1月17日に、大阪市立中央会館で、蓮池透さん(北朝鮮拉致被害者家族会の前・事務局長)の講演会がありました。以下は、その参加報告です。
時間は午後2時から5時まで。最初に10分ほど歌舞団の宣伝があり、その後3時過ぎまでが蓮池さんの講演、休憩を挟んで4時半まで質疑応答、その後は朝鮮学校支援NGO(アプロハムケ・ネット)の活動紹介で終了、というスケジュールでした。この講演会については、1ヶ月ほど前に、一度だけCMLに告知情報が流れただけだったにも関わらず(私もそれを見て参加を決めた)、会場のホールがほぼ埋まるほどの人数が集まりました。100名ぐらいはいたと思います。
上記の写真が、その時に買った蓮池さんの著書「拉致対論」(太田出版)とご本人のサインです。本当は会場の写真も撮りたかったのですが、それはご遠慮願いたいという事で、叶いませんでした。
講演内容をまとめたのが、下記の箇条書きです。メモを頼りにまとめました。ほぼ講演の流れに沿ってまとめましたが、細部については若干手を加えた部分もあります。ひょっとしたら、聞き逃したり読み取れなかった部分もあるかも知れませんが、一応これがその要旨です。
●悲しんでも喜んでも叩かれる。悲しんだら「家族が戻ってきたのに嬉しくないのか」と言われ、喜んだらこれまた「自分の家族だけ戻ってきたらそれで良いのか」と叩かれる。個人的に居酒屋で酒を飲んでも「そんな事をしていて良いのか」と、見ず知らずの人間に腕をつかまれ、同様に競馬を楽しんでも「その金は一体誰の金だ」と詰られる。何故そんな事まで言われなければならないのか。
●拉致家族支援法に基づき、政府認定拉致被害者とその家族には、今後5年間に渡って毎月30万円が国から支給されている。支給額は収入の有無や増減に応じて調整される。しかし、これは裏返せば国から「5年間で自立しろ」と言われているようなものだ。それに対して弟(北朝鮮から戻ってきた薫さん)は、「支給延長などいらない、それよりも一刻も早く拉致問題に決着をつけてほしい」「拉致をした北朝鮮と、それを見逃してきた日本政府の、両方を見返してやりたい」と言っている。
●支援や恩恵ではなく、国家犯罪に対する賠償を要求する。それを主張すると家族会は、「そういう話は拉致問題が全て片付いてから言うべきであって、今は時期尚早」と言う。しかし、予めそういうレールを引いておけば、新たな拉致被害者にもそれを適用できるではないか。
●まずは、今までの自民党政府の下での北朝鮮政策の総括・見直しが必要。この度の政権交代は、それをする上での絶好のチャンスだった。しかし、鳩山首相の国連演説(注:昨年9月の総会演説の事か?)を聞いても、基本的には今までの政策の踏襲でしかなかった。
●鳩山首相は、「六者協議で拉致・核・ミサイル問題の包括的解決」を求めているが、それは違うと思う。何故なら、後二者は国際的な安全保障問題だが、日本人拉致はあくまでも日朝二国間の問題だからだ。それを一緒くたに議論するのはおかしい。
●また鳩山首相は、「ボールは北朝鮮側にある」というが、寧ろ逆だ。「調査委員会を立ち上げても何もしない、過去の清算もしない」日本こそが、先に行動を起こすべきだ。「再調査なぞしても北朝鮮の術策に乗せられるだけだ」という意見もあるが、そう一概には決め付けられない。北朝鮮は、一見したたかな様で、意外と杜撰な所もある(全然記録を残しておかなかったりとか)。
●日本政府は、小泉第一次訪朝までは、「日朝国交正常化まず先に在りき」「拉致問題の幕引き」で動いていた節がある。だから、北朝鮮の「5人生存・8人死亡」発表をそのまま伝えただけでなく、家族会メンバーを外務省の飯倉公館に缶詰にしてまで、それを飲ませようとした。その「幕引き」路線が破綻するや、今度は米国頼みの北朝鮮制裁一本槍に傾いていった。
●その後の制裁路線も、戦略不在という意味では、以前の幕引き路線と何ら変わらなかった。徒に北朝鮮の態度硬化と拉致問題の膠着を招いただけだった。ここは金賢姫も言うように、北朝鮮の顔も立てて、相手も耳を傾けざるを得ないような、したたかな戦略が求められる。然るに政府は、今も面倒な交渉を回避して、制裁一本槍に固執している。
●制裁強化で得をするのは、戦争扇動で一儲けを企む武器商人だけだ。政府は、家族会をダシにして制裁熱を煽る事で、今までの無為無策を誤魔化している。このままでは、北朝鮮問題は、マスコミの視聴率稼ぎや、右翼・自民党の宣伝道具に成り下がってしまうだけだ。
●今まで日本政府は、4回過ちを犯してしまった。
(1) 最初は「5人生存・8人死亡」の線での拉致問題幕引き。
(2) それに失敗すると、今度は生存者の「一時帰国」で世論を宥め、あわよくば家族の訪朝に話を結び付けようとした。この時、弟は「親を取るか子を取るか」という残酷な選択を迫られた。
(3) それにも失敗すると、「小泉再訪朝・ジェンキンスさん帰国」で幕引きを図ろうとした。この時は家族会も激高してしまい、結果的に、拉致問題で具体的に動いてくれた唯一の政治家(当時の小泉首相)を失う事になってしまった。
(4) その挙句に、横田めぐみさんの遺骨返還を巡って、混乱してしまった。当時、科警研と帝京大による、それぞれ異なった鑑定結果が出たのに、帝京大の結果だけを鵜呑みにして、ニセ遺骨だと決め付けてしまった。
そうして、北朝鮮からすれば、「こちら側はやる事は全てやったのに、日本側が全部反故にしてしまった」という最悪の結果になってしまい、北朝鮮からも信用されなくなってしまった。
●日本人にとっては、北朝鮮は、拉致問題が発覚するまでは、関心の埒外だった。それが発覚後は、一転してバッシングの対象となった。日朝間の関係についても、歴史問題まで含めて、複眼的に見れる政治家が全然いない。日本の近現代史も、学校でまともに教えられていない。そんな中で、拉致対策本部の活動がただの啓発イベントに、ブルーリボンが政治的無作為の免罪符になってしまっている。「家族会を差し置いても、北朝鮮問題を動かしてみせる」という、気概のある政治家はいないのか。
そして、質疑応答では次のようなやりとりがありました。メモを取った分のみ書きます。
●Q:「8人死亡」発表は変わらないのか?
A:再調査で覆る可能性もある。
●Q:何を以って拉致問題の解決と看做すのか?
A:それは私にも分からない。国のほうで方針を出して欲しい。
(その後、寺越武志さんの件について、若干やりとりがあった)
●Q:北朝鮮の体制をどう見るか?
A:拉致被害者が帰ってくるなら、あの体制が崩壊しようが繁栄しようが別に構わない。
以上が、講演会のあらましです。
次に、これを受けての私の感想ですが、記事のタイトルに「進歩と限界」とあります。蓮池さんの発言の、どこに進歩を感じ、またどこに限界を感じたのか、それについて書きます。
まず、どこに進歩を感じたのか。
蓮池さんの最近の著書「拉致 左右の垣根を超えた闘いへ」(かもがわ出版)の最初の方に、次のようなくだりがあります。―「救う会」主催の国民大集会などで、日章旗を持ってしきりにNHKや朝日新聞の悪口を叫んだり、中にはゲートルを巻いた旧日本兵みたいな衣装で参加する人もいる、右翼も街宣車でがなり立てているが、それらの人たちの言っている事が、自分たちのそれまでの主張と全く同じなのに気づいて愕然とした。―これは裏返せば、それを今までは異常とすら思えなかったという事です。
「救う会」については、今までも、佐藤勝巳・前会長のカンパ横領疑惑を始め、兵元達吉・元幹事との対立や、地方組織の分裂騒動・右翼暴力団の介入(熊本・新潟)や、村田春樹(救う会埼玉、以下同じ)・増木重夫(大阪)・西村修平(千葉)・八木康洋(茨城)などネオナチ集団「在特会」「維新政党・新風」との繋がりなど、色んな問題点が指摘されてきました。いずれも、拉致問題を票集めや拡販の目玉とする自民党や産経新聞が、決して触れようとはしない部分です。
勿論、それらの右翼の中には、増木重夫のように「救う会全国協議会」からは除名された者もいます。また、それらの右翼・ネオナチには批判的な「救う会」関係者も、少なからず存在するのは事実です。しかし、増木も恐喝容疑で逮捕が除名理由であり、それさえ無ければネオナチとの関係は、恐らく不問に付されていた事でしょう。また、ネオナチ批判組にしても、「そんな事をしていたら人が寄り付かなくなる」という程度の批判に止まっていたのではなかったか。だから、「在特会」は批判しても、「行動する保守」「チャンネル桜応援団」などの別の肩書きで登場さえすれば、黙認されていたのではなかったか。今の国際社会では、「ネオナチと人権は相容れない」というのが、左右を問わず共通認識とされているにも関わらず。
在日外国人や在日コリアンの追放を叫んで、その子どもが通う学校に集団で嫌がらせに及ぶなぞ、どんな理由をつけても免罪される筈はありません。でも家族会は今まで、「家族は支援者を選べない」という理由で、そんな「支援者」まで受け入れてきました。しかし、その事で逆に、それ以外の人間を北朝鮮・拉致問題から遠ざけてしまった。それに、蓮池さんはようやく気付いてくれた。薫さんから北朝鮮の話を聞いたりする中で。これは、遅巻きながらではあっても、重要な変化です。
しかし、それでも何故、限界を感じるのか。
それは、質疑応答での蓮池さんの次の答えに、いみじくも現れています。―「拉致被害者が帰ってくるなら、あの体制が崩壊しようが繁栄しようが別に構わない」―
勿論、拉致被害者家族としては、それはある意味、当然の立場です。拉致被害者救出運動の目的は、あくまでも拉致被害者の救出・帰国にあるのであって、その他の北朝鮮打倒や「過去の清算」などとは、直接の関係はありません。しかし、「歴史問題も含め、北朝鮮問題を複眼的に見る」必要を言うなら、尚更の事、日本人拉致被害者の生存・人権だけではなく、帰国事業に翻弄された在日コリアン・日本人妻や、北朝鮮の強制収容所に囚われの身となっている「良心の囚人」の生存・人権にも目を向けるべきではないですか。戦前日本の「過去の清算」と併せて、北朝鮮の「現代までの清算」をも含めてこそ初めて、本当の意味での清算・和解に繋がるのではないでしょうか。
これは何も、「米国のネオコンや、自民党・保守勢力、靖国右翼の尻馬に乗って、日本の核武装論や改憲論の後押しをしろ」と言っているのではありません。それら勢力とは一線を画しながらも、たとえばアムネスティなどの北朝鮮難民救援活動に協力するなど、家族会の立場でやれる事も一杯ある筈です。それが今のままでは、敢えてきつい言い方をすると、拉致被害者中心思考は何も変わらないまま、制裁路線から対話路線に乗り換えただけにしか過ぎないのではないでしょうか。それが蓮池さんの今の限界です。
実は、それを蓮池透さんに、質疑応答の場で聞くつもりでいました。しかし、上記の「崩壊しようが繁栄しようが別に構わない」発言を聞いて、それを聞くのを止めました。そして、以後の質問をメモするのも止めました。これは決して、蓮池さんを見限ったとか見損なったという事ではありません。そうではなく、拉致被害者救出運動は、あくまでも拉致被害者の救出を目的とすべきであって、それ以外の課題については、取り組める条件のある人が、それなりの立場で取り組めばよい、その上で、一致する課題については協力すればよいという、至極当然の結論に行き着いたからです。
別の場合で考えてみれば、それが良く分かります。原水禁運動とイラク反戦運動は、あくまで別の運動です。原水禁運動に直接イラク反戦運動の立場を持ち込んだり、その逆をやったりすべきではありません。その上で、「米国の覇権主義や軍拡に反対する」という一致点で、共闘出来るようならすれば良い。それだけの話です。
それを今までは、拉致被害者救出運動に、北朝鮮打倒や「過去の清算」、果ては靖国・教科書・慰安婦問題まで持ち込んで、運動家や政治屋が家族会を利用し、引き回していたのではなかったでしょうか。それを、今後はきちんとけじめをつけて、あくまでも被害者救出を主軸に据えて、その他の関連する課題については、出来る範囲で共闘する。その中でこそ初めて、蓮池透さんも、前述の限界を乗り越えて、更に一回り成長を遂げる事が可能になるのではないでしょうか。私も含めて、こんな当たり前の事が、何故分からなかったのだろう。