



既に終戦記念日当日の掲載になってしまいましたが、下記の声明が出ていますので、こちらでもそれを転載・拡散させて貰います。
ちょうどその終戦記念日に、母親大会連絡会のお母さん方が大阪・難波高島屋前で、「平和憲法を守って原発や核兵器を廃絶しましょう」と、この炎天下をものともせずに、上記のチラシをまいて署名を集めておられました。
政府や右翼・御用マスコミは、とかく終戦記念日を靖国参拝一色で塗り潰そうとしますが、今の福島原発事故やブラック企業も、常に権力者が庶民に犠牲を強いるという意味では、昔の靖国神社と全く同じだという事を絶対に忘れてはなりません。
「会社の為に死ね」と言われたらまだ拒否できるのに、何故「お国の為に死ね」と言われたら拒否できないのか。逆に拒否する人間への暴力を容認できるのか。そうやって「長い物には巻かれろ」で来た結果が、かつての戦争や今のブラック企業横行の体たらくではないか。
★☆★☆★☆★☆(転送・転載大歓迎)★☆★☆★☆★☆
「8.15反『靖国』行動」への右翼妨害や弾圧を許さず、参加を呼びかける声明
安倍政権が参院選に圧勝した事で、憲法改悪、戦争、ナショナリズムの一層の推進が危惧されています。また街頭では「在特会」などの右翼が在日朝鮮人・外国人にヘイトスピーチを浴びせかけています。そしてこれらが最も暴力的に展開されるのが、毎年8月15日の靖国神社反対デモであり、それは最早限度を超えています。私たち参加者有志は妨害の暴力の停止を求めるとともに、より多くの方が実態を知り、今年の『ゴメンだ! 安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動』にもともに参加する事を呼びかけます。
★デモに対する凄まじい右翼暴力に反対を
靖国神社は戦前の侵略戦争で戦死した人々を「英霊」として祭り上げ、アジアへの侵略戦争と植民地支配を賛美し、天皇を始めとした戦争指導者の責任を免罪しています。そして敗戦日当日の8月15日は閣僚や首相が参拝・黙とうし、靖国神社と侵略戦争を肯定し続けてきました。そこで当日は朝から様々な抗議行動・デモが行われ、午後は「8.15反『靖国』行動」の集会とデモが行われ続けてきました。それに対して機動隊が過剰警備で阻止したり、靖国を参拝する街宣右翼がデモの沿道から暴行目的の突入を試みる妨害が繰り返されてきました。
そしていわゆる「在特会」などの新たな草の根右翼グループが街頭デモを始めた2009年頃から、ネット上の呼びかけなどでデモ中の妨害者が激増し妨害内容もエスカレートしました。靖国神社に最も近い九段坂下の交差点の四方に数百人もの妨害者が陣取り、凄まじい罵声とともに缶やペットボトルを投げつけてくる。デモグッズを奪い取る。街宣右翼もそれと張り合うかのように突入してきて、09年はデモ終了後に参加者が殴られて鼻の骨を折る大ケガを負いました。2011年は右翼の突入後の現場に何とナイフが落ちていた事が確認されました。私たちは「8.15デモ」がいま最も暴力を受けるデモになってしまったと思っています。
毎年の写真はこちら:http://www.mkimpo.com/diary/2012/yasukunix2012.html
いま「ヘイトスピーチ」が問題になっていますが、「8.15デモ」に対してもネットでの妨害予告や殺人教唆が行われ、今年もすでにネット上に溢れています。毎年同時期に行われる「靖国キャンドルデモ」に対しても、今年は右翼が車で突入を試みたと言います。今年の「8.15デモ」も集会の段階から深刻な妨害が予想され、それは開催前から参加者と主催者に多大な心労と被害を与えています。民主社会の根幹であるデモを文字通りの暴力で圧殺することは絶対に許されません。
また右翼暴力の多くが警察に放任されていることも見過ごせません。すでに今年6月の新大久保でも「在特会」らのデモが許容される一方でデモに抗議した側が4名も不当逮捕され、右翼が「被害届」を提出して警察が運動側の立件を狙う事も東西で起こっています。2011年の「8.15」の右翼所持品と思われるナイフは公安警察が拾ってバッグに隠して不問にしてしまいました。また2012年の<「危機」の時代の天皇制を問う!2.11反「紀元節」行動>では、未公表のデモ出発時間が右翼のブログに掲載され、デモコースも未公表なのにコース上で妨害右翼が待ち受けていました。デモ申請後に公安警察が情報をリークしたとしか考えられません。右翼暴力に乗じての弾圧も常に懸念されるのです。
★靖国神社は問題の根源。ぜひ多くの参加を!
首相や閣僚がどれだけ国内外から批判されても靖国参拝を続けるのは、権力者が支配体制を維持するための核心的行為だからです。靖国反対デモが右翼から凄まじい暴力を受けるのも、靖国への反対は権力者にとって「あってはならない事」になっているからです。「靖国神社への反対は死者への冒涜だ」「遺族や人々が個々の死者を追悼したい気持ちを踏みにじることになる」という批判がよく聞かれます。しかしこれは大きな事実誤認です。靖国神社は個別の死者を祀る場所ではなく、天皇のために死んだ者だけが選ばれ「英霊」と一まとめに祀られています。つまり死者を選別して個別性を奪い、国家のための死を優先し、私たちにそう思わせるのが靖国神社の機能なのです。それを通して戦前の戦争を正当化し、新たな侵略戦争で自衛隊員が死んだ際も活用されうるのです。
天皇制から安倍晋三まで、日本の権力者が戦前から継続していることは知られており、靖国神社はその核です。国家主義を極めている今の安倍政権下では、反対デモへの暴力と弾圧の危険性もより高まります。いわば現在の「8.15」と反対デモへの妨害は、原発事故の責任を取らず憲法改悪や貧者の切り捨てに突き進む安倍政権と日本国家の暴力的な本質と起源が、最も露呈する場だと言えるでしょう。だからこそ「8.15デモ」は今年もこれからも無事に大きく行われなければなりません。私たちは参加者としても「8.15デモ」への右翼暴力の停止を求めるとともに、多くの方々が暴力に反対することを呼びかけます。そして多くの方にご参加いただき、暴力や弾圧を止めながら問題の根源へ迫ることを、願わくば「3.11」原発事故後の酷い状況を変えたいと新しく社会運動に参加し始めた方々や、「在特会」らのヘイトスピーチに心を痛めてカウンター行動に参加し始めた方々にもぜひともに参加して頂くことを呼びかけます。
2013年8月13日 「8.15反『靖国』行動」参加者有志
ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う8・15反「靖国」行動
日時:2013年8月15日 13:15開場 集会後デモ!
会場:全水道会館(4階)(http://www.mizujoho.com/front/bin/ptlist.phtml?Category=9177)(JR水道橋徒歩3分、都営地下鉄水道橋駅上)
お話:吉澤文寿さん
主催:ゴメンだ!安倍政権 歴史認識を問う 8・15反「靖国」行動http://13815a.blogspot.jp/
呼びかけ:アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/国連・憲法問題研究会/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/ 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会
現憲法9条第1項
「俺たちは筋と話し合いで成り立ってる国どうしの平和な状態こそ、大事だと思う。だから国として、武器を持って相手をおどかしたり、直接なぐったり、殺したりはしないよ。もし外国となにかトラブルが起こったとしても、それを暴力で解決することは、もう永久にしない。戦争放棄だ」
第2項
「で、1項で決めた戦争放棄という目的のために軍隊や戦力を持たないし、交戦権も認めないよ。大事なことだから釘さしとくよ」
それに対する自民党の改憲案
第9条第1項
「おれだってドンパチはやりたくねえ。でも、メンツをつぶされたら、そのときは別だ。やるときゃやるよ」
第2項
「一家を構えてたら、兵隊をおくのは当たり前じゃねえか。兵隊が足抜けしたりヒミツ漏らしたら、内々でおとしまえをつけさせてもらうぜ」(自衛権と国防軍保持を明記し、逃亡やスパイ罪での軍事裁判実施にも言及)
第12条
「自由、自由とかいってけど、誰のおかげでシノギをやれてんだ。渡世の義理ってもんを知らねえのか。この世界、上にさからって生きていけると思うなよ」(国民の義務と責任を明記)
第21条
「跳ね上がりは許しちゃおかねえ。そんな連中がつるみでもしたら、すぐに東京湾に沈めてやるから覚悟しとけ」(公の秩序に反する集会・結社・言論の自由を制限)
http://ddnavi.com/news/156849/
これでもまだあなたは、憲法改正とか靖国参拝とかを肯定できますか?「できる」という人は多分、ブラック企業から「会社の為に死ね」と命令されても、平気で死ねるのでしょうね。
■天皇出席の全国戦没者追悼式反対!8・15大阪集会
――安倍改憲と「靖国」を撃つ――
◆日時 8月15日午後1時30分~5時
◆場所 エルおおさか南館72号室(地下鉄谷町線・京阪「天満橋」下車徒歩7分)
◆内容 講演:自民党改憲草案と「靖国」攻撃
山本 浄邦さん(憲法20条の会)
発言:領土ナショナリズムと「竹島」問題
黒田伊彦さん(解放・人権研究所反差別部会副部会長)
◆主催 参戦と天皇制に反対する連続行動
安倍晋三極右自民党政権は、今年も8月15日、天皇出席の「全国戦没者追悼式」、つまり皇軍将兵戦死者慰霊・顕彰の国家儀礼を実施し、「日の丸」を掲げ、正午いっせい黙祷を全国民に「強制」する。今年の目的は何か。
◆ ◆
安倍政権は参院選後、「日米同盟強化へ本格的に乗り出す」。その焦点は「集団的自衛権の行使容認」(『朝日』7月8日)と各紙が伝えた。集団的自衛権、つまり日本が武力攻撃されていなくても米国などとともに戦うこと、とりわけ外国の戦地での自衛隊と米軍の共同作戦行動(戦闘)を認めることだというのだ。米軍と共に侵略戦争を公然と行うため、自衛隊の武力行使を禁じてきた歴代政権の「専守防衛」論を投げ捨て、憲法9条2項(国の交戦権の否認)の改悪を閣議決定で行うというのである。これは、天皇制戦争国家の本格的確立といわねばならない。
◆ ◆
安倍政権のこうした動きは、参院選挙後でなく、いますでに始まっている。海上自衛隊のソマリア沖・アデン湾での海賊対処行動の1年間延長(7月9日閣議決定)がそうだ。現在は、護衛艦2隻とP3C哨戒機2機を派遣し日本の民間商船を「護衛」しているが、延長後は護衛艦1隻を米国などの多国籍連合部隊に参加させるのだ。「武器使用」(交戦権行使)を認め、警察行動だから集団的自衛権の行使ではないとペテンを弄するのである。
自衛隊が参加する多国籍連合部隊の中心は米軍である。米軍はアフリカ東部のジブチに最大の基地(兵士3千人、F15戦闘機や無人偵察機プレデターなど)を置き、イエメンやソマリアなどをにらんで「アルカイダ」やイスラム勢力と対峙している。旧宗主国フランスもジブチに軍事基地を置き、ドイツやスペインは仏軍基地の間借りだ。日本も2011年、自衛隊初となる本格的な海外基地をジブチにおいた。これら帝国主義国軍のソマリア沖・アデン湾展開は、利権の獲得と覇権の確立をにらんだアフリカ展開であり、警察行動の域を超えている。自衛隊もまた今回、その一歩を大きく踏み出そうとしているのである。
◆ ◆
自衛隊が外国の戦場で鉄砲を撃ち、他国の軍人や民衆を殺すことが現実になり、自衛隊兵士の戦死も時間の問題となろう。自衛隊戦死者に対する、国家(天皇)による慰霊と顕彰がなおざりに出来ない、と安倍はいうに違いない。彼らは、靖国神社への戦死者の「合祀」と、天皇と首相の「靖国」参拝は当然だと声高に叫び、反対するものを「非国民」とののしり、国家と社会からの放逐に動くだろう。天皇の元首化と国防軍の創設の改憲も現実になろう。天皇制戦争国家の本格的な確立である。これへの跳躍が今年の「8・15」である。
私たち日本の民衆はこうした天皇制戦争国家を阻止するか否か、が問われている。
集会への参加を呼びかける。
参戦と天皇制に反対する連続行動
大阪市淀川区十三東3-16-12
Tel/Fax 06 (6303) 0449
*8・15大阪集会に賛同を。
賛同費は個人・団体とも1000円。8・15集会と明記を
郵便振込 00900-8-168991
口座名称 反戦反天皇制労働者ネットワーク
http://list.jca.apc.org/public/cml/2013-August/025831.html
『永遠のゼロ』(百田尚樹)が描く人命軽視なブラック企業の起源
(前略)
日本は現在、戦時体制が続いている。『1940年体制』(野口悠紀雄)に詳しいが、税の天引きはじめ現在の社会制度の多くは戦中に考案された。『永遠のゼロ』を読むと、精神構造としても、戦前戦中の軍隊思想が日本中に引き継がれていることが感じとれる。ブラック国家も、ブラック企業も、組織のために人間を使い捨てる点で、根は同じだ。
人命軽視の思想や、赤紙1枚でいくらでも補充がきく兵隊は、ユニクロやワタミで使い捨てられる社員そのもの。たとえば以下は、特攻隊への志願を尋ねる場面だが、「飛行学生」を「ワタミ社員」に置き換えても何ら違和感はない。
飛行学生たちは全員「志願する」を選びました。しかし後に、当初、何人かは「志願しない」としたらしいと聞きました。志願しないと書いた人たちは、上官に個別に呼ばれ、説得を受けたようです。当時の日本の軍隊における上官の説得というのは、これはもうほとんど命令と同じです。これに逆らうことは不可能でしょう。私たちを意気地なしと思いますか。しかしこれは今日の自由な空気に育った人には理解できないでしょう。
記事でも書いたように、ワタミの社員は「ボランティア」の名目で全員がNPO会費を「自発的」に3項目も、給与から天引きされている。入社時に申込みを拒否すると、本社のエラい人から説得を受けるのだという。戦中の軍隊と全く同じである。
「志願する者は一歩前へ出ろ!」副長の横にいた士官が大声で言った。しかし誰も動かなかった。はい、そうですかと動けるものではない。「今ここで、死ぬ者は名乗りを上げよ」と言われて、はい、そうですかと動けるものではない。いかに死を覚悟していようと、そのこととは別だ。「行くのか、行かないのか!」1人の士官が声を張り上げた。その瞬間、何人かが一歩前に進んだ。つられるように全員が一歩前に進んだ。わしも気が付けば皆に合わせていた。戦後になって、この時の状況が書かれた本を読んだ。士官の言葉に搭乗員たちが我先に「行かせてください」と進み出たことになっていたが、大嘘だ!そう、あれは命令ではない命令だった。考えて判断する暇など与えてくれなかった。
僕のなかで、この士官は、勝手に柳井社長を想像して読んでいた。一見すると「自発的」にみえる志願を、実のところ脅迫しているあたりが、「半年で店長になりたくないのか!」「世界で生き残れないぞ!」「泳げない者は溺れればいい」と言っている姿にダブるのだ。
「戦争に行った人の話を聞いてると、本当に兵士たちは使い捨てられたって気がする」ぼくは頷いた。「赤紙1枚でいくらでも補充がつくと思っていたのね。昔の兵隊さんは、上官に、お前たちより馬の方が大事なんだって言われたって。お前たちなんか一銭5厘でいくらでも代わりがあるって」「一銭5厘って?」「赤紙、つまりハガキ1枚の値段よ。つまり、陸軍の兵士も海軍の兵士も、そしてパイロットも、軍の上層部にとっては、わずか一銭5厘のハガキ代でいくらでも集められるものだったのよ」「それでもみんな国のために勇敢に戦ったんだね」
ユニクロの社員は精神的に病んで辞めるケースが多いが、辞めたらまた採用すればいいだけ。「それでもみんなユニクロのために勇敢に戦ったんだね」という感じである。
(後略)
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa/216/show
ただ、ここで「永遠の0」についての意見を紹介しておられますので、プレカリアートさんに、ぜひこの本自体を読んでほしい、その上で感想を述べてほしいと思います。この小説は、右左、靖国肯定・否定、いずれの立場からも読み解き得る大切なメッセージが書かれているという点で、大変優れたものだと私は考えています(私自身は、感動と疑問と両方を覚えました)。ぜひ、プレカリアートさんに、この本について両面からの(きっと私とは別の意味で、感動も、批判も覚えると思いますから)ご意見をいつか読ませていただきたいと思います。少なくとも、表題にあるような「神風=ブラック企業」という本ではないと私は思いました。
ただ、百田さんのこの作品は、もちろん日本の権力機構のおかしさも主題ですが、それだけではなく、もっと広い意味で、あの戦争の中で人間がどう生きたか、それこそ、選びようのない戦争という運命の中でどれだけ人間の尊厳を守ったかという感動的なドラマになっています。プレカリアートさんにも、思想的立場を越えて是非読んでいただきたい一冊ですので。
こんにちは、そこが問題ではないかと思うのです。
戦争は「感動なドラマ」ではありません。残虐と悲惨と絶望と醜悪さしかありえません。
まだ、戦前や戦中を生き抜いていた人が大勢いた時代はそれでも「戦争は残虐である」とリアルに感じられ、その基盤があって読めました。
が、時代は変わりました。戦争の生き証人たちが少なくなり、ゲームなどの仮想世界で戦争がシュミレーション出来る時代です。若者達にとってリアルではないのです。
そこに「感動的なドラマ」などで美化されることが怖いのです。
「社会基盤」が元から右に傾いている事は注意すべきかと思います。
最近、電車で「坂の上の雲」を熱心に読んでる青年がいて「ちゃんと理解出来て読んでるかな~」と心配になりました。
戦争は「残虐と悲惨と絶望と醜悪さしかありえません」というのは、確かに、東京大空襲を体験し友人を失った私の両親も実感として持っており、そう私に語ってくれました。ただ、それと同時に、断固たる戦争反対者だった父の愛読書は、意外と戦争ものだったりもしたんです。
私自身、確かに右翼ではありますが、軍国主義を肯定しているつもりは主観的にはありません。ただ、それこそ古代ギリシャのホメロスから平家物語から「戦争と平和」まで、ある意味戦争というのは文学において巨大なテーマだったことも確かです。そして、第一次、第二次の世界大戦を経験した後も、映画や文学、そしてマンガでもしばしばテーマになったのは、戦争の悲劇と共に、極限状態の中での人間の愚かさや残忍さと同時に現れる高貴さでもあったのではないでしょうか。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の時代を日本の諜報将校として生きた石光真清という人の回顧録「城下の人」(中公文庫)とかを読みますと、やっぱり感動しますよ。個人的には司馬以上に感動します。もしよろしければ読んでみて下さい
http://miura.trycomp.net/?p=436
もっとも、このブログの趣旨はブラック企業批判であって、私の書き込みはちょっと違うというか、場にはふさわしくなかったかもしれませんね。プレカリアートさんにもうろこさんにも、もし未読であれば「永遠の0」、そして「城下の人」もいつか読んでみて下さいとだけおすすめしておきます。長々と失礼しました
上記は村野瀬さんのブログ記事で紹介されていたツイッター。このツイッターや村野瀬さんの記事自体は、熱中症対策を呼びかけるマスコミが、真夏の高校野球については無批判に垂れ流し、それを視聴者も何も言わない様を皮肉った物だが、この炎天下の試合が戦争・靖国や現代の労働事情にも見事に当てはまる。実際はそんな単純ではなく、戦中最後の早慶戦の様に、逆に戦争の悲惨さを告発する契機にも成り得るのだが。どちらにしても、戦後60年経っても日本人が奴隷根性を克服するのはそう簡単ではないなと。