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いつまでもイスラエルを甘やかしてはいけない

2023年12月13日 13時03分36秒 | 映画・文化批評

前回の記事の中で、「ガザの日常」という映画の感想について書いた。今回はもう一つのガザ関連映画「愛国の告白」を見た感想から書こうと思う。この映画は、ヨルダン川西岸地域を軍事占領するイスラエル軍の蛮行を、軍の兵士自身が告発したものだ。ヨルダン川西岸地域は、行政的にはパレスチナ自治区の大半を占めるが、実際はその6割はイスラエルの軍政下にある。軍政下ではパレスチナ自治政府の権限も及ばず、イスラエルの法も適用されない。そこでは住民は、軍による恣意的な連行や拷問に日常的にさらされる事になる。

その映画の中で、イスラエルの兵士が、深夜の2時や3時に、パレスチナ人(パレスチナに住むアラブ人)の家を家宅捜索する場面が出てくる。たとえ容疑が何もなくても、兵士は好き勝手に、その時の気分次第で、自由に家宅捜索できるのだ。その時も兵士は、いきなり家人を叩き起こし、家族を一室に集め、身分証の提示を迫った。母親が幾ら「子どもが寝ているから」と哀願しても、兵士は「子供も叩き起こしてここに連れて来い」と命令するばかり。子どもは怖がって泣き叫ぶ。ようやく捜索が終わると、兵士は何の法的根拠も示さず、何も押収できずに、ただ住民に嫌がらせをしただけで、「バイバイ」と言って家を立ち去る。

何故こんな無法が許されるのか?兵士が思い余って上官に質問したら、返って来た答えが「我々の存在を奴らに思い知らしめる為だ」。誰がここの支配者か、住民に思い知らしめる為だそうだ。しかし、こんな事を繰り返していたら、当然、住民から恨みを買う事になる。そして兵士も、何故こんな事をしなければならないのか?と悩み苦しむ事になる。

「イスラエルの論理」を徹底解説~たとえ世界を敵に回しても戦う理由とは?【豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】(2023年11月30日)

そんな兵士が集まって「沈黙を破る」という市民団体を立ち上げ、自分たちの行為をイスラエルの国内で告発し始めた。その様子を紹介したのがこの映画だ。しかし、何故そんな住民の嫌がる事をイスラエル軍は繰り返すのか?その答えが上記の動画の中にあった。上記の動画は、今回のガザ侵攻に至るイスラエルの論理を読み解いたものだが、その中に次のエピソードが登場する。

1956年にイスラエル南部のキブツ(集団農場)がパレスチナゲリラに襲撃され、イスラエル軍の中尉が殺された際に、当時のダヤン軍参謀総長が中尉の遺族に出した追悼文に、その答えが凝縮されている。以下、その追悼文の一部を紹介する。

「今日は殺人者(パレスチナゲリラ)を責めないでおこう。我々は彼らの燃えるような憎しみを否定する事は出来ない。彼らは8年間ガザの難民キャンプから出られず、目の前で、彼らと祖先が住んでいた土地や村を、我々が(自分たちの)財産に変えていくのを見ているしかなかった。(中略)我々は彼らの憎しみから目をそらしてはならない。弱くあってはならない。それが我々の世代の宿命である」

イスラエル軍がパレスチナ人から恨まれるのは、軍が彼らの土地を奪ったからである事も十分理解した上で、「我々はそうするしか自分の国を持てないのだ。だから、我々は弱くあってはならない。たとえ恨まれようとも、他人の土地を奪い続けるしかないのだ」と宣言したのだ。これは一種の居直り宣言だ。そこまでしても自分の国を持ちたいという事だ。なるほど、ユダヤ人にとっては悲壮な覚悟かもしれない。しかし、こんな手前勝手な理屈で土地を強奪されたのでは、パレスチナ人は堪ったものではない。

今となってはもうタラレバの話になってしまうが、イスラエル建国の地は必ずしもパレスチナでなくても良かったのではないか。ユダヤ人にとってはパレスチナの地こそが自分の故郷だと思いたいのは山々だろうが、もうそこには既にパレスチナ人が何世代にも渡って住みついている。ユダヤ人がその地を去り二千年近く経ってから、再びのこのこ現れ「ここは昔我々が住んでいたから自分たちの土地だ」と一方的に宣言し、パレスチナ人から土地を奪って良いものだろうか。

もし、そんな論理がまかり通るなら、ロシアのウクライナ侵略も同じように肯定しなければならなくなる。何故なら、ウクライナも、ロシアにとってはルーシ(キエフ大公国の別名。今のロシアの国名の語源にもなった)誕生の地に他ならないからだ。それは別にウクライナだけに限った話ではない。アフリカなんて、もうそんな土地だらけだ。そんな事を他の国も言い出せば、今の国際秩序はもうムチャクチャになってしまう。だからアフリカ諸国も、とりあえずは現国境を維持しながら、紛争は話し合いで解決するようにしたのだ。再び同じ過ちを繰り返してどうするのか。

では、イスラエルはどこに建国すべきだったのだろうか?私が考えたのは三つの地だ。その一つがエチオピア。エチオピアはアフリカ唯一のキリスト教国だ。モーゼの出エジプトでイスラエルを逃れたユダヤ教徒がエジプトで広めたのがコプト教で、そこから更に枝分かれしてエチオピアに広まったのがエチオピア正教だ。同じキリスト教国であるエチオピアの、人口希薄なアビシニア高原外縁部に建国すれば、エチオピアを周辺のイスラム教国から守る盾として機能したかもしれない。実際イスラエルは、かつてのエチオピア政府とエリトリアの内戦に際しても、エチオピア側を支援している。

二つ目がヨルダン。ヨルダンも元々は英国委任統治領パレスチナの一部だった。英国の三枚舌外交(注)により、フセイン・マクマホン協定でアラブの王族にも独立を保障しなければならなくなり、ヨルダン川より東側にトランスヨルダン首長国が作られた。これが今のヨルダン・ハシミテ王国、つまり今のヨルダン国家の原型だ。

(注)英国は第一次大戦時に、ユダヤ・アラブの双方から戦争協力を取り付ける為に、オスマントルコ領内に住む双方の民族に独立を約束しながら、フランスとも裏で領土分割の密約を結んでいた。その密約の存在がばれて「三枚舌外交」と非難を浴びる事になった。

しかもヨルダン人口の過半数はパレスチナ難民だ。だったら、何もパレスチナの地にイスラエルを建国しなくても、隣のヨルダンにイスラエルを建国すれば、パレスチナ人はユダヤ人に土地を奪われずに済む。その代わりに、ヨルダンに住むアラブ人がユダヤ人に土地を奪われる事になるが、アラブ人がパレスチナに移住すれば済む話だ。勿論その移転費用はユダヤ人が負担すべきだ。ユダヤ人も、故郷のパレスチナの地には建国出来なかったが、そのすぐ隣の、今のイスラエルよりも更に広い国土に建国出来るのだから、そう悪い話ではないはずだ。

三つ目が今と同じパレスチナ。イスラエルはヨルダン川西岸・ガザを含む全パレスチナの地を現行通り領有する。パレスチナ人は西岸・ガザも放棄して、ヨルダンの地にパレスチナ国家を樹立する。パレスチナ人にとってはイスラエルに譲歩した形になるが、その代わりに、今の西岸とガザの狭い飛び地ではなく、それよりもはるかに広大でまとまった土地を確保出来るのだから、これもそう悪い話ではないはずだ。

今のイスラエルやヨルダン、シリア・レバノンなどの諸国家も、第一次大戦前まではオスマントルコ帝国領の一部だった。それが英国の三枚舌外交によって英仏の勢力圏に分割され、今の諸国家誕生に繋がった。その国家の枠組みを一部入れ替えるだけだ。こうする事で、ヨルダンも、ハシム王家の専制国家に過ぎない今のハシミテ王国から、名実ともに全パレスチナ人の国家に生まれ変わる事になる。

この場合も、イスラエルは、ヨルダンへの移住を決断したパレスチナ人に、損害賠償をしなければならない。無一文のまま有無を言わさず放り出されたら、そりゃあパレスチナ人が怒るのも当然だ。移転に伴う補償をちゃんと行えば、パレスチナ問題もここまでこじれる事はなかったのではないか。

今述べた三つの案は、あくまでも個人的な代替案だ。「自分の国を持ちたい」というユダヤ人の悲願と、パレスチナ人の生存権保障を同時に実現しようとするなら、無理にパレスチナの地を分割しなくても、他にも色んな選択肢があったのではないか?何故なら、ユダヤ人が望むものはあくまでも「自分たちの独立国家」であって、ユダヤ教の聖地はその象徴に過ぎないからだ。ユダヤ人とパレスチナ人の共存が不可能なら、もう別の地にユダヤ国家を作るしかない。

それを示す為に敢えてこの代替案を提示した。でも、国際社会はそれすら選択せず、あくまでもパレスチナでのイスラエル建国にこだわり続けた。その結果どうなったか。イスラエルは分割案よりも更に広い土地を今も占有し続けている。パレスチナ人に与えられたのは、形だけのパレスチナ自治区と、イスラエルによる軍事占領だけだった。

今回ハマスが襲撃したイスラエルの村々は、パレスチナとの二国家共存を支持する人の割合が比較的高かった地域だ。ガザが経済封鎖される前は、ガザのパレスチナ人とも日常的な交流があった地域だ。そんな地域に対しても、ハマスは容赦なく憎しみの刃を向けた。そこまで憎しみ合っている状態では、もはや二国家共存なぞ絵空事に過ぎない。

しかし、ハマスをここまで追い詰めてしまったのも、元はと言えば、イスラエルが1993年のオスロ合意を反故にして、以後もパレスチナ人に嫌がらせを続けてきたからだ。2000年に、当時のイスラエル首相シャロンが、イスラム教の聖地「岩のドーム」を訪問して、「ここはイスラエルの地だ」と挑発したからだ。先述の「沈黙を破る」などの市民団体の努力をも無にしかねない、今回のハマスの蛮行は到底許す事は出来ないが、そのきっかけを作ったのは、あくまでイスラエルだ。

国連は北朝鮮によるミサイル発射を安保理決議違反と断じ、同国に経済制裁を発動している。ならば、イスラエルによるヨルダン川西岸の軍事占領やガザ侵攻についても、同じ国連安保理決議違反として、経済制裁を発動すべきではないか。トルコも日本と同じ西側同盟国で、NATO(北大西洋条約機構)にも加盟しているが、今回のイスラエルのガザ侵攻については堂々と批判している。日本も、平和国家を任ずるなら、これぐらい強い態度に出るべきではないか。

欧米諸国がイスラエルに甘いのは、かつてのナチのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)やそれ以前のユダヤ人迫害に対する負い目があるからだ。しかし、今イスラエルがパレスチナ人に対してやっている事こそが、ナチのホロコーストと同じではないか。このイスラエルの蛮行を止めるためには、国際社会が結束して、イスラエルに対する経済制裁に踏み切らなければならない。日本政府もそれぐらいは呼び掛けるべきではないか。いつまでもイスラエルを甘やかしてはいけない。

追記

イスラエル建国の地の候補に、エチオピア・ヨルダン・パレスチナと三箇所上げたが、それ以外にドイツ・イギリスも追加しておく。その理由は、パレスチナ問題がこじれるきっかけを作ったのが、この二カ国だからだ。イギリスは前述の三枚舌外交、ドイツはナチのホロコーストによって。だったら、その責任も、この二カ国が領土割譲の形で最後まで負うべきだろう。

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