先週は一週間北海道巡業でした。
久しぶりに伺ったところがありますのでその報告を。
いろいろと楽しいことばかりの今回の旅行でしたが、筆頭にあげなくてはいけないのが、ちょっと保健師さんの指導だけと思って伺った三笠市からの報告でしょう。(写真が撮れませんでしたから、今日は岩見沢公園バラ園のバラたちを見てください10/21写す)
三笠市に伺ったのは、もう10年以上も前だったと思います。何しろ今回古いデータを見せていただいたら、テストフォームが3世代前!
エイジングライフ研究所の活動の歴史を感じ、懐かしいやら嬉しいやらでした。
お一人は今年4月、もうお一人は今年8月から採用された「新人」保健師さんたちへの、それぞれが実施されたケース指導を一通りしました。
「脳機能テストを通して生活が見える=脳機能テストを実施する目的は、生活実態を把握するため」ということが実感できた様子に、ちょっと達成感を覚えました。
その後、今年4月に移動したベテランY山保健師さんから「新人に『ひまわりサークル』の参加者の方々の解釈もお願いします」と言われていましたから目を通しました。
ディズニーローズ
ひまわりサークルは、Y山さんによると「半分保健師で運営手伝い、半分は自分たちでも少し運営してもらっている脳活性化グループ」ということでした。
経過観察が長くできた方々の検討に入りました。
ここに平成13年から経過観察できている方のデータがあったのです。
びっくり!ほんとうにびっくりしました。6人分あったと思いますが、成績推移がはっきりしている方の脳機能テスト結果(MMS 成績)をお見せします。
どうですか?①さんは9年間維持できています!維持のまま80歳代に突入です。
ひまわりサークルだけが①さんの生活のすべてではありませんが、9年前に担当保健師さんの的確な生活指導があったことがすべての始まりです。そして、まずひまわりサークルに参加させることに成功し、さらにそれが継続できたことが現在の状態につながっているのです。
新人保健師さんの二人は、あまり私が感動するのでちょっと怪訝な顔をされました。
「月に二回、レクレーションをやったり、工作したり、散歩に行くこともありますが…(そんなに大したことをしているわけではありません)」と顔に書いてありましたよ(笑)
考えてみてください。
H13年に保健師さんによる生活指導が行われなかったとしたら。
ひまわりサークルがなかったとしたら。
①さんは着々とボケの道を進みMMSが一桁になっていた(当然大ボケ)としてもおかしくはありません。エイジングライフ研究所の主張は対照群がないとよく言われますが、このような方々に出会うたびに対照群は作れないことを確認するばかりです。
エイジングライフ研究所は、「地域ぐるみの認知症予防」を強く訴えています。
それは行政の力だけでは、高齢者がこんなにも多い状態で支え切れないことがあまりにも明確だから。
モデル地区を作って、半年から1年間行政が指導し、モデル期間が済んでも「自分の脳の健康は自分で守る」ということで自主的に活動を継続し続け、一方で行政は同様に他地区の指導を始める。そして全市域に広げるのです
その時に、生活改善指導の目的、教室継続の意味などをはっきりさせるためには脳機能テストは必須であると結論付けています。
バラとパークゴルフを楽しむ人たち
もちろん、その通りにできているところもあれば、どこかがエイジングライフ研究所の指導と外れているところもあります。
三笠市だって、全市域に広げることは無理だったのでしょう。
市民意識、マンパワー種々の条件が関与していると思います。
それに全体が把握できているベテラン保健師さんが全員異動された後に、いらっしゃった新人保健師さんたち。
大変でしょうがボケ予防の伝統を受け継いで発展させましょうね。お手伝いできることは何でもしてあげますよ。
今回は、先輩たちが「ボケは予防できない」と言われていた時代から頑張って積み上げてきた実績に、ほんの少し具体的に触れることができたのではないかと思います。
昔話をさせてください。
講演時に「どんな職業の方がボケると思いますか?」と尋ねると、異口同音に
「公務員と学校の先生!」という答えが返ってきます。
その時の根拠は
「公務員と学校の先生は、硬くてまじめで、仕事一筋。その仕事は前例踏襲でチャレンジ精神がない」ということだろうと思うのです。
私も、世の中の人たちと同じ様に「公務員」に対してある種の偏った考えを持っていたと思います。
10年前に三笠市に伺ったときに、富樫さんといわれるまだお若い男性がいらっしゃいました。係長という名刺をいただきました。当時Y山さんも新人でしたね。
「自分の子どもたちが大人になった時、こんな街でよかったといってもらえるような三笠市を作っていきたいのです。特養誘致の話もよく聞きますが、将来のことを考えたら負担増以外の何物でもありません。市長にもじっくり話を聞いてもらいます。もちろんボケても安心な町なんてありえません。予防できるものなら絶対やらなくては」と熱を込めて話されるお顔を見ながら
「こんな公務員もいらっしゃるんだ!」と新鮮な驚きに浸っていました。
その後全国を回るうちに富樫さんのような方に何人かお会いしました。
きっともう偉くなられて、もっともっと三笠市のために頑張っていらっしゃると思っていたのです。もしかしたらちょっとでもお会いできるかとも。
なんと。
お亡くなりになっていたのです。癌と伺いました・・・
残念です。富樫さんも残念だったと思います。三笠市のためにも本当に残念でなりません。
心からご冥福をお祈りさせていただきます。