5月1日は本来、労働者の祭典、メーデーの日のはずです。今から百年以上も前の、この日に、米国シカゴの労働者が、世界で初めて8時間労働制を求めて立ち上がったのを記念して、全世界の労働者がメーデーを盛り上げて来ました。今年も大阪だけでも、4月27日には連合系のメーデー集会に3万人以上が、本日5月1日にも全労連系の集会に、雨天にもかかわらず3500人もの人々が集まりました。少なくとも「私たちの暮らしと権利を守る」という意味においては、「今年だけ、日本だけ、天皇家だけ」の令和改元、新天皇即位のニュースよりも、こちらのニュースの方が、はるかに重要なはずです。ところが、マスコミは前者のニュースばかり取り上げ、後者については完全に黙殺しています。今も8時間労働制が守られているとは、お世辞にも言えないのに。こんな有様で、本当に日本は民主国家であると言えるのでしょうか?これでは、まるで戦前の大日本帝国や今の北朝鮮と、ちっとも変わらないではないですか。
私の周辺を見ても、とても令和改元のバカ騒ぎに興じる気にはなれません。私の住んでいるのは大阪・西成の「あいりん地区」です。直ぐ近くには、あいりん総合センターもあります。このあいりんセンターの建て替え・仮移転工事を巡り、当局と一部労働者の間で対立が続いています。仮移転阻止を掲げる一部の労働者が、今もセンター封鎖に抗議しています。5月1日には、この「あいりん地区」でも釜ヶ崎メーデーが開催されました。この労働者たちにとって、令和改元や新天皇即位に、一体どれほどの意味があると言うのでしょうか?
そして、この私も、ダブルワーク先のクリーニング工場で契約更新を保留されました。作業が遅いからだそうです。しかし、最近は特に何も言われませんでした。確かに洗浄すべき洗濯物が滞留した事も度々ありました。しかし、それは必ずしも私の責任だけではありません。洗濯物の移送量に偏りがあり、いつも一時に移送が集中するからです。第一、1日3時間、週2日勤務の新人の私と、フルタイムで何年も前から勤めているベテランのバイトでは、作業スピードに差が出るのは当然ではないですか。その差を埋める為の教育もろくにせず、2日前にいきなり「契約を保留する」と言われたのです。一応、1ヶ月の様子見と言う事にはなりましたが。まるで、いきなり後ろからこん棒で頭を殴られたような気分です。次また何か言ってきたら、もうこちらから退職届を叩きつけてやるつもりです。所詮、副業のダブルワークです。本業と同じ様になんて動ける訳ないでしょう。フルマラソンじゃあるまいし。先方もそれを承知の上で、短時間雇用で私を雇ったくせに。私はチャップリンの喜劇「モダンタイムス」に出てくる「人間歯車」ではありません。
そういう事もあって、今年のメーデーにはガチ本気で、自作のプラカード持参で参加しました。
皐月の令月(れいげつ)にしてメーデーの粉(こ)を披(ひら)き 安倍の嘘に怒りの香(こう)を薫(かお)らす
非正規にはGWも10連休も無い 何が令和だバカヤロー!
これが、私が作ったプラカードの文面です。上段の「令月」云々は、令和の元になった万葉集の歌詞をもじったものです。写真の赤字部分がその歌詞です。安倍はさも自信たっぷりに、「初めて日本の国書である万葉集から新元号を選んだ」と力説していましたが、その万葉集の歌詞も、実際は漢詩集「文選」からの孫引きである事が、すっかり明らかになってしまいました。ちなみに、そのプラカードに挿入した挿絵の「昆虫人間」は、ベトナム人バイトがかつてトイレに落書きした擬人画を私がデフォルメしたものです。今後は「アン・ロイ・二ェ」人形と名付け、ブログのマスコットキャラクターとして使わせてもらう事にしますw。
こんな状況下で、令和改元を祝う気持ちなぞ、今の私には微塵もありません。ホームレス排除の現場を見せつけられ、自身も契約保留の憂き目に遭う中で、何で赤の他人の天皇家への祝賀を強要されなければならないのか?この国の主権者は、あくまでも天皇ではなく国民です。
元号そのものが中国由来で、その中国も前近代的で時代遅れだと使わなくなったものを、いまだに日本だけが後生大事に固執しているのです。しかも、「新元号は漢籍からではなく国書から選んだ」と言いながら、相変わらず漢字に固執して。中国の影響を一掃しようとすると、漢字はおろか平仮名・カタカナも使えなくなります。これらも、元は漢字を超簡略化したものに過ぎないからです。大体からして、たかが一総理大臣に過ぎないのに、「文化的影響を一掃する」と、まるでタリバンやISみたいな事を言いだす事自体が、そもそもおかしいのです。元号については、これぐらいにしておきます。
かつて私が勤めていた大阪いずみ市民生協の労働組合も、このメーデーには参加していますが、もはや生協を退職して××年。今の生協には知人はほとんどいません。飛び入り参加の私は、そう思い、生協労組の隊列からも離れ、メーデー会場となった扇町公園グラウンドの片隅に一人たたずんでいました。そうしたら、同じく一人で参加の鍼灸師の方と偶然知り合いになり、腰痛談議で俄然話が盛り上がりました。
その方は、住之江診療所から分かれた春風民主鍼灸センターの院長先生でした。その院長先生が仰るには、昔、大阪いずみ市民生協にも、住之江診療所から出張診療に来ていた時期があったそうです。その院長先生の背中には、署名集めの幟(のぼり)がはためいていました。鍼灸治療にも健康保険の適用を求める署名です。現在、鍼灸治療には保険は適用されていません。国が鍼灸をまともな医療とはみなしていないからです。だから診療報酬も安いままです。今でこそ千円に上がりましたが、かつては1人治療しても300円ほどしか医師には報酬が支払われませんでした。まともな鍼灸治療を受けようとすればするほど、高額の医療費を負担しなければならない仕組みになっているのです。この私も、隔週日曜日ごとに、1回6千円もの治療費を実費で負担しながら、今も実家近くの鍼灸院に通っています。
ところが、この雨では署名集めは、もはや不可能です。院長先生は「5月3日の憲法集会にも参加するので、署名もその時に集める」と仰っていました。そこで、お互い一人なので、協力してメーデーの写真を撮る事にしました。メーデーの私の写真も、この時に院長先生に撮ってもらったものです。
そうこうするうちに、メーデー集会が始まりましたが、雨はいよいよ本降りとなって来ました。その為、集会演説のメモや写真は、今年はほとんど取れませんでした。その中で、最初に登壇した集会実行委員長の菅義人さんの発言だけが記憶に残っています。「誰でも8時間働いたら、まともに食っていける賃金と労働条件を」というのが、演説の内容ですが、私はその演説の中身よりも、菅さんが実行委員長として登壇した事自体が驚きでした。何故かと言うと、この菅さんこそ、私が生協に勤めていた時の労働組合委員長だったからです。この菅さんには、私も在任中に少なからずお世話になりました。当時は若かった彼も、今や白髪交じりです。(写真を撮りそこねたのでMBSニュースの画像を拝借しました)
しかし、その雨も、デモ行進が始まる頃にはすっかり止んで、何とか写真撮影が出来るようになりました。それでも片手に傘を持ちながらの撮影なので、なかなか良い写真が撮れませんでした。最後には、折角お知り合いになった院長先生とも、はぐれてしまいました。メーデーのデモ行進は扇町公園を出て堺筋を北上し、天六で都島通りを西に折れ、すぐ先の中崎町でもう流れ解散となりました。いくつかに分かれたデモコースの中で、どうやら最短のコースを選んでしまったようです。デモが終わった後、今通っている天下茶屋の整骨院がGW明けまで休みなので、早速、前述の院長先生の鍼灸院で診てもらおうと、くだんの鍼灸院を訪ねましたが、そこも残念ながら休業中でした。