アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

3S政策の下で三面記事に流される三流国の惨状

2017年11月06日 00時35分16秒 | 戦争法ではなく平和保障法を

 

 突然ですが、11月3日の文化の日に、下記の集会やデモがあった事を知っていた人、一体何人ぐらいいますか?

「9条改憲ノー」響く/4万人が国会を包囲/全国で行動 国民の意思示す

 安倍政権による9条改憲に反対する行動が3日、全国各地で取り組まれました。国会周辺で行われた包囲大行動には、続々と人がつめかけ4万人(主催者発表)が集まりました。4野党の党首らや著名人などがスピーチし、「国会内外が力を合わせ、改憲発議そのものを阻止しよう」と訴え。総選挙で改憲勢力が3分の2を占めたもとで、改憲に反対する国民の意思を示す行動となりました。
 国会周辺の大行動は、「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」と総がかり行動実行委員会の共催です。首都圏からだけではなく、全国各地から集まった人びとで歩道や公園はいっぱいになりました。若者や子どもを連れた人も参加し、「9条改憲NO!」「憲法守り生かせ」などが書かれたプラカードを掲げました。
 主催者あいさつした、全国市民アクション運営委員の高田健さんは、総選挙では市民と野党の共闘への分断がありながらも、これまでの共同の積み重ねから新しい勢力が生まれるなど、「大きな可能性をもった選挙でした」と指摘。「改憲勢力が3分の2を占めましたが、野党と市民の結束は大きく発展しています。改憲発議を阻止するたたかいをしよう」と訴えました。
 国内外から、さまざまな人がスピーチしました。韓国で朴槿恵(パク クネ)政権を退陣に追い込む市民運動にかかわった、金泳鎬(キム ヨンホ)さんは「日本国憲法9条は、アジアの平和の宝です。戦後の平和体制の柱です」と訴えました。
 ピースボート共同代表の川崎哲(あきら)さんは、「日本政府が核兵器禁止条約に参加せず、憲法9条を変えようとしていることは戦後の誓いに逆行している」とのべました。
 和歌山市から参加した大学院生(24)は、「今の政治は、そもそも憲法を守っていません。それなのに改憲を主張するなんておかしい」。地元では、安保法制に反対するサウンドデモや学習会を定期的に取り組んでいるといいます。「国会前の雰囲気を持ち帰って、これからも続けていきたい」(以上、11月4日付しんぶん赤旗一面=上記左上の写真より)

「戦争反対」共同広げに広げよう/大阪 2万人コール

 「9条改憲を許さない!11・3おおさか総がかり集会」(実行委員会主催)が大阪市北区の中之島公園芝生広場で開かれました。4野党代表が参加し、野党と市民の共同で安倍政治を終わらせようと訴えました。
 2万人の参加者がコールに合わせていっせいに「憲法こわすな」「戦争アカン!」のプラカードを突き上げ、集会後、3コースに分かれて繁華街をパレードしました。
 「戦争させない1000人委員会・大阪」の米田彰男共同代表が主催者あいさつし「9条改憲反対統一署名の3000万目標達成へ、大きく運動を組織していこう」と呼びかけました。「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」発起人で評論家の佐高信氏がゲストスピーチし、各分野の代表がリレートークしました。
v 日本共産党の辰巳孝太郎参院議員、立憲民主党の辻元清美衆院議員、社民党の服部良一元衆院議員、自由党の渡辺義彦元衆院議員の野党代表がそれぞれあいさつ。辰巳氏は「さらに市民と野党の共闘を広げに広げて、安倍暴走政治、憲法改悪をストップさせるために引き続きがんばろう」と訴えました。(以上、同上社会面より)

 かく言う私も、東京の国会包囲デモの事は知っていましたが、大阪でも同じような催しが行われた事や、どちらも万単位の人数が集まった事は、昨日、上記の赤旗記事をネットで読むまで知りませんでした。

 何故なら、一般の新聞・テレビは、トランプ米国大統領に先立ち、娘のイバンカが大統領補佐官として来日して安倍と会談した事(11月4日付読売朝刊一面=上記右上の写真)や、神奈川県座間市のマンションで起こった女性9人の連続殺人・遺体遺棄事件ばかり報道していましたから。

 別に報道するなとは言いません。しかし、マスコミが社会の公器や木鐸(ぼくたく)を自認する以上は、トランプ外交の問題点や、連続殺人事件の裏にある自殺・行方不明者増加の社会的背景についても、掘り下げて報道すべきでしょう。ところが、どのマスコミ報道にも、そんな視点はほとんどありませんでした。ただひたすら、イバンカのファッションセンスや、安倍との会食の様子や、容疑者による遺体遺棄方法のおぞましさだけを、興味本位に伝えていただけでした。

 そして、前述のデモについては、東京の国会包囲行動には4万人、大阪・中之島の集会・デモにも2万人が参加したにも関わらず、ほとんどのマスコミは報道しませんでした。大統領でもない補佐官の娘の来日や、9人の猟奇殺人のニュースなんかよりも、大勢の人間が犠牲になる戦争や、それにつながる憲法改悪を食い止めようとする集会・デモのニュースの方が、この国の将来にとって、はるかに重要であるにも関わらず。

 もっと言えば、この集会・デモが行われた11月3日が、一体どんな日であるかという事も、本当はもっと伝えられなければならないのに。この11月3日の祝日は、今でこそ「文化の日」という名前になっていますが、戦前は明治天皇の誕生日として、「明治節」という名前で呼ばれていました。当時は、学校に通う子どもは全員学校に登校して、講堂で天皇の写真に最敬礼して、君が代を唄わなければなりませんでした。もし最敬礼の途中で、くしゃみをしたり鼻水をすすったりしようものなら、教師にぶん殴られました。だから、最敬礼が終わった途端に、講堂のあちこちで、子どもたちの鼻水をすする音がしたそうです。そうして、当時の子どもは、鼻水を我慢して、ようやく最後に配られる祝いの紅白饅頭にありつく事ができたのでした。当時は、祝日と言うよりも、むしろ拷問に近いような日だったのです。

 そんな天皇中心、人権無視で戦争に明け暮れた世の中から、国民が国の主人公になり、個人の人権が尊重される平和な世の中に変えるべく、今の日本国憲法が11月3日に公布されたのを機に、「平和や自由の尊さについて語り継ぐ日」として、「文化の日」という祝日が創設されたのです。戦前の「紀元節」への反省も込めて。一般には、5月3日の憲法施行の日が「憲法記念日」として祝われるようになりましたが、実は11月3日も、それに負けず劣らず重要な日だったのです。

 「3S政策」という言葉があります。国民に政治への関心を持たさないように、政府がマスコミに対して、わざと「セックス・スポーツ・シネマ(映画)」関係のニュースばかりを流すように仕向けたのを皮肉った言葉です。マスコミも、下手に政府を批判して政府ににらまれるよりも、下ネタや芸能ニュース、三面記事で視聴率を稼ぐ方が、楽に仕事ができて金もうけにもなります。民主主義の伝統の浅い日本のような国では、特にそうなりがちです。「ただ、のんべんだらりとテレビを観ているだけでは、国民は白痴になる」という意味の事を言った人が昔いましたが、正にその通りだと思います。

 そうならないようにするには、国民の方も、マスコミが伝えない事も、知ろうとする努力が求められるでしょう。そして、マスコミ本来の責任が果たせるように、マスコミを監視していかなければなりません。それも、ただ受け身の姿勢でマスコミをけなすだけでなく、優れた新聞記事やコメンテーターには逆に声援を送るようにしなければなりません。そうして、自分達でマスコミを、ひいては日本の民主主義を育てていくという気持ちを持たなければ、このままでは、この国は本当にダメになってしまいます。

(注)先程、記事本文中の次の誤りを訂正しました。×紀元節→⚪︎明治節、×今の日本国憲法が11月3日に施行された→⚪︎~11月3日に公布された、×5月3日の憲法公布の日→⚪︎~憲法施行の日。

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3 コメント

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あるみさん、しんきちさんへ (プレカリアート)
2017-11-08 07:30:11
早速、ご指摘の箇所を訂正しました。×紀元節→⚪︎明治節、×今の日本国憲法が11月3日に施行された→⚪︎~11月3日に公布された、×5月3日の憲法公布の日→⚪︎~憲法施行の日。記述の誤りを教えて下さり、有難うございました。
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申し訳ありませんが・・ (しんきち)
2017-11-06 20:49:56
お書きになっている内容、強く同感します。ご自身のお仕事や生活もいろいろと苦労されているようですが、ぜひ無理のない範囲で、また記事の掲載をお願いします。

粗探しをするようで申し訳ないですが、戦前の、陽暦(以下同じ)11月3日は、1911年までは「天長節」、1927年以降は「明治節」という名の祝休日(いわゆる旗日)でした。名前から分かるように、明治天皇=睦仁氏の誕生日だったためです。ちなみに、彼は替え玉だったとの説も喧伝されていて、「万世一系」など、虚構でしかない事が、よく分かります。
「紀元節」は、2月11日で、こちらは周知のように、歴史的根拠の全くない、古代日本の「建国の日」から来ています。

それと、5月3日は、「現行憲法」の「施行」記念日です。1947年のこの日に、現憲法が施行された、効果を持つようになったわけですね。で、11月3日ですが、その半年前の、1946年11月3日に、現憲法が「公布された日」です。即ち、半年後には、こういう内容の憲法を施行しますよと、国民に広く公表したと。

ですから、記事にもお書きになっているように、戦後の「文化の日」は、基本的に、現憲法の公布記念日と考えるのが良いと思います。実際、護憲派と言われる人たちが、集会などをする時には、憲法の公布された日を理由に、(5月3日と共に)この日に集会をすることが多いですね。

長くなってすみません。お仕事で、お疲れのことと思いますが、これから寒くなっていきます。どうかくれぐれもお体に留意され、願わくは無理のない範囲で、今後とも良きご活動を。祈っています。
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Unknown (あるみさん)
2017-11-06 16:50:12
明治天皇の誕生日(11月3日)は「明治節」と呼んでました。「紀元節」は、2月11日ですね。
この日に合わせて現憲法を「公布」し、それを記念して「文化の日」となったわけですが、またぞろ「明治150年」を記念して「明治の日」にしようとする策謀がありますね。
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