アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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転載拡散のお願い/相次ぐ福島補償打ち切り

2013年08月05日 20時55分42秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
※急遽予定を変更して、マイミクさんから拡散依頼のあった記事を以下転載します。併せて、経営陣や労働貴族も、そうではない一般労働者も、全て東電社員として十把一絡げに見做しがちだった事についても、これを機に反省したいと思います。
 

みなさんにお願いがあります。
この情報をみなさんの力で拡散願います。

本日、今も福島原発で働く東電社員と懇談してきました。
驚愕の事実が分かりました。

東電社員及び家族の補償の打ち切りが決まったそうです。
昨日説明会があったそうです。
説明会は紛糾し、会社からは異議があれば裁判を起こせばいいだろうと言われたそうです。
また、説明会の資料は外部に絶対に公表しないように言われたそうです。
福島原発で働く社員の多くは警戒区域に住まいがありました。
いわば町の人間なのです。
補償の打ち切りの理由は、借り上げ住宅が借りられたのだから
精神的苦痛はないとのことでした。
彼らは住まいを奪われ、家族を失いながらも、あの震災当日に命を削りながら働いた人間達です。
そして、これからの福島原発の収束を支えていく人間でもあります。

10月に家族分については補償すると約束したのは東京電力です。
しかし、2ヵ月もしないで反故にしたのです。
彼らも被災者であることは明白です。
いうなれば被災者への侮辱になるのです。

私の友人は本気で会社を辞めると言っていました。
怒りよりも悲しいと・・・・
何の為に今まで頑張ってきたのか分からないと
自分はまだしも家族まで補償されないことがつらいそうで、離婚をしてなんとか家族だけでも救えないかとも考えていました。
彼らは原発設備のプロです。彼らの尽力なくして原発の収束はありません。
想像してください。やる気もなく、会社に恨みのある人間が原発を扱うことを。
彼らは原発をメルトダウンさせることもできてしまうくらいの知識はあります。

私が恐れていた事態が起きてしまいました。
東京電力に断固抗議します。

また、広野独身寮(通称Jビレッジ寮)を東京電力は仮設住宅並みの設備を整えていると言っています。
うそです。スーパーハウスを安っぽくしたプレハブ寮です。
風呂もシャワーしかありません。トイレは仮設トイレです。車の持ち込みも禁止。
人間が暮らす最低限度しか整っていません。
そこに友人が何十人といます。
今日あった友人は顔つきが依然の顔とはかけ離れていました。

そして皆が命を張った結果がこれかと、なかば頭がおかしくなっています。
東京電力社員で高給与なのは、上の人間だけです。
原発は地方採用の人間(高校卒)がおもです。
30代で400万ほどの年収です。
命を削り、人間的生活ができず、会社の上層部の判断により起きた原発事故で
生活を失しなった人達が、これしかもらえてないのです。

こういった人間が何百人もあの福島原発にいるのです。
彼らが辞めたら、原発の知識も薄い人間が福島原発を収束していくことになります。

改めて、東京電力という会社の暗部を知ったしだいです。

彼らは給与という足かせにより、強制労働させられているといっても過言ではないでしょう

私は今までの投稿で拡散希望など書いたことはありません。
しかし、今回の件については怒りを禁じえません。
お願いです。彼らを救うきっかけになる可能性を信じ拡散願います。
断言します。近い将来このままでは福島原発は最悪の結果が訪れます。
社員を守らない会社に未来はありません。
会社が社員をかえりみず、会社の存続だけを考え、最低責任である補償すら果たさないのであれば、それは破滅を加速するだけです。

もう一度言います。
東京電力は命をかけた人間に、いやなら裁判を起こせと言いました。
これ脅しですよね。

友人はそれでも「頑張る」と言いました。
私は悲しくなりました。
「頑張らなくていいよ」と言いました。
とても切ないです。

たった2年でこれです。あと東電試算でも廃炉までに35年かかります。
どうかよろしくお願いいたします。
みなさんのお力を貸してください。

福島原発で働く人より。

============================
福島大学学生さん:
うちの大学は今年度前期まで学費免除の被災者枠がありました。
しかし予算が足りないせいか、後期にその枠はないようです…。
福島大学はほとんどの学生が東北出身です。
実害的な被害はなくとも、震災の波及で仕事を失った両親が居たりしてもおかしくありません。
他の被災地の学校はどうだかわかりませんが、そういう所にももっと大学側が力を入れられるように予算配分をして欲しいなと思います。
放射能や震災と原発事故で破壊されたコミュニティの研究など、うちの大学がやらなければならないことはたくさんあります。
必要なのは当事者意識の強い現地の学生の力です。
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一人一人がローカル線ガールズ

2013年08月01日 01時52分05秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 7月28~30日と福井に旅行に行ってきました。訪ねたのは「えちぜん鉄道」という私鉄(正確には第三セクター)と、そのついでに東尋坊・永平寺など。主目的はあくまで鉄道探訪で、観光地巡りはオマケのつもりで行ってきました。
 何故この鉄道に着目したかというと、廃線の瀬戸際から蘇ったモデルケースとして余りにも有名だからです。この鉄道は、昔は京福電鉄という社名で、京都の鞍馬・嵐山行き電車と同じ会社が経営していました。かつてはもっと路線があったのですが、モータリゼーションの進行で廃止が相次ぎ、残った路線も赤字が続いていました。しかも、赤字経営の中で会社がコスト削減に走った結果、2000年、2001年と立て続けに電車の正面衝突事故を起こし、国土交通省から運行停止処分を受けるまでになってしまいました。京福電鉄も経営を投げ出し、運休が続く中で、鉄道利用者がバスや車に殺到した結果、道路の大渋滞で積み残しや遅刻者が続出する事態に。そこで、やはり鉄道は必要だという事で、県や地元自治体が費用を負担する第三セクター方式で、2003年に新会社「えちぜん鉄道」(略称:えち鉄)として、再び電車が走るようになったのです。
 「えち鉄」として再出発するに当り、何よりも留意したのが、かつてのコスト削減による事故の轍を繰り返さない、失われた鉄道への信頼を取り戻すという事です。その為に、安全投資の手抜きはせず、逆に利用者の立場に立ったサービスを行う事で、乗客を徐々に呼び戻していったのです。ダイヤ見直し、料金値下げ、新駅設置や、パーク・アンド・ライド(駅前駐車場や車内への自転車持ち込み可サービスで利用回復を図る)の推進、車内で車掌に代わり切符販売・観光案内を行うアテンダントの配置で、一時は1日2千人余まで落ち込んでいた利用者数も、今では8700人と、廃止以前の水準を上回るまでに回復しました。

  
 これが「えち鉄」の電車です。京福時代の車両カラー・デザインを一新しました。この電車が、東尋坊や芦原温泉への観光ルートとなる三国芦原線と、九頭竜川に沿って山間部に分け入り永平寺への参拝ルートとなる勝山永平寺線という二つの路線を、一両ないしは二両編成で走っています。(上図がその路線図と主要駅の位置)
 
    
 鉄道乗り潰しには1日フリー乗車券があれば便利ですが、「えち鉄」のフリー乗車券は土日祝日しか使えません(最左上写真)。そこで初日は勝山の恐竜博物館とセットのフリー乗車券を使いました(同・左から二つ目)。アテンダントは地元では花形の職業で、今も現役のアテンダントの方が書いた「ローカル線ガールズ」という本もあります。私も読んで感動しました(同・右から二つ目)。本には冬服で登場ですが、今は夏なのでこのような制服を着ています(同・最右上)。

   
 初日は福井に昼頃着いたので、観光は勝山の恐竜博物館だけにしました。博物館の駐車場にはこんなに車が止まっているのに、勝山駅へのコミュニティバス(往復たったの百円!)には余り乗客はおらず。その少ない乗客を京福バスと奪い合っています。元は同じ会社だったのに。最右上写真はその帰途に撮ったスノーシェルター。山間部は特に冬の積雪が多いので、このようにしてポイントの凍結を防いでいる。

     
 始発駅の福井から二つ目の福井口という駅で、勝山永平寺線と三国芦原線に分かれます。乗り換えもこの駅で行われます。向かって左に曲がっている線路が三国芦原線、右に曲がっているのが勝山永平寺線。ダイヤもそれぞれほぼ30分間隔で出ています。構内踏切の警報器に記された注意書きが何とも面白い(最右上写真)。 

  
 永平寺へ行くには、今は途中の永平寺口からバスに乗り換えますが、昔は永平寺への支線が出ていました。この支線は利用客が少なかった為に、今の「えち鉄」には引き継がれず廃止されてしまいました。永平寺そのものは国際観光地なので、始発駅の福井から直通にすれば廃止されずに済んだかも(左上写真の右の引き込み線がその廃線跡)。また、福井にはこの「えち鉄」以外にも福井鉄道という別の私鉄があり、三国芦原線の田原町が乗換駅になっています(右上写真の、左の線路がえちぜん鉄道、右の赤い電車が止まっている線路が福井鉄道)。

  
   
 初日は芦原温泉の民宿に泊まり、二日目はまず東尋坊へ。天候は昨日とは一転してどしゃ降りに。あわら湯のまち駅の待合室で一杯百円の抽出コーヒーを飲みながら東尋坊行のバスを待っていたら(左上写真)、駅窓口のオバちゃんが、1500円の三国サンセットビーチとのセットフリー乗車券を勧めてくれて、三国までこの切符で行ってそこからバスに乗った方が安くつくと教えてくれました。これだと、たった1500円で1日乗り放題なので、別にビーチに行かなくても充分元が取れます。「利用者の立場に立ったサービス」というのは、決して誇張ではありませんでした。
 おかげで東尋坊には直ぐに着きましたが、あいにくどしゃ降りの雨で、傘も用を為さず靴も服もずぶ濡れに。この後、福井市内まで出て靴と靴下を新調する破目に。
 東尋坊の土産物屋街から直ぐ海岸の左に折れた所に、テレビで見た心霊スポットと曰くつきの公衆電話ボックスがあり、自殺防止用の掲示や、自殺を思いとどまらせる為の通話用の10円玉や聖書まで置いてありました。ちょうど良い機会なので安倍・自民党政権を呪ってやろうと、その曰くつきの電話ボックスに行きましたが、雨で前の舗装路の坂道がまるで川の様になっていました(最右上写真)。

  
 なので、二日目は観光地巡りを諦め鉄道乗り潰し中心に動こうと、福井駅前から福井鉄道の電車で田原町までの併用軌道(路面電車)区間を乗りました(写真左上)。田原町では福井鉄道・えち鉄のツーショットが撮れました(同・右上の、右の電車がえち鉄、その左の車止めの前で待機中の次発電車が福井鉄道)。

  
 靴と靴下を履き替えた後、福井口の車庫を撮影。左の写真が新しい車庫で、右が古い車庫。福井口にはえち鉄の本社があり、アテンダントも、一旦この駅に集まってからそれぞれの乗務につきます。

  
 当初は鉄道乗り潰し中心にやり過ごそうと思っていたものの、折角セットフリー乗車券があるのに勿体ないからと、永平寺への参拝を強行。午後5時15分の参拝門限時刻にはどうにかギリギリで間に合ったものの、土産物屋は全て店仕舞してしまい中のトイレも使えず、1時間余りもバス停で待つ事に。永平寺法主のお言葉には「戦争廃絶、貧困撲滅、人権確立こそ曹洞宗の理念」との一節も(左上写真)。 

  
 ようやく麓の永平寺口駅に戻ってきた時には既に夜のとばりが降り始めていました。ここでも、えち鉄系列のコミュニティバスと京福バスが乗客を奪い合っていました。
 コミュニティバスを降りて、永平寺参拝で来た通路(写真左上)を戻って永平寺口駅のホームに出たら、駅員から「それは降車専用通路なので、電車に乗る時は、踏切を渡って一旦反対側の駅改札口から入るように」言われました。駅の大半が無人駅なので、有人駅でも改札が無いのが当たり前のように思ってしまっていました。痛く反省。
 勝山行きの下り電車にはそこそこ乗客が乗っていましたが、福井行の上り電車には殆ど人が乗っておらず。途中からようやく乗客が増え始めました(写真右上、左が下り、右が上り電車)。えちぜん鉄道も、大阪の阪堺電車と同様に、通学客や区間利用客が主体で、全線通しのお客や行楽客は余りいないのではないでしょうか。これでは赤字になる筈です。でも、区間利用客にとっては必要な生活路線。赤字だからと廃止してしまったら、九頭竜川沿いの国道しか並行路線が無い現状では、また以前の渋滞に逆戻り。

  
  
 三日目最終日は、三国の古い街並みを散策。九頭竜川河口に開け、北前船の寄港地として栄えた旧三国町(今は坂井市に吸収合併)には、三国湊座(演芸館)や旧森田銀行本店(レンガ造りの建物)、旧岸名家などの歴史的建造物がそこかしこに散在しています。前日の大雨で九頭竜川には朝霧がかかっていました。

  
   
 三国駅構内のレンタサイクル(上左写真、1回50円、電動アシスト自転車は500円)と電車内の広告・風景。この車両の運転室は左片面のみで、右半分は運賃精算(車内改札)やアテンダントが使うマイク設備のスペースになっていました。

  
 勝山駅には構内の車両入替や貨物輸送に活躍した旧型電気機関車テキ6と付属の無蓋車が静態保存されていました。予め知っていたら初日の恐竜博物館散策の帰りに立ち寄ったのに。

  
 新福井からは複線に。以前は三国芦原線と勝山永平寺線が合流する福井口から福井まで複線だったが、北陸新幹線建設工事の為に複線区間が今のように縮められました。帰りは福井駅の売店で名物のソースカツ丼と越前おろしそばのセットランチを戴きました。民宿が素泊まりだった為に、豪華料理は殆ど食べれずじまいでした。

ローカル線ガールズ
クリエーター情報なし
メディアファクトリー

 
 ここで少し真面目な話を。前述の「ローカル線ガールズ」の本の中でも、派遣社員の身分に不安を覚えるアテンダントの声が載っていました。今は派遣社員ではなく、えちぜん鉄道の嘱託職員となりましたが、給与は依然として低いと聞きます。アテンダントで月15万円、駅の嘱託職員に至っては僅か月13万円余(ネットで調べました)。確かに本を読む限りでは、自由に意見が言えて、良い提案はどしどし採用され、目に見えて職場が良くなり、上下の分け隔てもなく、社員の個性が尊重される民主的な職場のようですが、それでも、幾ら地方の赤字ローカル線でも、命を預かる仕事にしては余りにも低待遇なのでは。
 その辺の事を、最終日に意を決してアテンダントに聞いてみたら、やはり正社員になりたがっていました。でも、その反面、たとえ賃金は安くとも、以前の事故続発のだらけた会社を、従業員や乗客、地域住民の力で、ここまで魅力ある職場に変える事が出来たという事に、非常に励まされました。こんな会社が少しでも多くなれば、うつ病、過労死や「派遣村」「蟹工船」の惨状はびこる今のブラック企業も、やがて淘汰されていくのではないでしょうか。この話を単に一企業の美談に止めたり、羨んで終わりにするのではなく、まずは一人一人が「我が社のローカル線ガールズ」たらんと欲する事で、少しずつ職場・地域・社会を変えていくきっかけになれば、と思いました。

※記事タイトルを今のものに変更しました。添付写真も幾つか追加・差し替えました。
コメント (5)
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