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ハイチを貶めてきたのは一体誰か?

2010年01月17日 23時48分33秒 | その他の国際問題
ハイチの栄光と苦難―世界初の黒人共和国の行方 (世界史の鏡 地域)
浜 忠雄
刀水書房

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 1995年の阪神・淡路大震災からちょうど15年目の今日、関西でも多くの追悼行事が取り組まれ、マスコミがそれを取り上げています。この震災では、私の自宅も大きな被害を受けました。
 しかし、私は余りこのニュースを取り上げる気にはなれません。それは、この大震災だけに限らず、過去の事件や災害の記念日が来るたびに、安直に視聴率を稼ぐ為に、その日限りの美談仕立てのネタとしてのみ取り上げる、マスコミの報道姿勢が、近年は余りにも鼻に付き出したからです。その挙句に、神戸ルミナリエのような商業主義丸出しのイベントだけが脚光を浴び、震災復興住宅の老人孤独死の問題などは、普段は殆ど顧みられる事がない。
 「じゃあ、お前が率先して取り上げれば良いじゃないか」と言われれば、それはその通りです。返す言葉もありません。しかし、私も生身の人間なので、他にも書かなければならない事も多々ある中で、取り上げる話題には自ずと限界があります。だからこそ、マスコミにはその個人の限界を補って欲しいのです。しかし、マスコミの現状は先に述べた通りで、それを今までも幾度と無く見せ付けられると、もう興ざめしてしまうのです。

 前置きが長くなりました。そういう事で、今回は少し視点を変えて、同じ震災は震災でも、先日発生した中米ハイチの大地震の事を取り上げてみたいと思います。
 その前のハリケーン災害でもそうでしたが、この様な大規模な自然災害が起こる度に、ハイチでは、周辺諸国と比べても、より被害が拡大する傾向が見られます。それが何故なのか、以前から気になっていましたので、今回の震災を機に少し調べてみました。
 ハイチ共和国は、今や西半球で最も貧しい国とされています。各種の経済指標をざっと見ても、一人当たり国民所得や識字率は周辺諸国の半分以下、国民の平均寿命は40歳代と、他の中南米諸国やその他の第三世界諸国と比べても、その後進性は際立っています。
 その原因として今まで挙げられてきたのが、それまでの長年に渡る独裁政治や政治的混乱です。例えば、次の「ハイチ大地震:最貧国を直撃…長い独裁、防災に遅れ」(毎日新聞)なども、その要因として、過去のデュバリエ父子による独裁政治を挙げています。

 しかし、元々ハイチは、フランス革命の影響下に、奴隷が自力で解放を勝ち取り、早くも19世紀初頭に、世界史上初の黒人共和国として誕生した国です。当時の革命指導者トゥーサン・ルーヴェルチュールやジャン・ジャック・デサリーヌは、今も独立の英雄として、国民から尊敬されています。そういう栄光の歴史を経ながら、何故、西半球の最貧国にまで成り下がってしまったのか。それが今回の主題です。
 そこで、下記に示す参考資料や、それ以外にも幾つか資料に目を通しました。その中には、「革命で白人の大農場を解体してしまったのが、そもそもの間違いなのだ」「革命なんてやらなければ良かったのだ」と言わんばかりの、歴史の進歩を全否定するか如き言説もありました。
 しかし、私はそうは思いません。上記の言説が如何に間違っているかは、米国独立戦争やフランス革命、ロシア革命や中国革命が失敗に終わり、今もブルボン・ロマノフ王朝や清帝国が存続していたら、一体どうなっていたかを考えれば、直ぐに分かります。恐らく人類は、未だ自由も人権も民主主義も手にすることなく、封建制の下で呻吟している事でしょう。また、80年代に猛威を振るった新自由主義の経済構造改革路線が、今も中南米諸国で踏襲されていたら、一体どうなっていたかを考えれば、これも自ずと明らかです。経済は依然として多国籍企業に牛耳られ、経済成長の果実も一握りの寡頭支配層に独占されたまま、貧富の格差だけが広がっていた事でしょう。

 何故、その世界初の黒人共和国が、西半球の最貧国にまで転落してしまったのか。それを私なりに、下記の5点にまとめてみました。それらの5要因については、便宜上、並列的に列挙する形を取らせて貰いましたが、現実には、それらの要因が様々に絡み合っている事は、言うまでもありません。

(1) 革命指導者間の対立・内紛・権力欲。ルーヴェルチュールの後を継いでハイチ解放を達成したデサリーヌが、帝政復活の挙句に、かつての同志たるクリストフやペションらによって放逐されてしまったのは、その典型。
(2) 社会階層の分裂・対立。植民地時代から持ち越された、開化民のムラート(白人との混血層)が黒人原住民を搾取する構図が、革命以後も解消されず、後の政情不安の原因となった。この開化民・原住民の対立は、ハイチに次ぐ黒人共和国である西アフリカ・リベリアの独立(1847年)でも見られ、現代におけるリベリア内戦の原因ともなった。
(3) 経済無策。奴隷支配への怒りだけで、革命後の青写真が無かった為に、革命が破壊のみに終わってしまった。怨嗟の元である白人大農場を、配下の革命軍兵士に分配したのみで、生産力回復の手立てが一切取られなかった。森林も乱伐により禿山に変貌し、次第にハリケーン災害に見舞われるようになった。困窮した国民の一部は、東隣のドミニカ共和国への不法移民となり、両国間の紛争の種となった。
(4) 諸外国の干渉。旧宗主国たるフランスは、独立承認の条件として、20世紀に入ってようやく完済に至る程の、巨額の賠償金をハイチに課し、それが後世まで経済の足かせとなった。それに加えて、19世紀以降は米国も介入し、たびたびハイチを占領下に置いた。
(5) モノカルチャー経済への依存。資源に恵まれないハイチは、輸出をコーヒーなどの単一作物に頼らざるを得ず、その事がますます経済の大国依存を招き、諸外国による介入の口実ともなった。
(6) 革命推進勢力の未成熟。産業の未発達によって近代化(資本主義化)が遅れた事により、労働者や農民の組織化も進まず、軍政や独裁政治の長期化を許してしまった。

 これを、他の中南米諸国と比較すれば、その差は一層歴然となります。例えば(1)については、20世紀初頭のメキシコも同様な状態にありましたが、メキシコは既に当時から、ハイチとは比べ物にならない程、資本主義化が進展していたので、労働者・農民などの諸階級によって、民族解放革命が担われる事になりました。
 そうして、近代化が進んだメキシコ・アルゼンチン・ブラジル・チリなどでは、労働組合をバックにした左翼勢力が伸張し、その他のペルーやボリビアなどにおいても、APRA(アメリカ人民革命同盟)やMNR(国民革命運動)などの土着革命政党が、軍部独裁・寡頭政治や、それを支えてきたアメリカ帝国主義に対して、一時期は一定の歯止めとして機能していました。
 その中で、米国は、パナマ運河を睨む地政学的理由から、中南米の中でも、とりわけキューバ・パナマ・ニカラグア・ハイチに対し、度々干渉を繰り返してきました。しかし、キューバにおいては左翼勢力が伸張し(それが後のキューバ革命においてもカストロの進攻を支える素地となる)、パナマ・ニカラグアでも民族解放運動が進展し、最終的にはいずれも、米国の半占領状態から脱する事に成功します。

 翻ってハイチにおいては、そのような民族解放勢力が育たないまま、戦後もずっと米国の影響下に置かれました。しかし、その中でも、エスティメ大統領のように、対米自立や土地改革を掲げる人物が政権に就く事もありましたが、その成果も、エスティメの後継者を詐称するデュバリエ父子に奪われました。
 デュバリエは、弱者救済を掲げる振りをして、実はムラートへの憎悪を煽るだけのポピュリストに他なりませんでした。デュバリエ独裁政権の下で、大統領一族は私腹を肥やすだけで、トントン・マクートと呼ばれる秘密警察が育成され、反政府勢力には血の弾圧が繰り返されました。政権は腐敗し産業は停滞し、行政・経済改革には何ら手がつけられませんでした。
 デュバリエ政権の腐敗や経済無策が、やがて米国の支配をも損なう段階に至り、米国は遂にデュバリエの追放に踏み切ります。その様にして、一見民主化を希求するかのようなポーズを取る米国ですが、それはあくまでも米国の支配を守る為のものでした。
 それ以降も、ハイチでは「デュバリエなきデュバリエ体制」が続き、弾圧部隊のトントン・マクートも温存されます。しかし、そのハイチにも一大転機がやってきます。1987年に、国連監視下の初めての民主選挙で、「解放の神学」を唱える左派のアリスティド神父が、大統領に当選したからです。
 こうしてアリスティド政権は、民衆の広範な支持を背景に、米国の了解も取り付けて改革措置を打ち出します。しかし、やがて政権運営に行き詰まり、政権の急進化を嫌った米国によって追放されてしまいます。その後も紆余曲折を経て、現在は、アリスティドの後継者を自認するプレヴァルが政権に就いていますが、依然として不安定な政治情勢が続いています。

 以上が、これまでのハイチ政治史の概観です。それを踏まえた上で言える事は、今回の震災被害の拡大を招いたものは、先の毎日新聞記事にもあるように、インフラ整備を怠ってきたデュバリエ独裁政権である事は確かですが、それを支えてきたのが実は米国であり、その下で、民衆が長年に渡って政治的発言権を奪われてきた事こそが、ハイチが今も尚、西半球の最貧国から抜け出せない、真の理由なのです。
 アリスティド・プレヴァル与党の「ラバラス」は、実際は単なる支持者の寄せ集め、彼らの私党にしか過ぎず、凡そ政党の体を為していません。革命を歪めるものとして、スターリン主義や党官僚の存在がよく指摘されます。旧ソ連・中国・北朝鮮などがその典型ですが、ハイチはそれとは逆に、革命推進政党不在の状態が続いているのです。そんな後者の革命の行き着く先は、やはり前者と同様に、やがて独裁に変質してしまう事は、1974年のハイレ・セラシエ皇帝処刑以後のエチオピア革命の帰趨を見れば明らかです。
 しかし、それを革命勢力や民衆の責任だけに帰してしまうのは、余りにも「木を見て森を見ない」議論です。ハイチを貶める例として、「ブードゥー教・ゾンビ・エイズの国」と見下す言説も存在します。しかし、私は、このような状態に押し止めてきたものの責任こそが、真に追及されて然るべきと考えます。

(参考資料:適宜追記)

・ハイチ大地震被害の救援金を受付けます(日本赤十字社)
 http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00001446.html
・ハイチ(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81
・ハイチ革命(同上)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81%E9%9D%A9%E5%91%BD
・ハイチ―独裁と暴力の軌跡(鈴木頌)
 http://www.ashir.net/siis/koron/haichi.html
・ハイチ:2004年クーデター(益岡賢)
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/haiti0403b.html
・ハイチという国(青木芳夫)
 http://www.oo.em-net.ne.jp/~runasimi/haiti.html
・特集”黒人初の共和国”ハイチ~独立がもたらしたもの、そして未来~(ハンガー・フリー・ワールド)
 http://www.hungerfree.net/special/08_1.html
・民主主義の名の下の苦難(Emerging Revolution in the South)
 http://agrotous.seesaa.net/article/11475244.html
・朝日新聞が中南米のポピュリズムを心配されてます・・・。(「構造改革」読み書き練習ブログ)
 http://literacy.jugem.jp/?eid=18
・ハイチ里親運動のホームページ
 http://www1.bbiq.jp/haiti/
・【フランス映画】南へ向かう女たち(2005年)
 http://www.rose.ne.jp/~french/film/2008/8_25.html
・【日本映画】ミラクルバナナ(2005年)
 http://www.miracle-banana.com/main.html

(書籍紹介)

・佐藤文則「慟哭のハイチ―現代史と庶民の生活」(凱風社)
・同上「ハイチ目覚めたカリブの黒人共和国」(同上)
・浜忠雄「カリブからの問い―ハイチ革命と近代世界」(岩波書店・世界歴史選書) 
・同上「ハイチの栄光と苦難―世界初の黒人共和国の行方」(刀水書房)

 いずれも値段が高く、分量も多いので、直ぐには購読とは行かないが、興味はある。そのうち、暇を見つけて図書館で借りる事にしよう。
コメント (3)
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