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サザエさんフェチのデンデン虫に、これ以上好き勝手にされて堪るか!

2017年01月30日 23時10分10秒 | 貧乏人搾取の上に胡坐をかくな

【驚愕の事実】安倍総理がドヤ顔で「云々」を「でんでん」と言い放つ

 安倍首相が国会答弁で、答弁書の「云々」という漢字を、「うんぬん」と正しく読めずに、「でんでん」と読み間違えた事が話題になっています。この話題に対して、私は最初、首相ともあろう人が、「云々」もまともに読めないのか、と思う一方で、漢字の読み間違いぐらいでそこまで揚げ足を取るのもいかがなものか、という気持ちでいました。

 かくいう私も、昔は結構、漢字の書き間違いが多かったです。大学時代に、うっかり「評価」を「評加」と書いたレポートを提出してしまい、ゼミの教授に怒られた事がありました。また、生協に勤めていた時も、「法令遵守」の「遵守」を「じゅんしゅ」と正しく読めずに、「そんしゅ」と堂々と読んでいた上司も実際にいました。

 でも、「云々」を「でんでん」と読み間違えるのは、「遵守」を「そんしゅ」と読み間違えるのとは、全然質が違うのではないでしょうか。なぜなら、「遵守」なんて、書物や新聞記事には割と出て来ますが、話し言葉では余り使われない言葉です。日常生活では余りなじみがないからこそ、たまに出て来た時に読み間違えるのです。

 それに対して、ほとんどの東京の人は、「京浜急行」を「けいひんきゅうこう」と正しく読めるでしょう。ほとんどの大阪の人も、「高野山」を「こうやさん」と正しく読めるでしょう。純粋に漢字読みの難しさだけで見れば、「浜」を「ひん」と読める人はそういないはずだし、「高野山」を「たかのやま」と読み間違えても全然不思議ではないのに。なぜ、これらの「難読漢字」を、ほとんどの地元の人が正しく読めるのか。それは、これらの路線名や地名が、地元にとって非常になじみのあるものだからです。

 「云々」も、それと同じではないでしょうか。字面だけ見ると、一見難しそうな漢字ですが、表現自体はごく平易で、書き言葉でも話し言葉でも、ごく普通に使われる言い回しです。大抵の人は間違わずに読めるからこそ、読めない事がニュースになる訳で。それに、仮に漢字が読めなくても、答弁書をしっかりと読み込み、その内容が理解できていたら、文章の前後のつながりから、そこは「うんぬん」と読む事は、容易に推察できるはずです。

 問題の場面は、1月24日の参院本会議で起こりました。民進党の蓮舫議員と安倍首相との間で、ちょうど下記のような議論の応酬になっていた時でした。

 安倍:議場の中でプラカードを掲げても何も変わらない。
 蓮舫:自民党も野党の時は議場の中でプラカードを掲げていたではないか。
 安倍:プラカードの件は、あくまでも一般論として言ったまでであって、別の民進党をあげつらうつもりで言ったのではない。だから、訂正云々という話にもならない。

 安倍首相の答弁内容はおおよそ、こんな感じでした。もっとも、首相が答弁したと言っても、実際には、前日に蓮舫議員から受け取った質問書を元に、役人が書いた答弁書を、首相は読んでいただけなのですが。答弁書を役人に書かせる事については、別に何の問題もありません。首相一人で何もかも調べて答弁する事なぞ出来ないのですから。細かな数字については、役人に調べてもらって、自分は読むだけでも一向に構いません。しかし、それでも最終的には自分の名前で答弁するのですから、何が書いてあるか、そこに自分の考えがどれだけ反映されているかぐらいは、答弁する前に分かっていなければなりません。そうしなければ、自分が責任もって答弁したとは言えません。

 少なくとも、そのような姿勢で答弁しようとしていたら、「云々」を「でんでん」と読み間違えるような事なぞ起こりようがありません。何度も言うようですが、「云々」の場合は、たとえその漢字が正しく読めなくても、そこは「うんぬん」と読むしかない事は、答弁書の文章を読めばすぐに分かるはずです。そうであるにもかかわらず、「うんぬん」と読めずに「でんでん」と言い放ち、まだ間違いに気づかないという事は、答弁書の内容を理解できずに答弁していたのではないか、もっと勘ぐれば、答弁書の内容なんてどうでも良い、ただ単に質問をやり過ごして、最後には「数の論理」で強行採決してしまえばそれで良い、ぐらいにしか考えていなかったのではないか。

【国会】山本太郎『今日は褒め殺します!!いつ総理の座から降りてくれるんだ!?』 平成29年1月25日

 同じ事は、翌日1月25日の参院本会議に起こった議事録削除問題についても言えると思います。この日は、自由党・共同代表の山本太郎議員が、安倍首相に対して、「いつも批判ばかりと言われているので、今日は褒め殺し気味に安倍首相をたたえて見せる」「大企業ファーストのアベ政治こそ、正に政治家の鏡」と批判したのが問題になり、質問者の発言を議事録から削除する騒ぎになりました。私はそれを聞いて、「議事録削除など、もっての外だ」「削除される前に自分のブログに山本太郎の質問内容を保存しておこう」と、参院のネット中継や山本太郎のHPにアクセスしました。その中で、山本議員が下記のように、「安倍さんは、自分にとって都合の良いデータだけを拾い集めて、アベノミクスの粉飾決算に必死になっている」と批判しているのを知りました。

 「庶民を犠牲にして大企業をもうけさせる。その御活躍ぶり、歴代の総理大臣を見てもナンバーワン」
 「庶民から搾り取った税金で、庶民への再分配は最低限に抑え、真っ先に手当てをするのは選挙や権力基盤づくりでお世話になった経団連など大企業や資本家、高額納税者への御恩返し。とことんおいしい減税、補助金メニューを提供」
 「一方で、派遣法を改悪し、働く人々をコストとして、切り捨てやすくする、ルール改正などを取りそろえる。おかげで、上場企業はあのバブルのときよりももうかり、過去最高益。一方で、中小零細企業の解散、休業は過去最高。見ているのは大口の支持者のみ。まさに大企業ファースト」
 「子供の貧困問題を人々の善意、基金で解決しようというウルトラCは、安倍総理が薄情で指導者の器ではないのではなく、総理はただ興味がないだけ」
 「今まで国会やメディアで取り上げられてきた厚労省の国民生活基礎調査ではなく、違うデータを持ち出して、総理は、子供の貧困率が低下したと演説されました。持ち出したのは総務省の全国消費実態調査。この調査は非常に面倒な作業を対象者に求めるもので、お金と時間に余裕がある人しかなかなか対応することができず、低所得者層の実態をしっかり反映しづらいという傾向があると言われます」
 「厚労省の国民生活基礎調査では、子供の貧困率は一六・三%。今年、最新のものが発表される予定ですが、この調査で、アベノミクス効果により子供の貧困率がどれぐらい下がるのか、総理の予想値を聞かせていただくとともに、今年、子供の貧困改善の数値目標をお答えください」(以上、山本議員の代表質問より)

 そして、安倍首相の反論答弁も、山本太郎さんのHPで、同時に読む事が出来ました。 

 「総務省の全国消費実態調査は、家計の収支などを総合的に把握している調査です。詳細な家計簿を三か月間付けていただくなど、一定の御負担を掛けることは確かですが、所得の低い世帯からも回答をいただいています。低所得者層の実態がどのように推移しているかを把握できるものと考えています」
 「昨年公表された全国消費実態調査における子供の相対的貧困率については、集計開始以来初めて低下しています。十五年前の九・二%から、十年前に九・七%と上がり、五年前に九・九%と更に上がったものが今回七・九%と、二ポイント改善しています。これは、アベノミクスの成果により雇用が大きく増加するなど経済が好転する中で、子育て世帯の方々の収入が増加したことによるものです」
 「国民生活基礎調査における子供の貧困率については、本年、精査の上、取りまとめる予定であり、それ以前の段階での予想は用意していません。子供の貧困率については、世帯の資産が評価されないこと、算定の基礎となる所得に現物サービス等が含まれないことなど、指標として制約、限界があるため、数値目標とするにはなじまないと考えています」(以上、安倍首相の答弁より)
 https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/6635

 この流れの中で、厚生労働省が行う「国民生活基礎調査」と、総務省が行う「全国消費実態調査」という、同じ相対的貧困率について調べた二つの分析データの内容に、なぜそんな違いが現れるのか、私は俄然、興味を持ち始めました。「相対的貧困率」というのは、大ざっぱに言えば、「国民の中で、平均所得の半分以下の貧困層が、一体どれぐらいの割合で存在するのか」を示す指標です。今の日本で言えば、大体年収200万円以下の層が、この率の範囲に該当します。それが前者のデータでは16%余なのに後者では10%前後と、約6ポイントの差が出て、首相は後者の低い方の数値を採用しているのです。

 アフリカや北朝鮮の難民のような、飢え死にする寸前の「絶対的貧困」状態にあるような人は、はた目にもすぐ分かります。しかし、たとえ平均の半分以下の所得しかない「相対的貧困」状態の人は、絶対的貧困ほど、すぐには目に付きません。だから、ネットカフェ難民やシングルマザーや下流老人のような人でも、「アフリカ難民よりは相対的にはまだマシだろう。苦しいのは本人の甘えだ」と見なされて、ずっと問題が放置されてきたのです。

 その相対的貧困の問題にも、最近になって、ようやく政治の光が当てられるようになりました。でも、その元になるデータがまちまちでは、施策の進めようがありません。内閣府・総務省・厚労省の三者が共同で執筆した「相対的貧困率等に関する調査分析結果について」と題する資料に、前述の厚労省の調査と総務省の調査の違いが、比較して載っていましたが、それを読んでもイマイチよく分かりませんでした。

 どうやら、総務省の「全国消費実態調査」の方が、データの取り方が細かそうです。家計簿を付けさせて資産額まで調べるのですから(耐久財務調査など)。それに引き換え、厚労省の「国民生活基礎調査」の方は、家計簿なぞ付けなくて良いし、資産額までは調べないようです。なぜ、調査方法にそのような違いがあるかというと、前者は家計動向を把握して経済政策の立案に反映させる為に、データの正確性を重視するのに対し、後者は福祉事務所のケースワーカーなどが対象世帯の経済状態を把握して、生活困窮者の自立を促す為のもので、こちらは正確性よりもむしろ迅速性の方が求められるからではないでしょうか。つまり、相対的貧困率を調べるという目的は同じでも、それを何に使うかによって、調査の重点が変わるのです。 

 それで、「厚労省の調査では相対的貧困率が16.3%にもなるが、総務省の調査では5年前と比べ、9.9%から7.9%に貧困率は逆に下がっている。これこそがアベノミクスの成果だ」と、安倍はドヤ顔で言っているのです。そりゃあ、総務省の調査では収入だけでなく持ち家などの資産価値もデータに反映されるので、厚労省の収入だけのデータと比べると、家計は「名目上」豊かになり、貧困率も若干下がるでしょう。

 でも、おかしいと思いません?例えば私のように、親と息子が同じ実家に住んでいる場合、息子は非正規のワーキングプアでも、親の実家に住んでいるので、今はそんなに生活に困窮していません。でも、やがて親が亡くなると、親の年金は入らなくなります。逆に実家の固定資産税や水光熱費も息子が全部負担しなくてはならなくなります。「固定資産税=家賃」と考えると、もうその時点で、生活の負担は借家住まいと変わらなくなります。非正規の給料で、果たしてどれだけ持つか?仕事をクビになったら、もう実家を売るしかない。下手すればネットカフェ難民やホームレスに転落しかねない。

 また、親が認知症になったら、誰が面倒を見れるか?非正規の息子に、親を介護する余裕なんてありません。高額の養護施設に入れる金もありません。今はもう少子高齢化や晩婚化が進んで、そんな家庭が増えつつあります。そんな状況下で、仮にいくばくかの資産があったとしても、果たしてどれだけの値打ちがあるか?ほとんど無いに等しいじゃありませんか。

 資産なんてものが意味を持つのは、中産階級以上の大金持ちに限られます。それ以下の貧乏人にとっては、たとえ実家住まいであったとしても、「とりあえず親が亡くなるまでは家賃を払わなくても良い」という程度の「一時しのぎ」にしかなりません。親が亡くなった後は、むしろ実家の維持費がかさんで、逆に「資産リスク」に苦しむ事にもなりかねません。そんな中で、いくら「相対的貧困率が9.9%から7.9%に下がった」と言われても、「アベノミクス万歳!」なんて気持ちになれる訳ないじゃないですか!

 ひょっとして、安倍首相は「サザエさん」のような家庭を想定して、「持ち家があるから良いじゃないか」「持ち家などの資産価値も含めて考えると、決して貧困や格差が拡大しているとは言えない」「低収入だ非正規だと文句ばかり言ってないで、実家を残してくれた親にもっと感謝しなさい」「社会保障なぞ当てにせず、親の面倒は子どもが全て見ろ」「もっと親をいたわり、国に対しても愛国心を持て」と、私のような人間に言いたいのでしょうか?実際に、自民党などの保守系政治家は、「サザエさん」モデルを「古き良き日本」の象徴のようにみなして、それを憲法改正や愛国心宣伝、福祉削減などの口実に利用しています。

 しかし、今やどこにそんな「サザエさん」みたいな家庭があるでしょうか?今時、三世代同居で、「波平、フネ」もピンピンしていて、「マスオさん」は正社員で毎日定時に帰宅でき、「サザエさん」も専業主婦で夫の給料だけで食べて行け、「カツオ」の学校生活も自由奔放で受験競争なども無く。「ワカメ」「タラ」と3人も兄弟がいて。連載何十年もの漫画なのに、キャラクターは全然年をとらず。ブラック企業や過労死や派遣切りや、DVや介護自殺や下流老人などの問題も、今これだけ世間で問題になっているにもかかわらず、そこには一切存在しない。戦後の総中流社会ならいざ知らず、今時そんなユートピアみたいな現実離れした家庭がどこにあるというのか?

 安倍がドヤ顔で「云々」を「デンデン」と読み、いまだにその間違いに気付かず、手抜き答弁に対する反省がないのも、貧困・格差の問題で、「今日、明日の生活に困っている」と言う話をしているのに、いきなり「資産があるから、まだまだ生活には困っていないはずだ」なんて話にすりかえようとするのも、実際の庶民の暮らしやその困窮ぶりについて何も知らないし、知る気もないからでしょう。まわりもイエスマンばかりで、誰も安倍のトンデモをいさめようとしない。これこそが「デンデン」問題の真相なのです。決して、単なる漢字の読み間違いで済む話ではありません。そもそも、日本を「総中流社会」から今のような格差社会にしたのは当の自民党なのに、その責任を「親も養えない息子」になすりつけるとは…。こんな「サザエさんフェチのデンデン虫」野郎に、これ以上好き勝手にされては堪らない。

※追記。実は資産がどうこうなんて一切関係なかった。全国消費実態調査でも国民の所得額は低下していた。でも、その為に平均所得や貧困ラインも下がり、貧困率も見かけ上は下がった、という事を、下記の赤旗記事が暴露していた。「率」だけでなく「額」の推移もちゃんと見れば見破る事の出来る話だった。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-29/2017012903_01_1.html

 

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