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若桜鉄道の旅3 若桜町に送ったメール

2024年11月20日 09時50分35秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
左の地図は若桜町重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)の範囲で、その中では建物の新規建造・改築が規制される。右の町内観光マップと重ね合わせて見る事で、この町の宿場町としてのイメージが大体掴めると思う。
 
先週末に鳥取県の若桜鉄道に乗って終点の若桜町を散策。ここは昔ながらの宿場町で、しかも明治時代の大火を機に、防火対策に沿った町づくりが行われてきました。しかし、その遺構は町の一部にしか残っていませんでした。そこで、若桜町のホームページに下記のメールを送る事にしました。以下がそのメールの本文です。
 
初めまして。11月16日(土)に大阪から若桜鉄道に乗りに来て、若桜宿を観光させていただきました。若桜鉄道についてはレトロモダンな雰囲気がそこかしこに溢れ、充分満足させていただきました。
 
でも若桜宿については、少し不満の残る旅でした。確かに昭和おもちゃ館や若桜民工芸館は素晴らしかったです。でも、明治時代の大火を機に都市計画を行い、カリヤ通りや蔵通りを整備したとされる割には、その景観が保たれているとは、正直言い難かったです。蔵は一部しか残っていませんでした。カリヤ(街路を覆う庇で雪の日も歩道を通行出来るようにした設備)も一部家屋に残るのみで、とても往年の繁栄を偲ぶ事は出来ませんでした。
 
これが京都や飛騨高山ほどの観光地ともなれば、街の規模も大きく知名度もあるので、現状のままでも全国から観光客を呼び込む事が出来ます。しかし、若桜町のような小規模の自治体ともなると、この程度の景観では観光客を呼び込むのは難しいと思います。
 
岐阜県の馬籠宿や岩村宿では電柱を裏通りに移設し、建築規制を加える事で、昔の宿場町の景観を復活させ、新たな観光需要を掘り起こす事に成功しました。特に岩村宿については、明知鉄道ともタイアップして、鉄道ファンの集客も成し遂げています。この経験は、若桜鉄道を観光の目玉に据える若桜町にとっても、非常に参考になるのではないでしょうか。
 
また、若桜宿は、宿場町の看板を掲げながら、宿内には一軒の旅館もございません。その為に、観光客は氷ノ山のロッジか、近隣の駅周辺の民宿に泊まるしかありません。宿内にレトロモダンな宿泊施設が出来れば、更に観光客が増えるのではないでしょうか。
 
勿論、伝統的建造物の保存と住民の方の日常生活の両立の難しさについては、私も理解しているつもりです。また、近年目立って来たオーバーツーリズム、観光公害の弊害についても懸念しています。それでも、若桜町のこれ以上の過疎化、高齢化を防ぐには、産業振興・移住促進を図りながら、観光に活路を見出す他ないと愚考いたします。
 
以上の提案について、是非ご検討いただけたらと思います。宜しくお願い申し上げます。

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