小冊子の改訂もそろそろ終盤。
最後の章「認知症に関するQ&A」を書いていました。ちょうどぴったりの質問が来たのでまとめてみました。
私たちおとなは、ことばの世界に生きていますから、ことばに意味があるとそれを受け取ってしまいます。あまりにも当たり前なことを言っていると思うでしょう?
意味が分からない外国語を話しかけられたらどうでしょうか?
意味が入ってきませんから、まず状況を判断するでしょう。例えばお店の中で話しかけられたのか、路上なのか。もちろん年齢や性別をはじめ服装や持ち物も判断材料になるでしょうね。それから話し手の表情や、声の調子や、声の高低などから、何を言いたいのか一生懸命に推理します(ちなみに前半は前頭葉、後半は右脳が中心的働きをします)。
推理しきれなかったら…あきらめます。ことばの意味が分かるときには、ことばには意味がありますが、意味が分からないときは…「音」でしかありません。
逆に日本語のわからない外国の人にどうしても何か伝えたいとなったら、仕方なく日本語を使いながら「意味が分からないのだから、せめて気持ちを精一杯に込めて伝えてみよう」とがんばるでしょう。
1月半ばの熱海梅園
赤ちゃんを思い浮かべてみてください。おむつを替えるときに「あらあら。たくさんうんちが出てたのね。替えてあげるのが遅くなってごめんね~」とか言いながら替えますよね。黙って黙々と替えたりはしません。じゃあ、その時に自分の話していることばの意味を、当の赤ちゃんが理解してると思いますか?
自分の気持ちを、ことばを使って表現してるのではないでしょうか。「ごめんね」の気持ちが湧きました。その時「ごめんね」といった方が、言わないよりもその気持ちを伝えやすい。伝えたいものを、ことばの力をほとんど信じないままに伝えようとしているのですね。ことばを介してではありますが、伝えたいことは「ことば」よりも実は「気持ち」です。
うえのQ&Aの解説を付け加えます。大ボケのレベルになって、大便を塗りつけたり、食べ物でないものを食べようとしたり、徘徊したり、暴言や粗暴行為などとんでもない事件を起こしたときにも、当然「腹が立つ(または「悲しくなってしまう」)」のですが、「言動におかしなことが多く」というのは中ボケの時に訴えられることが多いのです。
文字どおり「やること」と「いうこと」に大きなギャップがあるからです。
中ボケというのは、前頭葉機能がうまく働かなくなったうえに、脳の後半領域いわゆる認知機能にも能力低下がでてきた状態です。その脳機能で生活しなくてはいけないので、いろいろな不都合が起きてしまうのは当然です。
ちょうど幼稚園の子どもが一人で生活しているような感じです。洋服は自分で着ますが、裏表や前後だったり、なんとなくだらしなかったり、正しい選択はちょっと難しい。下着をなかなか替えません。薬袋を渡されて一人で服薬管理するでしょうか。家事も手伝ってもらう方が手間がかかる…
それなのに、口から出る言葉は、言い訳にしか聞こえません。「慌てて着たから。手が痛かったから。急いだからそこにあったのを着た」「いつもいつも着替えて洗濯すると生地が痛む」「歳をとればわかる」みたいな感じです。確かにそのギャップに心が波立つのは理解できますね。
ことばが、状況にも合わず気持ちも伴わず、勝手に漏れ出る感じとでもいえばいいのかもしれません。そのことばは裏付ける感情や気持ちとはかけ離れているのです。
そのようなとき「ことばの意味」を詮索する必要は、ないと思いますよ。
保健師さんからメールが届きました。中ボケのご家族からの相談に「つらすぎて何も言えなかった。ふつうに中ボケの人の介護をしている人がいうように『やってることはとんでもないことなのに、言うことは立派なのでほんとに腹が立つんです』といわれたなら、『やっていることが脳機能の結果だから、そこが実力』ということができたと思うのですが」以下青字は相談された方のまとめです。
「毎日、毎日、「こんなにバカになってしまって、生きていても
ただ、私もその立場になったら同じことを考えるだろうと思うので
介護する方も大変ですが、本人もプライドがズタズタで、頭は混乱するし、何もできないしで、相当苦しいと思うのです。どうにかならないものでしょうか・・・」
結論は、いつもの通りです。
「『そこまで深く現状を理解しているはずがない』のです。『理解できない』けど『ことばは漏れ出る』…
もちろん、現状に対して何かネガティブな感情はあると思うのですが、ことば通りに受け取る必要はないと思います。その感情には寄り添う必要はありますが、特に自分で処理できていない分『困っている』はずですから、そのことはよくわかってあげなくてはいけません。
「私もその立場になったら同じことを考えるだろう」現在『私』の持っている脳機能ならその通りです。歳をとっても、脳機能がだれにでもある正常な老化にとどまってさえいれば、100歳になってもそのように思えるでしょう。でも、脳機能が年齢を超えて老化を加速し始めたら、それは無理です。
「本人は言っているだけで、それほど深く思ってはいない」その通りなのですよ。
中ボケになったら幼児に対するようにという指導の時に、赤ちゃんから発達して幼児期に到達した子どもと、いったん大人として何十年も生活してきた高齢者を、同じと考えることは許されません。ただ『ことばの持っている意味の力』を過信することのないようにお話ししてあげてください。『言われたことをまっすぐそのままに受け取る必要がない。正確に返事をするよりも相手の感情に沿った対応をした方がいい』ということです」と保健師さんに返事しました。
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