった。それ以下の層が一番求めている物は何なのか?それを「れいわ」だけが唯一知っていた。
 
選挙最終日の7月19日に、「れいわ」比例候補の一人、やすとみ(安富)歩が、大阪・西成のあいりん地区にある三角公園で、街頭演説を始めた事も、特筆すべき事だろう。他の党の候補者は、たとえ野党であっても、梅田や難波などのターミナルで街頭演説する事はあっても、あいりん地区で演説し、日雇い労働者や野宿者の救済を主張する事なぞ全くなかった。そういう点でも「れいわ」は異質だ。

②保身とは無縁の無私な姿勢。

私は初め、「れいわ」については胡散臭く思っていた。それは、「れいわ」なぞと言う時代錯誤の元号名に、「新選組」なぞと言う佐幕派テロリストの名前を党名に掲げていたからだ。代表の山本太郎についても、脱原発だけが取り柄のパフォーマーで、貧困とは無縁の金満タレント政治家だと思っていた。数ヶ月で4億円以上もの個人献金を集めた事についても、常識ではあり得ない額なので、野党分断を図る為に安倍政権が裏金を回しているのではないかと疑っていたぐらいだ。

しかし、その疑念も「れいわ」のHPを観て氷解した。先述の住宅政策に、時給1500円以上の最賃要求と、公約がことごとく身近で具体的で、弱者に寄り添うものだった。「我々、貧困層が何を求めているのか?」を一番よく理解していた。だからこそ、皆なけなしの金をカンパして、これだけの金額を集める事が出来たのだ。

しかも、単に格差是正を掲げるだけでなく、貧困に苦しむ当事者自身を候補に押し立て、代表の山本太郎はあくまで黒子に徹する姿勢を貫いていた。特に、難病患者や身体障がい者の方を比例の特定枠に入れ、自分はあくまで比例3位候補として、特定枠候補のサポートに徹する姿勢には感動した。その在り方は、自民党や他の野党が当選第一で、タレント候補や労組ぐるみ、党の専従職員の擁立に走ったのとは対照的だ。いずれも、保身とは無縁の無私の姿勢でなければ出来ない事だ。

③攻めの姿勢で、夢を現実に変えていく。

私の地元の大阪選挙区では、残念ながら4議席とも自公与党と維新に独占されてしまった。私が投票した共産党の辰巳コータローも、立憲民主党の亀石倫子と票を奪い合い、両者共倒れで終わってしまった。どちらかに候補を一本化していたら、自公・維新に議席を独占される事はなかったのにと、悔しくて堪らなかった。しかし、山本太郎の見方は違った。「4議席もあるのに2議席ぐらい取れなくてどうするのか?」と、自分の選挙もあるのに、辰巳と亀石の両方を応援したのだ。

私は、「幾ら何でも2人とも当選は無理だろう」と思った。実際に無理だった訳だが、しかし、では安全策を取って候補者一本化していたらどうなるか?今は当選する事が出来ても、そんな保身第一の消極的姿勢では、やがて1議席も確保出来なくなるだろう。

事実、大阪の自民党は、候補者を1人に絞っても、81万(2013年参院選)→76万(2016年衆院選)→55万(2019年参院選)と、票を減らし続けている。それに対し、維新は同じ時期に、2人擁立で票を1.3倍に増やしている(同じく105万→139万→138万)。
 
 
 
山本太郎自身も、今まで通り東京選挙区から出ていたら当選確実だった。しかし、それでは今までと何も変わらない。安倍政権を打倒するには、無党派層の票を掘り起こさなければならないと、自分は比例3位に回り、障がい者や生活困窮者を前面に押し立てる「背水の陣」を敷いた。

この「背水の陣」は見事に成功した。有権者は候補者に等身大の自分の姿を見出した。背広姿ではない普段着の候補者が、元ホームレスやLGBT、元コンビニオーナー、創価学会員、元東電社員・北朝鮮拉致被害者家族の立場で、安倍の悪政を指弾し、それに代わる未来を提示する姿に、どれだけ勇気づけられた事か。だからこそ、「れいわ」結成から僅か数ヶ月で4億円以上もの個人献金が集まり、山本太郎自身は落選したが、「れいわ」自体は得票率2%超の政党要件を満たして、確認団体(諸派)から正式な政党に昇格する事が出来たのだ。もう今後はマスコミも、諸派ではなく正式な政党として、「れいわ」の動向を取り上げざるを得なくなった。

今回、「れいわ」が獲得した約228万票(得票率4.55%)のうちの153万票は、支持層が被る共産党から流れて来た票だと思われる。しかし、それ以外の75万票は、無党派票や自公・維新からもぎ取った票である事は、出口調査の結果からも明らかだ。出口調査の結果によると、共産党票が高齢者に偏っていたのに対し、「れいわ」票の大半は30~50歳代が中心だった。名を捨て実を取る「れいわ」の作戦は見事に成功した。
 
 
 
2019年参院選比例区党派別得票数・率・前回比増減(数字は概数)
自民 1771万票 35.5% ▲240万票
立憲  791万票 15.8% ▲384万票 当時の民進党との比較
公明  653万票 13.0% ▲103万票
維新  490万票  9.8%  ▲24万票 
共産  448万票  8.9% ▲153万票
国民  348万票  6.9% ▲827万票 当時の民進党との比較
れいわ 228万票  4.5% ------------- 当時は未結成(生活の党との対比では+121万票だが、両者は互いに性格も構成も異なる)
社民  104万票  2.0%  ▲49万票
N国   98万票  1.9% ------------- 当時は未結成

次の衆院選では、れいわは100名規模の候補者を立てるらしい。安倍がこれだけ悪政三昧を繰り返しても、未だに与党の座でいられるのは、それに代わる政権構想を野党が分かりやすい形で有権者に提示出来なかったからだ。それでも、マスコミの流す「与党圧勝」報道とは裏腹に、自民党は今回の選挙でも、一人区で10名も取りこぼした。前回の取りこぼしを合わせると、何と一人区だけで20議席前後も失った計算になる。だから、自民党単独では過半数も維持出来なくなったのだ。改憲発議に必要な3分の2の議席も失い、もはや公明党がいなければ何も出来ないのだ。

恐らく、次の衆院選は、野党共闘勢力と自公・維新連合の対決となるだろう。野党共闘も、今までの様な候補者一本化だけではなく、統一会派を結成して選挙戦に臨む事になるだろう。「れいわ」自身も、もはや「台風の目」に甘んじる脇役なんかではなく、堂々と主役を演じる事になるだろう。
 
確かに、乗り越えなければならない課題は多い。それは統一会派の名簿作りや公約作りだけではない。「れいわ」自身の綱領・規約や地方組織も一から作って行かなければならないのだ。党員も集めなければならないし、機関紙も発行しなければならない。しかし、立憲民主党を始めとした既存の政党も、最初は一からのスタートだった。
 
私は支持政党は変えたが、共産党も立憲民主党も今まで通り支持する。それは、両党は自公や維新とは違い、友党だからだ。それでも、一番支持するのはやはり「れいわ」だ。「れいわ」のような突破力が無ければ、安倍政権を倒して、日本を「まっとうな国」にする事は出来ない。一刻も早く山本太郎を中心とした野党連合政権を樹立し、安倍によって無茶苦茶にされた日本を皆で立て直そう!
 
以下、山本太郎の演説を「れいわ」HPから引用する。
 
今の日本の状況を見てくださいよ。すべての税金の滞納、払えませんという状態。すべての税金の滞納の6割、6割を占めるのが消費税。誰が泣かされてますか?
中小企業、零細企業ですよ。首が絞まってる。払えないんですよ。
これ止めなきゃ、本当に壊されますよってことなんです。
消費税は、増税でもなく、凍結でもなく、廃止しかないって私、思うんですよ。
皆さんいかがですか?(7月10日、島根)
 
1年で2万人以上の人が自殺する。どれだけ追い詰められてんですか?いっときは3万人超えてたから、随分減ったじゃないかって話じゃないですよ。目に見える戦争も、目に見える紛争もないのに、2万人を超える人々が1年で、自分の命を絶たなきゃならないようなところまで、追い詰められてる。
1年間で、自殺未遂だけでみても50万人以上。50万人以上。
数に上らない人も合わせたらどれくらいの人たちが壊されてますか?
これが今、私たちが生きてる国なんですよ。これが現実なんですよ。
これをやめたい。死にたくなるような世の中やめたい。
生きてたくなるような世の中をつくりたいんです。(7月11日、大阪)
 
この国の子どもたち、約7人に1人が貧困。高齢者、5人に1人が貧困。ひとり暮らし、女性、3人に1人が貧困。こんな苦しい状況に追い込まれるのはこの人たちが頑張ってなかったからだって皆さん思いますか?あなたの生活が苦しいこと、あなたのせいにされていませんか?違いますよ。20年以上、デフレが続く国なんて、世界広しといえども日本だけなんですよ。異常です。病気です。衰退国家の入口に立っている。
今、一番必要なことはこの国に一番必要な事は何か?この国に生きる人々、一人ひとりを慮(おもんばか)る気持ちと、これまで20年のデフレを生んだドケチ政治をやめること、皆さんへの投資、この国に足りない愛と金を取り戻すというのがこの選挙のテーマなんですよ。やらせていただきたいんです。
やらせていただきたい。(7月15日、東京・中野)
 
自殺者だけでも年間2万人超えて、自殺未遂だけでも年間50万人超える。15歳から35歳までの間で、死因、第1位、自殺。先進国の中でここまで酷いの日本、韓国。この世が地獄ですよ。そして今年の春、厚生労働省が発表した内容によると、10歳から14歳までの死因、第1位が変わってしまった。何か?自殺。子どもから大人まで、死にたくなる国に生きてんですよ、私たち。そんな社会やめましょうよ。そんな社会やめたい。じゃあ、やめるためにはどうしたらいい?
役に立とうが、役に立たないであろうが、関係ないんですよ。
生産性があろうが、なかろうが関係ないんですよ。
あなたは存在しているだけで価値があるっていう社会を政治で作っていこうじゃないか。(7月16日、北海道)
 
政府が補償する形で、全国一律で最低賃金を上げていくってこと必要なんじゃないかなって思うんです。要は何か?東京で働いていても、大阪で働いていても、岩手で働いていても、沖縄で働いていても、一律の最低賃金。例えば1500円。これが実現するんだったら、わざわざ大都会に出ていく必要がないんですよ。そうですよね。だって給料のうちの4割、5割、6割が住宅費に流れるような都会に住む。その必要がなくなるんですよ。逆に言ったら全国一律最低賃金を1500円にして、それ、政府が補償するという形になればこれ、逆に言ったら岩手、住みやすいぞっていう話になって、他の地域から岩手県にお住まいになられる方もいるだろうしやっぱり地元がいいやってことで若い人たちも岩手県に留まる。そういう形を作っていくのが本当は地方創生なんじゃないかって思うんですけどいかがでしょうか。(7月16日、岩手)
 
マレーシアでは、法人税の次に税収が多かったのが消費税。この消費税をマレーシアではやめたんです。93歳で首相に返り咲いたマハティールさんが、これを実行した。消費税を止めた。代わりに、昔の税制を復活させた。どのような内容か?リッチな人たち、お金を持っている人たちに、負担が多めの税制に変えたってことです。例えば、街の定食屋。定食屋ではサービス料、税金は取られないが高級レストランでは取られる。こういう形にしていったってことなんです。それで今、マレーシアはどうなっているか?経済は順調ですよ。日本とは比べ物にならないくらい。上向いてますよ。
やれるんじゃないかってことです。
マレーシアでできたこと、どうして日本でできないんですか?(7月16日、岩手)
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れいわ新選組が遂に西成にもやって来た!

2019年07月20日 23時32分00秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
 
本日7月20日午前11時から大阪・西成の萩之茶屋南公園(通称:三角公園)で、れいわ新選組・やすとみ(安富)歩候補の街頭演説会がある事を、直前になり初めて知った。たまたま整骨院からホテルに帰る途中だったので、大急ぎで会場の三角公園に駆け付けた。公園に着いて間もなく、やすとみ候補も登場し、街頭演説会が始まった。
 
主役の山本太郎を始め、れいわ新選組の他の候補者は全員、東京で最後の街頭演説を行う。地方に来ているのは、このやすとみ候補ただ一人だ。やすとみ候補は、東大教授の顔の他に、女装のパフォーマンスをする事で知られている。パフォーマンスと言っても政治には素人のタレント候補とは違い、LGBT差別とも闘う立派な候補だ。
 
街頭演説は、まずココルームの上田女史とのトークから始まった。ココルームというのは、あいりん地区に隣接する動物園前一番街という商店街にある喫茶店で、日雇い労働者支援のNGO活動拠点の一つだ。その掛け合いトークの中で、れいわ新選組比例区候補で元ホームレスの渡辺照子候補も、西成の釜ヶ崎で数年間いた事を知った。彼女が冬の寒い日に路上で二人の子供を産み、途方に暮れていたのも、釜ヶ崎での出来事だったらしい。
 
それでも、「釜ヶ崎には、日本で失われた貧しい者同士の助け合いの精神が、まだ息づいている」と渡辺候補は仰っていたらしい。確かにここは柄が悪いが、物価は安いし、NGO主催の色んな助け合いのイベントもある。都心部のマンションや公営住宅では孤立するしかない高齢者も、ここではまだ話し相手もいたりして、比較的暮らしやすい。
 
その一方で、釜ヶ崎の高齢化率、単身世帯の割合は群を抜いている。そういう意味では、日本の吹き溜まりでもある。日本の吹き溜まりであるが故に、それに抗するNGOの活動も発展してきた。日本には、そういう先進的な事例もあるのに、行政はそれを四角四面の法律と紙切れで、息を塞ぐような事ばかりして来た。
 
 
 
ここから話はアフガニスタンでのペシャワール会による難民支援活動に話は飛ぶ。先進国はアフガニスタンの復興の為に立派な灌漑施設を作ったが、現地の人はそれを修理する術を知らない。しかし、ペシャワール会が作った井戸は、貧弱ながらも現地の人でも簡単に補修できる。現地の人にとっては、後者の井戸の方がはるかに有難い。
 
次のトーク相手は、ここ西成の三角公園で、毎週火・木曜日に炊き出しをやって来たオバちゃんが登場した。そのオバちゃん曰く、今その炊き出しが存続の危機に立たされているのだそうだ。西成では、大阪都構想と連動した西成特区構想によって、街の再開発が行われようとしている。その再開発は、日雇い労働者などの古くからの住民を追い出し、釜ヶ崎を観光拠点に変えようとするものだ。その流れの中で、あいりんセンターの建て替え問題や、三角公園の炊き出し使用禁止が強行されようとしている。耐震補強の為の建て替えと言いながら、何故、センター上の医療施設は移転もされず、そのまま営業しているのか?…そんな事を話していた。
 
やすとみ候補の街頭演説はいつも馬と一緒だ。ユーゴン君と言うのが、その馬の名前らしい。「子供の命を守るには、まず馬と触れ合え」と言うのが、やすとみ候補の主張だが、何故そうなのかはついに分からず終いだった。馬は繊細な動物なので、皆んなに観られると落ち着いてカイバも食べれないらしい。ようやくカイバを食べ始めた。
 
 
 
夕方17時からは、マイクでの街頭宣伝が終了する20時まで、新世界の通天閣前で、やすとみ候補の最後の街頭演説会にも参加した。やすとみ候補の街頭演説に、何故馬がいつも登場するのか?その謎も、通天閣前で配られた「子どもを守る!」と書かれた赤色のチラシ(右上参照)を見て、何となく理解出来た。曰く、日本の近代史は、富国強兵による侵略と搾取の歴史だった。戦後、日本は民主主義になったが、競争至上主義の拝金資本主義はそのまま残った。現在の家庭内暴力・DVや校内暴力、教育格差、杉田水脈の生産性発言、弱肉強食の格差社会も、根源はこの拝金資本主義にある。暴力から子どもを守り、命の大切さを教える為にも、馬との触れ合いが必要なのだそうだ。
 
通天閣前でのファイナル街宣は、予定より1時間遅れの18時過ぎから始まった。会場の串カツだるま本店前には、既に100人以上もの聴衆が詰めかけており、だるまの2階からも、客が顔を覗かせ、盛んに携帯で写真を撮っていた。聴衆の中には白人のカップルもいた。
 
やすとみさんは、政策はほとんど語らない。政策よりも、むしろ出馬動機や政治の原則をもっぱら語るようにしているのだそうだ。やすとみさんは、今は東京在住だが、生まれたのは大阪市住吉区。高級住宅街の帝塚山の隣に地区があり、同じ中学校区でありながら、まるで別世界のようだったと、自分の中学生時代を語っていた。
 
そのやすとみさんの人生は、前半は京大→住友銀行→東大教授と、順風満帆だった。埼玉県東松山市の市長選挙に立候補した時のエピソードも面白かったが、圧巻だったのはやはり、自身がトランスジェンダーである事を自覚してからの話だった。
 
トランスジェンダーとは、性の境界を乗り越えるという意味がある。男になったり女になったりして、自分の性別が定まらない事を言う。そういう意味では、単に身体的性別と精神的性別が食い違うレズやゲイともまた違う。
 
その性癖を自覚し、無理に男性でいる必要はないと、女装を始めて初めて、世間の刺すような目付きが気になるようになった。LGBTは差別の単なる口実に過ぎない。差別心のある人は、日頃から不満のはけ口となる異端者を虎視眈々と狙っている。不満のはけ口にされるのは外国人や生活保護受給者などの弱者・少数派が多いが、まれに東大卒などのインテリも、貧乏な多数派の中では少数派だと言う事で、虐めの対象にされたりする。
 
そんな中で、50歳も過ぎてから、ようやく自分がトランスジェンダーではないかと疑うようになった。それを、やすとみさんは「男である自分の中に、また別の女の自分が同居していて、葛藤を繰り返す」と表現されていた。その葛藤を乗り越えようと、女装するようになったのだと。そして、女装する事で初めて、自分に対して、世間は好奇の目で観ていた事を初めて感じるようになる。
 
そこから、「男らしさ」や「女らしさ」に拘らない生き方をするようになったのだとか。日本人は性別や肩書きに必要以上に拘り、自分で自分の首を絞めるような事をしている。未だにその矛盾に気がついていない。
 
その様子を、やすとみさんは「立場に囚われる」と表現していた。一時住んだ埼玉県の東松山市には、スーパーカミオカンデを発明した人の生家がある。東松山に生まれたのは、あくまでもスーパーカミオカンデを発明した人なのに、肝心の出身者の名前を脇に置いて、スーパーカミオカンデの宣伝ばかりやって、カミオカンデの銅像まで駅前に作る体たらく。
 
これなぞも、立場や肩書きに囚われているからだ。聴衆に意見を求めると、「主婦やサラリーマンの立場で意見を言う」という人に出会う。しかし、聞きたいのは、あくまで貴方自身の生の意見であって、主婦やサラリーマンにカテゴライズされ、判で押したような言説なんかではない。そんな事をやっていると、最後には自分の意見もなくなってしまう。上司や政治家の言う事を、ただおうむ返しに繰り返しているだけなのに、それがあたかも自分の意見であるかのように錯覚してしまう。
 
今や大学は、学びの場ではなく、学歴差別を助長する場に成り下がってしまった。それを解消するには、もはや個々の政策を掲げているだけではダメだ。政策のベースになる政治原則から見直さなければならない。だから、私は政策よりも政治原則を重視するのだ。
 
今最も求められているのは、政策やイデオロギーよりも以前に、「子どもを守る」という当たり前の政治原則だ。DVや児童虐待、虐めや学歴差別から子どもを守る。将来的には、履歴書に学歴を記入させる事も禁止する。肩書きで人を差別するな。愛情を育む為にも、猫や馬などの動物にもっと触れ合わなければならない。れいわ新選組の幟やチラシに猫の肉球が印刷されているのも、猫に癒され自殺を思い止まった人が大勢いるからだ…と。
 
最後まで型破りな街頭演説だった。途中では馬を散歩させる為に、新世界界隈を馬を引き連れゾロゾロ歩く羽目になった。しかし、こんな楽しい選挙戦は、今まで経験した事が無かった。今度の参院選では、れいわ新選組は間違いなく台風の目になるだろう。代表の山本太郎や他の候補者も不在で、梅田や難波でなく西成の下町で行われた、やすとみ候補だけの演説会でも、これだけ大勢の人が押しかけて来たのだ。聴衆も大半は一般市民で、動員組はほとんどいない。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と、ひたすら国民を分断し差別・排除する安倍自民。「死にたくなるような社会ではなく、生きていて良かったと言える社会を作りたい」と訴えるれいわ新選組。どちらに未来があるか、もはや明らかだ。
 
  
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タピオカと選挙の、一体どちらが国民にとって重要か?

2019年07月20日 07時53分23秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
 
最近のgooブログ、ウザい。私のブログはgoo(グー)という所のレンタルブログを使って記事を書いているんだけど、そのgooが最近ウザい。
 
ブログなんてのは、個人の日記を、せっかく書くんだから自分だけでなく、差し障りの無い範囲で他の人にも読んでもらおうとして、ネットに公開しているものだろう。だったら、嘘やデマ、犯罪幇助、差別扇動とかでない限り、何を書いても自由なはず。それでアクセスが伸びなくとも、それは個人の自己責任なんだから仕方がない。
 
そういう了解でやって来たのに、最近のgooブログと来たら、「アレについて書け」とか、「こうしたらもっとアクセスが伸びる」とか、ひっきりなしに通知を送って来る。何を書こうが個人の自由なんだし、それでアクセスが伸びなくても自己責任なんだから、好きにさせてくれりゃあ良いのに。
 
しかも、「アレについて書け」のアレが、「#タピオカ」とか「#今日のごはん」とか「#海外旅行」とか、当たり障りの無い、はっきり言って、どうでも良い事ばっか。今まさに参議院選挙のまっ最中なんだから、書くべきはまず選挙の話題じゃないのか。国も「若者の投票率を上げよう」と言っているくらいなんだから。
 
「タピオカ」と「選挙」の、一体どちらが国民にとって重要な事なのか?誰が考えても分かるだろう。ただのオシャレ投稿だけなら、インスタグラムだけで十分だ。わざわざブログなんて書く意味がない。
 
これは何もgooブログだけに限った事ではない。今度の参議院選挙でも、山本太郎の行く先々で黒山の人盛り。今まで選挙に行ったこともなかった人からのカンパが、たった3ヶ月で3億円以上も集まったと言うのに、新聞もテレビも完全黙殺。「泡まつ政党だから」「正式な政党ではない確認団体だから」と言うのが、その理由らしいが。
 
その「泡まつ」が何故これほどまで人気になっているのか?それを取りあげるのが、報道機関の役割ではないか。どんな世の中の変化も、最初は小さい所から始まる。ところが実際は、今度の選挙で与党は議席を減らすかも知れないのに、相変わらず「与党圧勝」報道一色。
 
しかも、札幌や大津では、街頭演説中の安倍に対して、聴衆が「安倍辞めろ!」と一言ヤジ飛ばしただけで、警察に取り囲まれ、腕ずくで排除された。選挙妨害だと言われて。その一方で、右翼のデモで、「朝鮮人は皆殺せ!」とデモ隊が大音量で叫び、街頭で騒音をまき散らしていても、警察は一向にその蛮行を止めようとはしない。こちらも市民の静穏を破壊する「生活妨害」ではないのか。そんな恣意的な規制が、国家権力の手で行われているのに、何故その問題を取り上げない?
 
あるいは、一昨日起こった京都アニメーションスタジオでの放火殺人事件について、お涙頂戴だけの報道ではなく、何故そんな事件が起こったのか?事件の再発を防ぐにはどうしたら良いか?そちらの方が、「タピオカ」なんかよりも、はるかに重要なテーマではないか。その上で、「#タピオカ」について書きたい人は書けば良い。私は「#選挙」の事を書く。それに対して、いちいち「アレについて書け」とか「これは書くな」とか、言って来るな。
 
文章の書き方、見出しの立て方、起承転結をはっきりさせるとか、そういう技術的なアドバイスで、「こうしたらアクセスが伸びる」と言ってくれるなら有難いが。
そういう肝心な事は何もせず、「何を書くか」という記事の内容についてばかり、あれこれ指図して来る。これではもう、影に隠れてコソコソ言論統制しているのと同じだ。どうりで、選挙やモリカケについても、通り一遍の報道しか出来ない訳だ。そんなに安倍政権に睨まれるのが怖いのか?!
 
以下、ブログ通知欄から抜粋。
 
今週のオススメ記事
タピオカが本当に流行っていますね。オススメ記事をまとめてチェックしよう(2019-07-19 20:12;16)
 
「#今日のごはん」をチェック
今週のお題「#今日のごはん」でランチを決めませんか。ごはん系のハッシュタグはお腹が空きますね(*'ω'*)(2017-07-19 11:46;14)
 
#news:エンタメをチェック
話題のエンタメニュースをブログでチェックしてみよう。gooニュース、dmenuニュースからブログを書くと2000円分のギフト券が当たります!(2019-07-17 20:12;08)
 
注目のハッシュタグは#海外旅行
海の日が過ぎると夏休みの気分ですね。海外旅行レポートが増えてくる時期です。旅行の参考にチェックしよう。(2019-07-17 13:12;06)
 
 
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麻生の暴言放置したまま野党にだけ自制求めるのは筋違い

2019年07月17日 21時21分18秒 | モリカケも忖度もない公平な社会を
 
 
「選挙に怪文書は付き物だ」と言ってしまえばそれまでだが。
 
少し前に、「テラスプレス」なる正体不明のサイトが発行した「フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識」という冊子が話題になった。その冊子は、立憲民主党の枝野代表、国民民主党の玉木代表、共産党の志位委員長など主な野党政治家を、まるで痴呆や陰謀家みたいな似顔絵で描き、一方的にこき下ろしていた。そして、自民党の安倍総裁をイケメン風に描き、安倍政権をべた褒めしていた。
 
テラスプレスの記事は今でもネットで読める。但し、検索サイトには敢えて引っかからないように細工されている。この事から、広く国民に訴えるというよりも、むしろ仲間内で情報共有する為のサイトだという事ができる。冊子に掲載された記事についても、ネットから削除されてしまったようで、今はもう読めなくなっている。テラスプレスの発行元は一切明らかにされていない。多岐のジャンルに渡る記事が、数日毎に頻繁に更新されている事からも、とても個人で発行できる代物ではない。与党の大物政治家が運営に関わっているのではないかと噂されている。
 
そんな出所不明の冊子を、天下の自民党が、こともあろうに党内研修用の資料として、党の国会議員全員に配布していた。その事を国会で追及された安倍首相は、悪びれもせずに、逆に「この冊子の言う通りじゃないか」と持ち上げる有様だった。

自民冊子の元ネタ「テラスプレス」、公示後も更新続く 野党批判のトーンそのまま...(J-CASTニュース)
DAPPIの再来?自民党が正体不明の野党叩きメディア「テラスプレス」を冊子化、参院選対策用に議員らへ配布(BUZZAP!)

 そればかりではない。「野党も同じ様な事をしているじゃないか」という記事が、今度は「KSL-Live!」なるサイトに掲載される始末だ。「共産党に大ブーメラン!麻生大臣を『ブタ』で擬人化するマンガを公開→批判受け削除、自民党の冊子より悪質な内容」というタイトルの記事がそうだ。
 
共産党HPの中にあるとされる漫画は、もうHPから削除されて読めなくなっているようだ。よって、KSL何ちゃらの記事でしか、その漫画の内容を確認できない。このKSL何ちゃらも、どんな団体が運営しているのかよく分からない。運営者としてライターの名前が一人出てくるが、本当に個人サイトなのかは不明だ。しかし、そのKSL何ちゃらの記事を読んでも、一体この漫画のどこが「自民党の冊子より悪質な内容」なのか、サッパリ分からなかった。
 
何故なら、ブタで擬人化されているのは別に麻生太郎などの与党政治家だけではないからだ。共産党の志位委員長も、「イケメンのブタ」として擬人化されていた。方やブスブタ、もう方やイケメンのブタでは、同じブタでも不公平ではないかと言われても、共産党があくまで自党の宣伝用に編み出したキャラクターなので、文句の付けようがない。
 
この事からも、KSL何ちゃらは、本当は政治家をブタになぞらえた事よりも、むしろ麻生太郎を批判した事自体を問題にしたいのだ。本当は「偉大なる麻生閣下を批判するとは何事か!」と言論弾圧したいのを、それをそのまま言ってしまうと、もう麻生べったりなのが誰の目にも明らかになってしまうので、「政治家をブタになぞらえるな」と、品格の問題にすり替えているのだ。そうして、「共産党も同じような事をしているではないか!」「自民党批判の内容が共産党にもブーメランとして跳ね返って来ている!ザマアミロ」と言いたいのだ。
 
でも、よく考えてみれば、これは決して「どっちもどっち」で済まされる問題ではない。何故なら、テラスプレスの例の冊子が、何の根拠もなく、枝野代表などの野党政治家を痴呆や陰謀家呼ばわりしているのに対して、共産党マンガの方は、あくまでも、麻生が実際に喋った言説を批判しているのに過ぎないからだ。麻生は実際に、記者たちに向かって、「はあっ、もっと大きな声で言えや!」と恫喝したのは事実だ。
 
それを批判して一体何が悪いのか?その程度の批判もできないようでは、日本も中国や北朝鮮、中東やアフリカあたりの独裁国家と同じではないか?その点をきちんと踏まえた上で、「それでも政治家をブタになぞらえるとは、少し行き過ぎではないか?」という意見はアリだろう。「政治家はあくまでも公人なのだから、一般人の居酒屋談義みたいなノリで、政治を語ってはいけない」「もう少し大衆受けするやり方を考えろ」という意見は、あり得るだろう。
 
しかし、それも時と場所によりけりだ。夜中に山中で女性が暴漢に襲われたとする。周囲には誰もいない。そこで女性は、やむなく手に持っていた護身用のナイフで、暴漢に抵抗し、誤って暴漢を刺し殺してしまったとする。普通なら正当防衛だ。仮に女性の行為が過剰防衛に問われたとしても、暴漢も女性も「どっちもどっち」なんて絶対あり得ない。暴漢の方がはるかに罪が重いに決まっている。但し、満員電車の中で、男性の腕が偶然、女性の胸に当たっただけで、女性が逆上して、男性に大怪我を与えてしまったり殺してしまったら、どうだろうか?ここまで行くと、さすがに女性の過剰防衛だと言われても仕方ないだろう。
 
そこで、先のブタの話に戻ると、これはどちらのケースに当たるだろうか?私は、多少行き過ぎはあっても、まだ「言論の自由」の範囲内だと思う。麻生の夜郎自大、傍若無人な態度については何も批判せず、それをブタに擬人化した共産党だけ批判するのは、明らかに片手落ちだ。これでは「為にする批判だ」と言われても仕方ないだろう。そんなに恨まれるのが嫌なら、最初から恨まれるような事をしなければ良いのだ。それだけの話だ。
 
その上で、「もっと上品な批判の仕方を考えなければならない」という議論はあると思う。しかし、その是非を判断するのは、あくまでも有権者であって、KSL何ちゃらではない。
 
かつて、北朝鮮による拉致の被害者家族を支援している活動家の中で、当時の北朝鮮の指導者である金正日を、ネットで「豚金」と揶揄した投稿者がいた。さすがにその物言いに対しては、同じ活動家仲間からも、「表現が余りにも下品である」と、議論になった事があった。しかし、そのような投稿が許容される一方で、「麻生太郎をブタ呼ばわりするのは一切まかりならぬ」と言うのでは、「麻生は神聖にして侵すべからず」と言っているのと同じだ。
 
むしろ、この問題で批判されるべきは、共産党の弱腰の方だろう。少し批判されたからと言って、有権者に説明もせずに、漫画を一方的に削除してしまうようでは、年金報告書を黙殺した麻生太郎と同様に、「臭いものに蓋」でしかない。かつて戦争反対、主権在民を唱えて、天皇制政府から弾圧されても節を曲げなかった、かつての共産党は一体どこに消えてしまったのか?もはや安倍に対抗するには、山本太郎を支持する以外には無いのか?
 
「新聞記者」という映画を最近観た。大学の経営者が総理のお友達という理由で、規制されていた獣医学部の新設が認められた。その真相を女性の新聞記者が、政権側の協力者と共に追及していく映画だ。加計学園をモチーフにした映画で、前川喜平などの映像も映画の中で登場する。
 
その映画の中で、内閣調査室の大勢の官僚が、世論操作の為に、一般投稿者を装って、ネットに政府擁護の書き込みをする場面が出てくる。テラスプレスやKSL何ちゃらも、こいつらがでっち上げたフェイク(偽装)サイトである可能性が濃厚だ。日本をこんな陰謀国家にしてはならないと、強く思った。
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