【湯崎英彦広島県知事 挨拶】「核廃絶は遠くに掲げる理想ではない」被爆79年 2024年広島平和記念式典 |2024年8月6日
以下は今年8月6日広島原爆慰霊式典での湯崎英彦・広島県知事の挨拶全文です。
79回目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠(まこと)を捧げます。そして、今なお、後遺症で苦しんでおられる被爆者や御遺族の方々に、心からお見舞いを申し上げます。
原爆投下というこの世に比類無い凄惨な歴史的事実が、私たちの心を深く突き刺すのは、「誰にも二度と同じ苦しみを味わってほしくない」という強い思いにかられた被爆者が、思い出したくもない地獄について紡ぎ出す言葉があるからです。その被爆者を、79年を経た今、私たちはお一人、お一人と失っていき、その最後の言葉を次世代につなげるべく様々な取組を行っています。
先般、私は、数多の弥生人の遺骨が発掘されている鳥取県青谷(あおや)上(かみ)寺地(じち)遺跡を訪問する機会を得ました。そこでは、頭蓋骨や腰骨に突き刺さった矢尻など、当時の争いの生々しさを物語る多くの殺傷痕を目の当たりにし、必ずしも平穏ではなかった当時の暮らしに思いを巡らせました。
翻って現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、矢尻や刀ではなく、男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。
いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。
私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。
にもかかわらず、核廃絶に向けた取組には、知的、人的、財政的資源など、あらゆる資源の投下が不十分です。片や、核兵器維持増強や戦略構築のために、昨年だけでも14兆円を超える資金が投資され、何万人ものコンサルタントや軍・行政関係者、また、科学者と技術者が投入されています。
現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。
ある沖縄の研究者が、不注意で指の形が変わるほどの水ぶくれの火傷を負い、のたうちまわるような痛みに苦しみながら、放射線を浴びた人などの深い痛みを、自分の痛みと重ね合わせて本当に想像できていたか、と述べていました。誰だか分からないほど顔が火ぶくれしたり、目玉や腸が飛び出したままさまよったりした被爆者の痛みを、私たちは本当に自分の指のひどい火傷と重ね合わせることができているでしょうか。人類が核兵器の存在を漫然と黙認したまま、この痛みや苦しみを私たちに伝えようとしてきた被爆者を一人、また一人と失っていくことに、私は耐えられません。
「過ちは繰り返しませぬから」という誓いを、私たちは今一度思い起こすべきではないでしょうか。
令和6年8月6日
広島県知事 湯 崎 英 彦
鳥取県の弥生時代の遺跡で、頭蓋骨や腰骨に刺さった矢尻の痕跡を見て、戦争の悲惨さと平和の大切さを身に染みて感じた事。その戦争が今もなお続き、強者が弱者の、大国が小国の生存権を踏みにじっている事に怒りを燃やし。軍備増強や核抑止(核武装)を煽る偽の現実主義者に対して、核廃絶こそ真の現実主義だと喝破。県知事は、それを自分の言葉で、式典に参列した各国代表に語りました。
その各国代表の中には、今もパレスチナのガザで学校・病院や難民キャンプを空爆し、大勢の子供を含む民間人を殺戮しているイスラエルの駐日大使もいます。駐日大使は時々目をつむりながら、神妙な顔つきで、県知事の言葉を渋々聞いていたように見受けられました。
今年はイスラエルの参加を巡って広島と長崎で対応が分かれました。広島は招致し、長崎は拒否。ウクライナを侵略したロシアの参加を拒否するなら、ガザを侵略したイスラエルも同等に拒否すべきです。勿論、イスラエルのガザ侵攻はハマスによるテロがきっかけですが、そのテロを招いたのも、それまでのイスラエルのパレスチナに対する度重なる侵略・占領が原因です。
イスラエルは、今も盛んに過去のナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者である事を強調しますが、同じ事をパレスチナ人に対して行っています。別にパレスチナ人がナチスのホロコーストに加担した訳ではないのに。パレスチナ人からすれば、イスラエルこそが現在のナチスです。そんなイスラエルに、原爆慰霊式に参加する資格なぞあろうはずがありません。
それでも参加すると言い張るなら、イスラエル代表に平和教育の「特別補習」を受けさせるべきです。式典参加だけでなく原爆資料館もじっくり見学させ、その感想をびっちりノートに書かせて公開させるべきです。そして被爆者やパレスチナの代表とも対話させるべきです。これはイスラエルだけでなく、他の核保有国の代表や、日本の岸田首相にも義務付けるべきです。
そうすれば、核保有国が日頃宣伝している「核抑止」の実態がさらけ出され、被爆者や被侵略者から糾弾され、そこで初めて自分たちが世界の中で孤立している事が身に染みて分かるのです。日頃は「非核三原則遵守」を謳う日本政府が、実はどちら側の味方であるかも、そこで初めて国民の前にあらわになります。
マスコミも、いまだに能登半島地震の被災者に避難所住まいを強いながら、水泳選手にも大腸菌だらけのセーヌ川での競技を強いるような、偽善に満ちたパリ・オリンピックの中継を垂れ流す暇があるなら、こちらのニュースこそもっと大々的に報道すべきです。今やオリンピックに「平和の祭典」を騙る資格はありません。原爆慰霊式と原水禁大会こそが真の「平和の祭典」です。