臨床心理士の研修会に参加してきました。
(会場は初めての東京ビッグサイトでした。行きはりんかい線、帰りはゆりかもめ。ランチタイムに探検してきました)
テーマは「発達障害」で講師はお二人でした。
午前の上野先生は特別支援教育の第一人者で「発達障害の学童期の理解と支援」についてお話してくださいました。
その歴史から始まり、
「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査(2012年)」をもとに現在の状況の説明、
さらにはセンター入試にすでに発達障害を持つ受験者に対する特別措置が実施されてることと、更なる方向性など、新しい知識を教えていただきました。
私にとっては、メインテーマよりは最初に話されたことが印象深かったのです。
「支援が必要といっても、常に必要、時に必要、必要になる時もある、ということを知らなけれないけない」
「支援が必要になる時もあるという考え方は、高齢者を対象に考えると、いつでも起きる可能性があるということになる」
さらにこうおっしゃいました。
「過不足のない必要な支援をするためには、まずその障害を正確に評価することが重要」
「客観的な評価をすることを避ける傾向があるようだが、今後は必要不可欠になる」
心理の研修会では、アセスメントというテーマ自体はあるのですが、どうも苦手意識がある人たちが多いように感じていました。
苦手というか、アセスメント自体が主観的な場合もあるし、アセスメントをすることでクライアントとの関係性を樹立しにくいと思っているのではないかと、私は思っていました。
講師の先生が客観的な評価の必要性を強調されたことを、参加者の臨床心理士の皆さんはどのように感じたのか、ちょっと伺いたい気がしました。
もう一つ。
客観的な評価ということになると、障害の様々な症状を細かく列挙しても、その症状は周りの状況によってひき起こされたものかもしれませんし、子供の場合は生育環境の差は無視できないでしょう。
結局のところ、脳機能の状態を評価することだけが客観的評価につながりますね。
二段階方式では、認知症を理解するときにはまず脳機能の測定から始めます。
症状から見ていくと、重症化しているか問題行動がはっきりしないと「認知症」といえません。
それでは回復可能な早期のレベルを見逃してしまうのです。
また、家族関係を見事に反映して(過去にさかのぼることまで含めて)、より困った症状になったり、思いがけず問題行動につながらなかったりもします。
だから、脳機能の測定は必須。「何ができ、何ができないか」知らずして、眼前の高齢者をどう理解できるというのでしょうか?
その人の脳機能が、認知症の重症度判定や鑑別や生活指導のすべての基礎になります。
展示場の端にスカイツリーと東京ゲートブリッジが見える穴場ポイントが
生活指導の際にも、「できることはしてもらう」ということはとても重要なことです。それにもまして「できないことをよく理解する」ことこそが、脳機能測定の最大の目的です。
生活をしていくうえで、困らせることのないように、客観的な評価をするのです。
「なんか、悪くて…」という理由で検査が苦手な保健師さんへ、今日のブログを書きました。