アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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若桜鉄道の旅8 岩屋堂で出会った鉄オタ夫婦

2024年11月20日 13時33分17秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
今までの旅のあらすじ
 7若桜駅の転車台で方向転換中のSL動画 
 
この旅では色んな幸運に恵まれました。隼駅でポスターを無料でいただいた事や、旅館から若桜鉄道の列車が見れた事。宿の主に鉄道ダイヤを補完するバス路線の存在を教えてもらった事、若桜駅でSLが転車台の上で方向転換する様子を動画に収める事が出来た事など。一つ一つの幸運は取るに足らない事でも、積み重なれば今後の旅に向けての励みになり、人生のエネルギーにもなります。
 
この次に訪れた若桜町の観光案内所でも、思わぬ発見がありました。それは、鉄道以外の観光スポットについても詳しく聞けた事です。私はあくまで若桜鉄道の取材を、この旅の主目的に置いていたので、それ以外の観光スポットについては無視するつもりでした。
 
それでなくても余裕のない1泊2日の一人旅で、取材対象も1〜2時間に1本しか走らないローカル鉄道。おまけに旅行2日目の午後からは雨の天気予報。これでは他の観光地を回るのは無理だと諦めていました。現に街のすぐ裏にある鬼ヶ城の城跡も、意外と険しい山道なので、帰って来るまで2時間かかると聞き、諦めざるを得ませんでした。若桜町は宿場町であるとともに、鬼ヶ城の城下町でもあるので、時間があるなら是非訪ねてみたいと思っていましたが。
 
でも、そこから先の不動院岩屋堂については、観光案内所の前から片道100円の町営バスが出ていると聞き、私もそのバスに乗る事に。歩いたら数十分かかる距離でも、バスだとものの数分で着きます。実際に見た岩屋堂は、けわしい山道を行かなければならない三朝温泉の岩屋堂とは違い、道沿いの川にかかる橋を渡ればすぐに着く事が出来ましたが。ここも、崖の中の洞窟みたいな所にお堂が作られている意味では、立派な岩屋堂(別名:投入堂)なのですが。
 
 
そして、このバスの中で、鉄道ファンと思しき中年の夫婦連れの方たちとも意気投合。この方たちと鉄道談義に花を咲かす事が出来ました。前日私が買った若桜銘菓の弁天饅頭も、日持ちがしない為に、すっかり硬くなってしまったので、残りをこの2人と私で食べる事にしました。硬くなってしまったとは言え、元は若桜一の銘菓です。2人からは非常に喜ばれました。
 
岩屋堂から戻ったらお昼になっていたので、前述の観光案内所の隣にあるカフェで、焼き鯖重定食をいただきました。そのカフェには何と若桜鉄道の写真集が置いてありました。最初は何気にパラパラめくっていただけでしたが、昔にぎわっていた頃の若桜鉄道の写真を見るにつれ、私はその写真集に釘付けとなってしまいました。なんと昔はラッシュアワー時には6両連結のディーゼルカーが走っていたのです。沿線の安部駅では寅さんの映画ロケも行われました。
 
 
 
当時は林業も盛んで、若桜駅には貨物列車に積み込まれる木材が山のように積まれていたそうです。当時は若桜町の人口も1万人近くいたそうです。ところが、外材の輸入や減反政策で、地域の基幹産業である農林業がすたれ、人口流出が始まります。1970年に7443人だった若桜町の人口も、2020年には2864人にまで減ってしまいました。
 
そんな中で、唯一の救いが、この若桜鉄道ブームです。昔は時代遅れの象徴にしか過ぎなかった古い駅舎が、昨今のレトロブームに乗って一躍脚光を浴びるようになりました。それでも所詮ブームはブームでしかありません。一過性のブームなんかではなく、地に足付けた地域の発展の為には、今何が求められるのか?そういう事も考えさせられた旅でした。そして、新たな発見や色んな出会いもあった、非常に有意義な旅でした。
(「若桜鉄道の旅」シリーズ完)
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若桜鉄道の旅7 若桜駅の転車台で方向転換中のSL動画

2024年11月20日 12時03分12秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
2024年11月17日 若桜駅の転車台で方向転換中のSL
 
2024年11月17日 次の運転試乗会に向けて若桜駅構内を走行中のC12型蒸気機関車
 
旅行2日目の11月17日(日)は、ラッキーな事が立て続けに起こりました。まず最初のラッキーは、旅館の主が鉄道だけでなくバスも並行して走っているのを教えてくれた事で、約1時間、時間を節約する事が出来ました。そして、早めに着いた若桜駅で、SLが動いている所に偶然立ち会う事が出来ました。
 
若桜駅では毎月第4日曜日にSL(蒸気機関車)やDL(ディーゼル機関車)の走行イベントが開催されます。構内に留置されている蒸気機関車(C12 167)とディーゼル機関車(DD 167)の運転試乗会が行われるのです。でも今日はまだ11月第3日曜日の17日なので、試乗会の日ではありません。多分、来週の試乗会に向けてのテスト走行試験なのでしょう。それを、私が道の駅「桜ん坊」に向かっている途中で、駅横の駐車場から偶然目にする事が出来たのです。早速、動画で撮影させてもらいました。
 
私が最初に目にしたのは、SLが転車台の上で方向転換させられている所です。SLは前に進む事しか出来ません。だから、終着駅には方向転換させる為の転車台が必ず設置されています。しかし、設置されている事は知っていても、まさか人力で動かせるとは思いませんでした。
 
そして、駅裏にある道の駅「桜ん坊」の駐車場からも、今度はSLが前に進む姿を動画に収める事が出来ました。まさにお宝映像です。SLの横ではDLも動いていました。こちらは少ししか動かなかったので動画には収めていません。
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若桜鉄道の旅6 丹比駅と列車の見える旅館

2024年11月20日 11時38分49秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
11月16日の宿は若桜鉄道丹比駅から徒歩数分の旅館に取りました。丹比駅も古い駅舎が残り、国の登録有形文化財に指定されています。しかも、駅舎の柱には古レールが使われ、製造メーカーである米国カーネギー社や八幡製鉄所の刻印も残されています。私が着いたのは夜も更けてからだったので、満足のいく写真は撮れませんでしたが。次ここに来る人は是非良い写真を撮って下さい。
 
当初は旅館の少ない若桜鉄道沿線を避け、鳥取市内のビジネスホテルに泊まるつもりでした。しかし、どのホテルも既に予約で埋まっていました。今はちょうど蟹漁解禁の時期で、一年中で一番繁忙期に当たるのだとか。そこで、海沿いの旅館は避けて、再び沿線にいくつかある旅館に電話したら、ちょうどこの旅館が空いていました。
 
だから、最初は余り評判の良くない田舎旅館だと思い、ほとんど期待していませんでした。ところが、建物自体は古民家で古いものの、綺麗にリフォームされ、トイレも浴室も洗面も非常に清潔でした。翌日も家族風呂にしては広めで、久しぶりにセパレートのお風呂で身体を解す事が出来ました。
 
 
食事も豪華で、これで1泊1人気8000円とは、にわかには信じられませんでした。欲を言えば、駅から旅館に向かう国道には街灯がほとんどなく、真っ暗闇の中を、隣りの車道を走る車のライトだけを頼りに、歩かなくてはならなかった事だけが不満でした。でも、これは旅館の責任ではありません。次からは日が暮れる前に旅館に着くようにしなければなりません。
 
しかも何と!旅館の窓から若桜鉄道を走る列車が間近で見れるのです。私が旅館に着いた時は。もうすっかり日が暮れてしまった後だったので、分かりませんでした。翌朝初めてこの事に気が付きました。もうチェックアウトの時間が迫っていたので、写真に撮りそびれてしまいました。次ここに泊まる人は、是非シャッターチャンスをものにして下さい。
 
翌朝も、私が若桜鉄道の便が少ない事を嘆くと、旅館の主が、並行して走るバスの停留所がすぐそばにある事を教えてくれました。お陰で、時間を無駄にせずに済みました。並行するバスの便数も鉄道と同じぐらいしかなく、しかも鉄道と違い、バス愛好家はほとんどいないので、バスの車内は鉄道以上にガラガラでした。(左上の写真がそのバス停の時刻表)
 
鉄道が赤字なのは、単に鉄道が不便なだけでなく、地域の景気が冷え込んでしまっているからです。景気自体が浮揚しないと、たとえ鉄道を廃止した所で、バスが黒字になるとは限りません。下手すれば、鉄道廃止が引き金になって、バスもやがて廃止に追い込まれる事になるでしょう。
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若桜鉄道の旅5 ライダーの聖地 隼駅

2024年11月20日 11時11分35秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
若桜鉄道と言えばSLや給水塔、転車台のある終着駅の若桜駅が有名ですが、途中駅の隼(はやぶさ)駅も見所満載です。
 
まず何と言っても隼駅祭りの開催が上げられます。元々この駅は近くにある隼神社の最寄駅として開業しましたが、モーターバイクの月刊誌が駅名にちなんで、スズキのGSX1300Rハヤブサ愛好家に「8月8日をハヤブサの日にして隼駅に集まるようにしよう」と呼びかけてからは、毎年8月8日前後の日曜日にハヤブサライダーが集まるようになりました。
 
それがきっかけで隼駅が注目されるようになり、地元で駅の保存会が結成され、前述の隼駅祭り開催や駅の保存・清掃活動が行われるようになりました。駅自体も、終点の若桜まで鉄道が開通するまではこの駅が終着駅だった関係で、駅員の駐泊所や荷物取扱い設備が残っていて、国の登録有形文化財に指定されました。私が訪れた時も、駅のプラットホームには荷物の重さを計る秤が保存されていました。
 
 
それだけでなく、ホームの片隅にはED301型電機機関車とJRのブルートレインが静態保存されています。この電機機関車は昔、石川県の北陸鉄道でダム工事の資材運搬に使われていたのを廃車後に譲り受けたものだそうです。ブルートレイン内部には隼駅祭りのパネルも飾られていました。
 
それと、もう一つ特筆すべきなのが、この駅が石破茂・現総理の生家の最寄り駅でもある事です。総理自身も、有名な鉄道ファンで、若桜鉄道の一日駅長も務められた事がありました。私は自民党の裏金政治は到底支持できませんが、総理の鉄道に対する愛情については、同じ鉄道ファンとして共感できる部分もあります。
 
週末にはこの駅にもカフェがオープンして隼駅関連グッズが販売されます。カフェ営業日には駐泊所として使われていた部屋も休憩所としてオープンします。私はそこで隼駅のポスターを無料でいただく事が出来ました。
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若桜鉄道の旅4 若桜鉄道若桜・丹比間の車窓動画

2024年11月20日 10時07分28秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
2024年11月16日 若桜鉄道(若桜・丹比間) 前面展望
 
11月16日(土)は若桜駅と駅前の宿場町を散策した後、若桜鉄道で隼(はやぶさ)駅まで乗りました。隼駅も若桜駅と同様に、昔の駅の景観が数多く残っています。その隼駅に向かう途中で、若桜駅と次の丹比駅の間の前面展望を動画に収めました。若桜鉄道内で雪覆と落石覆がある唯一の区間です。山の斜面に沿って斜めに覆いが設けられているのが雪覆で、山からの落雪から線路を保護する為の施設です。そして、トンネルのような形をしたのが落石覆で、頂部には土が詰められ、落石時にクッションの役割を果たします。側面の半円形アーチにも注目。これらの施設も国の登録有形文化財に指定されています。
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若桜鉄道の旅3 若桜町に送ったメール

2024年11月20日 09時50分35秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
左の地図は若桜町重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)の範囲で、その中では建物の新規建造・改築が規制される。右の町内観光マップと重ね合わせて見る事で、この町の宿場町としてのイメージが大体掴めると思う。
 
先週末に鳥取県の若桜鉄道に乗って終点の若桜町を散策。ここは昔ながらの宿場町で、しかも明治時代の大火を機に、防火対策に沿った町づくりが行われてきました。しかし、その遺構は町の一部にしか残っていませんでした。そこで、若桜町のホームページに下記のメールを送る事にしました。以下がそのメールの本文です。
 
初めまして。11月16日(土)に大阪から若桜鉄道に乗りに来て、若桜宿を観光させていただきました。若桜鉄道についてはレトロモダンな雰囲気がそこかしこに溢れ、充分満足させていただきました。
 
でも若桜宿については、少し不満の残る旅でした。確かに昭和おもちゃ館や若桜民工芸館は素晴らしかったです。でも、明治時代の大火を機に都市計画を行い、カリヤ通りや蔵通りを整備したとされる割には、その景観が保たれているとは、正直言い難かったです。蔵は一部しか残っていませんでした。カリヤ(街路を覆う庇で雪の日も歩道を通行出来るようにした設備)も一部家屋に残るのみで、とても往年の繁栄を偲ぶ事は出来ませんでした。
 
これが京都や飛騨高山ほどの観光地ともなれば、街の規模も大きく知名度もあるので、現状のままでも全国から観光客を呼び込む事が出来ます。しかし、若桜町のような小規模の自治体ともなると、この程度の景観では観光客を呼び込むのは難しいと思います。
 
岐阜県の馬籠宿や岩村宿では電柱を裏通りに移設し、建築規制を加える事で、昔の宿場町の景観を復活させ、新たな観光需要を掘り起こす事に成功しました。特に岩村宿については、明知鉄道ともタイアップして、鉄道ファンの集客も成し遂げています。この経験は、若桜鉄道を観光の目玉に据える若桜町にとっても、非常に参考になるのではないでしょうか。
 
また、若桜宿は、宿場町の看板を掲げながら、宿内には一軒の旅館もございません。その為に、観光客は氷ノ山のロッジか、近隣の駅周辺の民宿に泊まるしかありません。宿内にレトロモダンな宿泊施設が出来れば、更に観光客が増えるのではないでしょうか。
 
勿論、伝統的建造物の保存と住民の方の日常生活の両立の難しさについては、私も理解しているつもりです。また、近年目立って来たオーバーツーリズム、観光公害の弊害についても懸念しています。それでも、若桜町のこれ以上の過疎化、高齢化を防ぐには、産業振興・移住促進を図りながら、観光に活路を見出す他ないと愚考いたします。
 
以上の提案について、是非ご検討いただけたらと思います。宜しくお願い申し上げます。
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若桜鉄道の旅2 若桜の宿場町

2024年11月20日 08時05分42秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
若桜宿の仮屋(かりや:通りに張り出した屋根)と防火用水を兼ねた水路、防火の為に設けられた蔵屋敷の街並み
 
若桜町は鉄道だけでなく駅前の宿場町もレトロモダンな雰囲気に溢れていました。駅から一つ目の蔵通りにはお寺と蔵が立ち並び、側溝の水路には綺麗な水がサラサラと音を立てて流れていました。この蔵や寺や水路は、いずれも明治時代に3度も立て続けに起こった大火に対する反省から、延焼防止と初期消火の為に設けられたのだそうです。
 
その一つ向こうの国道沿いには、「仮屋」と呼ばれる庇(ひさし)の付いた家屋が並んでいます。この「仮屋」も、雨や雪の日にも通行人が歩道を通れるように工夫されたものだそうです。これらの当時の町づくりの案は、「宿会議定書」という文書にまとめられています。しかし、そこまで決めて実行に移された案なら、もっと街中にその遺構が残っていても良さそうなのに。今はもう街の片隅にしか残っていない。
 
昭和おもちゃ館とそこで売られていた駄菓子
 
若桜民工芸館の外観と内部。奥に向かって細長く伸びる古い町家の佇まいが今もよく残っている。
 
それが返す返すも残念です。確かに昭和おもちゃ館の駄菓子や若桜民工芸館の土鈴は郷愁を誘います。でも、それだけでは只の懐古趣味で終わってしまいます。折角こんな立派な防火対策を立てたのだから、その街並みをもっと後世に伝えるべきではないかと感じました。
 
それに、宿場町と言いながら、宿内に一軒の旅館もないのはどうかと思います。旅館がない為に、泊まりがけで来た人は氷ノ山のロッジか、近隣の駅周辺の民宿に泊まるしかありません。たとえ近隣の駅でも、若桜鉄道は1〜2時間に1本しか列車が走っていないので、移動もそう簡単には出来ません。
 
確かに、現代の生活を送る中で、伝統ある街並みを残すのは大変な苦労がいると思います。でも、それをやり切ってこそ、初めて宿場町や城下町の景観が真に蘇ると思います。若桜鉄道に出来た事が若桜町に出来ないはずはないと、私は思うのですが、如何なものでしょうか。
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若桜鉄道の旅1 若桜駅

2024年11月20日 07時45分16秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
先週末に鳥取県の若桜(わかさ)鉄道に乗りに行きました。その旅行記をようやく書き上げる事が出来たので、ここに公開します。
 
若桜駅には11月16日(土)のお昼頃に着きました。まず駅構内の喫茶店「わかさカフェretro(レトロ)」で、若桜産の豚肉を使ったハンバーグとコーヒーのランチをいただきました。駅の待合室を改装した喫茶店で、レトロモダンな雰囲気が溢れていました。
 
 
若桜鉄道自体も駅舎や鉄橋など23ヶ所が国の登録有形文化財に指定されています。そのうち8ヶ所が終点の若桜駅に集中しています。SL時代の給水塔や転車台、除雪した雪を流す流雪溝、手動でポイント操作していた転轍手の詰所、荷物の重さを計る秤…それらのほとんどが前述の文化財に指定されています。

元々ここは1930年に開通した路線で、昔は国鉄若桜線として地域住民に親しまれて来ました。ところが1980年代に、国鉄の累積赤字が槍玉に挙げられ、特定地方交通線(赤字83線)の一つとして、廃止対象に上げられてしまいました。それに対し、住民の存続運動が起こり、第三セクターの若桜鉄道として再出発する事になりました。
 
その関係で、国鉄時代の寝台車やディーゼル機関車、無蓋(むがい:屋根のない)貨車まで残されていました。その中でも特に驚かされたのが、倉庫に収納された保線用のモーターカー。このモーターカーは、別に文化財でも何でもありませんが、収納庫のレールの向きが変です。普通はすぐに本線に移動出来るように、本線とはポイントで結ばれていなければならないのに。何故、本線と直角の方向に敷かれ、レールが繋がっていないのか?(すぐ上の右の写真がそのレール)
 
 
レトロなのは鉄道設備ばかりではありません。列車もレトロモダンな雰囲気に溢れています。私が乗って来たのはスズキバイクのハヤブサがラッピングされた隼(はやぶさ)号。若桜駅の側線にはえんじ色の八頭(やず)号が止まっていました。そして次の目的地に向かう為に乗ったのは緑の若桜号と青の昭和号の2両編成。いずれも高名なデザイナーが発案したラッピング列車だとの事。感動しました。
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