イスラム国人質事件が最悪の結末を迎えてしまった。湯川遥奈さんに続き後藤健二さんもイスラム国に殺害されてしまった事が、2月1日早朝に配信された動画で明らかになった。もう、この後は、ヨルダン空軍パイロットのモアーズ・カサスベさんを始め、まだイスラム国に囚われているかも知れない残りの人質の無事を祈るばかりだ。
今回の人質事件で更に鮮明になった事が二つある。一つは政府の無策、もう一つは我々日本人の知性劣化だ。前者の「政府の無策」については、今までも折に触れて書いてきたし、まだまだ書き足らない事も一杯ある。しかし、この点については、ひとまず脇に置いておき、ここでは後者の「日本人の知性劣化」に絞って書く事とする。「知性劣化」と言うと何やら難しく聞こえるが、簡単に言えば「日本人が以前よりもバカになった」と言う事だ。
その一例として、最初に池内ツイート削除事件を取り上げる。この前の衆院選で初当選した池内沙織という女性の共産党議員が、25日につぶやいたツイート(ツイッターの書き込み)の内容が不穏当だと、自党の志位委員長にとがめられて、「自主削除」に追い込まれた事件だ。
左上の写真が削除された問題のツイートで、右上の写真が昨年の「赤旗まつり」でドラムを叩いていた池内さんの姿だ。「学生時代からロックバンドで活動していた」とウィキペディアの資料にもある。いかにも今風の若者と言った感じの、今までの共産党議員には余り見られなかったタイプの人の様だ。
―こんなにも許せないと心の底から思った政権はない。「ゴンゴドウダン」などと、壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、国の内外で命を軽んじ続ける安倍政権。安倍政権の存続こそ、言語道断。本当に悲しく、やりきれない夜。眠れない。―
その問題のツイートを改めて上記に書き出してみたが、全くその通りじゃないか!これの一体どこが「過激」で「不穏当」なのか?少なくとも、「安倍が後藤さんの身代わりになれ」という私の感情的なブログ記事やツイートと比べたら、よっぽど冷静で「穏当」ではないか。
このツイートに対してすら、ネトウヨ(ネット右翼)のアホどもは、やれ「政府批判ばかりでイスラム国を全然批判していない」とか、「今は政府批判なぞしている時ではない」とか、「遺族への同情の気持ちはないのか」とか、揚げ足取りとしか取れない批判ばかりして、騒ぎになって、上司の志位委員長からも叱られた挙句に、ツイート削除に追い込まれたのだ。
・「イスラム国」非難せず「安倍批判」ばかり 共産党・池内議員ツイッター炎上でおわび(J-CASTニュース)
http://www.j-cast.com/2015/01/26226134.html?p=all
「イスラム国批判」や「遺族への同情心」なぞ、普通の日本人なら誰しも持っている。私も池内議員も。その上に立って、遺族を悲しめ、イスラム国に付け入る隙を与えた安倍政権の無能、無為無策を批判しているのじゃないか。
その時々の中で一番心に浮かんだ「つぶやき」を、140字以内に書くのがツイートだ。最大でもたった140字しか書けないのだから、「その瞬間に一番心に浮かんだ事」しか書けなくて当然じゃないか。たとえ、その他に「イスラム国批判」や「遺族への思い」もあったとしても、安倍の顔や「壊れたテープレコーダーの様な」魂の全然こもっていない発言を聞いていたら、それに対し「この野郎!」と思う人がいても、全然不思議じゃない。それは「イスラム国批判」や「遺族への思い」とは全然矛盾しない。むしろ、そんな思いがあればこそ、余計に腹が立って、あのようなツイートになったのではないか。
その程度のツイートによる政府批判も出来ない様では、もはや日本は民主主義国であるとは言えない。まるで、何も言えなかった戦時中の日本と同じだ。
それに対し、ネトウヨだけでなく、あろうことか、共産党の志位委員長までもが、世間の風当たりを警戒して、自民党ですらまだ何も言っていないにも関わらず、先回りしてネトウヨと一緒になって言論統制に走ったのだ。
恐らく志位委員長も、私人として個人でつぶやいている段には、何の問題もないツイートだと思っただろう。その上で、但し公人(政治家、国会議員)としてのツイートとなると、「ひょっとしたら共産党の顔に傷がつくかも」と、恐れたのではないだろうか。
そりゃあ、今の共産党の支持者には、昔みたいに私の様なひねくれ者だけでなく、今まで自民党を支持してきた様な人も一杯いる。せっかく、そういう保守的な人からも支持されるようになりつつあるのに、それを「たかがツイート一つ」で棒に振る様な真似はしたくないと思ったのだろう。
これは、良く言えば「大人の対応」とも取れるが、私からすれば「党利党略」以外の何物でもない。こんな事をしていたら、仮にそれで一時的に支持票の目減りを防げたとしても、それと引き換えに、言論・表現の自由そのものが狭められていくだろう。そして、最後には何も言えなくなり、共産党の活動自体も弾圧されてしまうだろう。
前記右上写真の池内沙織が安倍の顔を貼ったドラムを叩いている姿についても、色々と批判の声がある事は知っている。いわく「人権侵害」とか「品が無い」とか言う声だ。でも、私からすると、それも「安倍が叩かれるような事をしたからだ」。
2008年にイラクを電撃訪問した当時のブッシュ米国大統領がイラク人記者から靴を投げつけられる事件があったが、この事件も、確かに靴を投げつけるという行為だけ見れば、イラク人記者による暴力であり、ブッシュに対する人権侵害だ。しかし、その背景には、ブッシュによるイラク戦争で殺された多くのイラク人の憎しみがある。これをイラク人記者の暴力・人権侵害としか見ない人は、ブッシュの暴力によって殺されたイラク人の人権については、何も考えないのか。もしそうだとしたら、それは差別以外の何物でもない。
安倍がドラムで叩かれるのも、それと同じだろう。安倍は、二言目には「かつて日本が行った戦争は侵略じゃない、自衛の為の正義の戦争だった」「その犠牲になった従軍慰安婦も、ただの売春婦だった」という事を、今まで何度も口にしてきた。その安倍によって貶(おとし)められた被侵略国の人々や、騙され慰安所に送り込まれた女性や、使い捨てにされた日本軍兵士に対する人権蹂躙(じゅうりん)を、安倍ドラム批判者は考えた事があるのか。そして、何よりもまず、安倍によって殺されたも同然の、湯川さんや後藤さんの命について考えた事があるのか。
もちろん、批判される政治家の人権にも配慮しなければならないし、「品が無い」批判よりも「品のある」批判の方が世論の受けが良い事も確かだ。でも、時には「品の無い」批判を敢えてしなければならない場合もあるのだ。
そんな事も分からない様では、共産党の議員や委員長をやる資格はないと思う。池内議員が言えないなら、私が代りに言ってやる。
こんなにも許せないと心の底から思った政権はない。言語道断などと壊れたテープレコーダーの様に繰り返し、己の発言でこんな事になったのにヨルダン政府まかせで何も出来ない無能政権。安倍政権の存続こそ言語道断。これ以上国民を戦争に巻き込むな! pic.twitter.com/CTMAlgc5YI
― プレカリアート (@afghan_iraq_nk1) 2015, 1月 31
次に、「知性劣化」のもう一つの例として、「次世代の党」の田母神俊雄がつぶやいた下記のツイートを取り上げる。こちらは、前述の池内のツイートは違い、まだ削除もされずにネットに配信されたままなので、そのままブログに貼り付けておく事にする。
イスラム国に拉致されている後藤健二さんと、その母親の石堂順子さんは姓が違いますが、どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが、真偽のほどは分かりません。マスコミにも後藤健二さんの経歴なども調べて流して欲しいと思います。
― 田母神俊雄 (@toshio_tamogami) 2015, 1月 29
こちらは前述の池内ツイート削除事件よりも更に「知性劣化」の度合いが酷い。前述の事件は、世論に迎合しツイートを削除しただけで、ツイートの内容そのものはしごく真っ当だった。それに引き換え、こちらはツイートの内容自体も酷い。
だいたい、姓が違ったら何だと言うのか。過去に離婚や養子縁組などすれば、いくらでも姓なんて変わるだろう。しかも、それで取って付けた様な在日攻撃までやって。離婚したら犠牲者を見捨てて良いのか。他国の人間なら助けなくて良いのか。被害者の離婚の有無や国籍なんて、今回の事件とは何の関係もないだろう。もし仮に後藤さんが在日外国人だったとしても、後藤さんが税金を払っていようがいまいが、そんな事とは無関係に、国家には彼を助ける義務がある。でないと、目の前の川で人がおぼれかけていても、その人が離婚していたり外国人だったら、助けなくて良いという事になってしまう。
ここまで来たら、もはや国籍がどうこう以前に、「人間としてどうなのか」が問われるレベルだろう。東京の新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして電車に轢かれた韓国人留学生や、大阪の淀川でおぼれかけた子供を救助した中国人留学生もいるというのに。こんなツイートを垂れ流して、政治家として恥ずかしくないのか。そんな事ばかりつぶやいていたら、最後には、どの国の国民も、日本人を助けてくれなくなるぞ。
・この状況で“後藤さんは在日”攻撃!田母神はやっぱりただのネトウヨだった(LITERA/リテラ)
http://lite-ra.com/2015/01/post-827.html
・家族への謝罪要求、経歴暴露…イスラム国事件で後藤さんを攻撃する“クズ”たち(同上)
http://lite-ra.com/2015/01/post-831.html
田母神は、殺されたもう一人の人質である湯川遥奈さんについても、「どこの馬の骨か分からない」なぞと述べている。ところが実際は、田母神が都知事選挙に出馬した時も、湯川さんは、毎日選挙事務所に応援に駆けつけていたほどの熱心な支持者だった。湯川さんが立ち上げた警備会社(実際は外国の戦争に介入する傭兵会社)にも、田母神とも親交のある自民党の水戸支部長や党内最右派の国会議員が、支援者として名を連ねている。これから見ても、彼らにとっては、湯川さんは「単なる一介の支持者」以上の存在であった事は間違いない。
それにも関わらず、湯川さんがイスラム国に拘束された事が分かった途端に、田母神は「知らぬ存ぜぬ」と白ばっくれるのみ。それでよく「愛国」だの「日本人の絆」がどうのと、言ってられるなと思う。そんな物はもはや「愛国」でも何でもない。ただのエゴでしかない。
日本人は、いつからこんなにバカになってしまったのか。田母神には次のツイートをお見舞いする事にする。
湯川遥奈さんは田母神氏の熱心な支持者だったそうですが、どうなっているのでしょうか。ネットでは、選挙応援で握手までしながら、問題発覚した途端に見殺しとはあんまりではないかと言う声も。マスコミも是非調べて欲しいと思います http://t.co/MYzlJDDLq0
― プレカリアート (@afghan_iraq_nk1) 2015, 2月 1
政府は今回のイスラム国による人質殺害事件を受けて、さっそくテロ対策や海外邦人救出作戦への自衛隊派遣の検討に入った。己の不用意な発言やこれまで自民党政府が行ってきたイラク戦争参加によって、本来は平和国家であるはずの日本もテロの標的にされてしまったというのに、その反省や総括もなく、ただひたすらアメリカのポチに成り下がって。自分で放火しておきながら後になって火事だ火事だと騒ぎ立て、いかにも消火に勤めているかのようなフリをする。それを俗に「マッチポンプ」と言うが、政府が今やっている事が正にそれではないか。
そんな政府の宣伝を鵜呑みにして、加害者政府をかばい立て、逆に被害者の人質やその遺族を自己責任の名で叩くとは。戦時中の「非国民」叩きと同じではないか。もう、その様な歴史は二度と繰り返さないと、戦後、平和憲法を制定し、原水爆禁止運動や安保闘争、ベトナム反戦運動に立ち上がった、かつての日本人は一体どこに行ってしまったのか。その平和運動も、「軍部に騙された」という被害者意識だけで、侵略戦争に国民も加担した事実と向き合わない「内向きで独りよがりの運動」だという批判は当時からあった。しかし、今や多くの日本人は、もはや「独りよがり」どころか、アメリカのポチとして、原発も武器も輸出する、自国エゴ丸出しの「死の商人」に成り下がってしまった。このままでは、また同じ歴史を繰り返す事になる。