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生駒山越え暗峠酷道ハイキング

2015年04月26日 23時16分59秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ


 私は、最近はもう休みの日には、たまに映画を観る以外には、競馬をするか、ブログを書くか、集会やデモに行くか、だけでした。そこで気分転換も兼ねて、先日の公休日に近場に一人でハイキングに行って来ました。行って来たのは上の地図にある暗峠(くらがりとうげ)のハイキングコースです。奈良県生駒市の近鉄南生駒駅から、生駒山地の暗峠を越えて、大阪府東大阪市の「府民の森」や枚岡(ひらおか)神社を経て近鉄枚岡駅まで7キロ弱のコースです。「日本の道百選」にも選ばれた散策路で、棚田や寺院、旅籠(はたご)跡などを堪能できます。また、そこは全線が国道308号線に当るルートですが、国道とは名ばかりの「酷道」として、その手のマニアの間でも有名な所です。



 スタート地点の近鉄生駒線南生駒駅には午前11時過ぎに着きました。駅前の交差点に入口を示す道標があったので、その方向を目指します。最初は住宅地の中を進みます。道幅が狭いので、1.8メートル以上のロングボディーの車は通行できません。それでも小学校の前辺りまでは、まだ普通の生活道路の趣です。



 しかし、やがて徐々に上り坂となってきます。奈良県側は、大阪府側と比べると傾斜が緩やかと聞いていたのですが、実際はどうしてどうして、45度近い傾きの場所も少なくありません。道路の舗装も、既にアスファルト製から滑り止め入りのコンクリート製に変わっています。それでもまだ道は二車線”も”あり、南生駒駅から峠の集落まではコミュニティーバスも運行しています。統一地方選挙の期間中は選挙カーも麓からやってきます。



 途中には古い民家や石仏、卵や野菜の無人販売所などがあり、棚田が綺麗でした。眼下に奈良盆地が広がり、かなり高くまで来た事が分かります。但し、道はますます狭く、坂はますますきつくなり、もはや「国道」の面影はどこにもありません。一番困ったのがトイレです。ハイキングに来られる場合は、南生駒駅で必ず用を足して来る事をお勧めします。



 「本陣跡」の石碑を通過したら暗峠はもうすぐです。但し、頂上を信貴生駒スカイラインが縦走しており、ハイキングコースはそのガードの下をくぐる形になっています。せっかく「日本の道百選」にも選ばれていながら、わざわざ頂上まで来て高速道路に遭遇するのでは少し興ざめの感も。



 暗峠は、今でこそ裏寂れた「酷道」ハイキングコースですが、その昔は暗越(くらがりごえ)奈良街道として、大和郡山藩の参勤交代のルートにもなっていました。峠付近には旅籠が20軒近くもあり繁盛していたそうです。写真の石畳も当時の藩の工事によって作られた物だそうです。
 峠の集落には2軒の茶屋がありますが、私が行った時に営業していたのはこの1軒だけでした。その僅か1軒の茶屋も、たった一人のおじいさんが店番をしておられただけで、メニューにあるランチも「今日は作れる人がいない」との事で、冷やしうどんだけの昼食となりました。平日の休みにも関わらず、ハイキング客が結構立ち寄っていただけに、せっかくの商機が活かせず非常に残念な気がしました。
 


 この暗峠を境に、奈良県生駒市から大阪府東大阪市に入ります。先程も書いたように、傾斜が緩やかな奈良県側とは対照的に、大阪府側は急な崖になっています。峠を一直線に突っ切る奈良街道(国道308号線)も、大阪府側に入ると更に急カーブの連続となります。自動車もここからは麓まで下りのみの一方通行で、大きな雨や雪が降れば通行止めになります。もうここからは棚田も民家もほとんどありません。その峠の端に山桜が綺麗に咲いていました。



 上記は大阪府側の有名な撮影ポイントですが、さてどちらが国道でしょう?実は左の細い道の方が国道です。右の広い道は、周辺を「大阪府民の森」として整備した際に、工事車両が出入する為に作られた林道で、「夜間はゲート閉鎖される」と横の立て看板にありました。



 坂の途中には「弘法の清水」と呼ばれる湧水もあります。弘法大師ゆかりの清水だそうですが、私が行った時はこんなにチョロチョロとしか流れていませんでした。住宅開発や生駒トンネル、信貴生駒スカイラインの建設などで、水脈が枯れてしまったのでしょうか。



 大阪府側がいかに急坂かという事が上記の写真からもしのばれます。道路の所々に八土(大阪府八尾土木事務所)が設置した国道308号線の標識があるのですが、急な坂の所では標識も地面と垂直になるように傾けて立てられています。ここなどもそうで、37度の勾配になっているそうです。箱根登山鉄道などの傾斜の説明によく出てくるのは、あくまでパーミル表記(‰、千メートル進む毎に何メートル上がる)ですが、こちらはもう角度表記(百メートル進む毎に何メートル上がる)です。(右上写真の左端、黄色夜光塗料の路肩表示灯の横に傾けて立てられているのが、左上写真の八土116標識)



 道路に並行して走る電線の傾き具合からも、この区間の傾斜の凄さが分かります。既に通行規制区域に入っており、雨量が170ミリ以上になれば通行止めになります。冬には塩化カルシウムが融雪剤としてまかれます。「まき過ぎに注意」の看板もそこかしこに掲げられています。




 ここで少し苦言を呈します。急坂の下り一方通行で、行き違いや方向転換する場所がほとんどない点については、地形的に仕方がないと思います。しかし、舗装についてはもう少しどうにかならないのでしょうか。道路の舗装には滑り止めが全域に施されていますが、それが所々ひび割れており、おまけに排水溝が道路を斜めに横切っている所もあるのです。小さな排水溝なので鉄板のカバーもなく溝がむき出しになっています。四輪車なら難なく乗り越えるでしょうが、二輪車や自転車だと転倒の危険もあるのではないでしょうか。いくら”酷道”とは言え一級国道なのですから、国ももう少し大阪府側にも力を入れるべきだと思います。ところが実際は、工事のしやすい奈良県側の、それも集落と集落の間の中途半端な区間のみ、大々的に改修工事を行っているのが現状です。確かに奈良県側の方が住民(有権者)の数も多いですが、危険除去と言う点からすれば、むしろ大阪府側の舗装改修工事の方を優先すべきではないでしょうか。(上記写真の上段2枚が大阪府側、下段3枚が奈良県側)

 そんな大阪府側も、急カーブや急坂ばかりではありません。やがて道路の左側に暗渓(豊浦川)の美しい流れが現れ、神社や寺院も目につくようになります。お寺の中には水子地蔵や観音像、滝などもあり、自由にお参りできるようになっています。実は、昔からこの生駒山麓一帯は新興宗教のメッカで、宗教法人登録もしていないような小さなお寺が散在しています。私が行った時にも、水子地蔵の横には小さな鯉のぼりが飾ってありました。



 そのお寺の中でも慈光寺がとりわけ有名です(記事冒頭の地図にも載っています)。髪切山慈光寺(こぎりさんじこうじ)というのが正式な寺の名前です。何でも、役行者(えんのぎょうじゃ)という奈良時代の偉い坊さんが、地元で悪さをする鬼を懲らしめ、鬼の髪の毛を切って自分の家来にしたのを、村人が感謝して作られた寺なのだそうです。別名「ホトトギスの寺」と呼ばれるほど、野鳥が多いのでも有名なそうですが、あいにくハイキングルートから少し離れた所にあり、道標も一応あったのですが、そこには寺までの距離が書いてなかったので、私は今回はパスする事にしました。




 一級国道表示の標識番号が三桁から二桁に変わり、「菊の香に くらがり登る 節句かな」の松尾芭蕉の句碑を過ぎると、ゴールはもう間近です。道はやがて枚岡(ひらおか)公園の中に入り、沿道には休憩所や茶店なども見られるようになります。茶店ではタケノコも売っていました。茶店の前で、枚岡神社や近鉄枚岡駅に行く道と国道308号線が分かれます。他の行楽客はみな神社や駅の方に行く左の道をたどりますが、「酷道」探訪が目的の私は敢えて右の方にコースを取ります。



 やがて住宅地の中に入り近鉄奈良線のガードが見えてくると、もう後は左に折れて線路沿いに歩けば、すぐそこが枚岡駅です。今しがた下って来た道を郵便配達のバイクが行きます。こんな所を毎日配達するのは大変でしょう。駅前には枚岡神社の広い境内が広がっています。公園も神社も梅や桜で有名な所です。今度は花見の季節にもう一度来てみたいです。

 以上、「酷道」308号線の状況を見てきた訳ですが、この路線はこの先もずっと続きます。大阪市中央区の本町・堺筋本町付近を東西に横切る中央大通りと呼ばれる四車線の立派な道路がありますが、実はあれが国道308号線の起点です。308号線はその後、近鉄東大阪線や阪神高速道路に沿って東に伸び、生駒山の手前で第二阪奈道路と別れて、私が歩いてきた旧暗越奈良街道となるのです。そして奈良県側に入ると、南生駒の先でまた第二阪奈道路に合流します。(参考記事
 大阪から奈良に向かう車のほとんど全ては、第二阪奈道路の生駒トンネルを抜けてそのまま奈良県側に向かいます。国道の一部区間だけが旧街道の指定になっているに過ぎないのです。なぜ今までそんな状態で放置されてきたのか、私には分かりませんが、早晩、途中区間の国道指定も現状に合わせて第二阪奈道路の方に変更されるのではないでしょうか。個人的には、今の「酷道」の方が話題性があって良いと思うのですが・・・。
コメント (1)
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