週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 野鳥とのお付き合い

2009年06月24日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
自然との関わりに関する、一個人の私見である。
以前は自然に関する何の考えも持って居なかった。
でも、最近色々考えるようになった。
そんな中の野鳥との係わりを、いつもの如く独断と偏見に満ちた意見を述べることにする。

自然との係わりを考えて今年の春の餌やりを最後に野鳥への給餌をしない事にした。
その事を口にしたら、家内が「それでは、自分が小鳥に餌を与える。」と。
私が餌を与えなくなった理由を説明していないから、家内は面倒で給餌をしない事に決めたと思ったのかもしれない。

今までも、野鳥の餌が少なくなる晩秋から春先までに限って与えて来た。
でも、人間が野鳥をまじかに見たいからとか、小鳥が可哀相だからとの考えで給餌することが良いのか考えてしまったからである。
野鳥は鳥籠に入っているカナリヤやインコなどと違い野生の生き物である。
人間のエゴにより野生に関与して餌を与える事は問題だと思うようになったからである。
野生の生き物は自然のサイクルの中で餌を見つけて、それを採り食べて何世代も何世代もつないで来たのである。
そのサイクルの中に人間のエゴ(給餌)と言う行為が入りだした。
これは、マスコミなどに依る自然界の鳥類に給餌していることの報道にも責任があるようだ。
白鳥など冬の水鳥が飛来すると餌を与えている映像が流されて来た。
すなわち野生の鳥類に餌を与える事は良い事だとの誤った観念を植え付けてしまった。
餌を与える人は、動物をいたわる優しい心の持ち主。
自然を愛する人と。
また、自然に関与する事は良い事であるとの誤ったメッセ-ジを流布してしまった。
自然界の食物連鎖を離れて人為的に餌を与える事は良い事ではないはずである。
一部の絶滅に瀕している種を除き、人が餌を与える行為。
これは野生の哺乳動物は言うに及ばす、鳥類でも良い筈がない。
極論すれば、人間の与える餌を食べる事を覚えた動物は餌を与えられなくなった時命を落とす危険に遭遇する。
野鳥達は自分自身で餌を確保して、次の世代に繋いでいくべきである。
勝手な人間のエゴで給餌して必要以上に自然に関与すべきではない。
これは当たり前の理論だと思うが、一筋縄ではいかない。

都会でも土鳩やカルガモやカラスなどに給餌する人がいる。
可哀相だとか色々な理由を付けて餌を与えている。
餌を与える人は、自然保護などに熱心な方が多いから益々ややっこし。
尚且つ、正しい事をしているとの確信犯である。
東京都は土鳩や野生動物への給餌をしないようにとの運動を展開している。
それによると、リタイヤして暇が出来た御仁が散歩がてらに川にいるカルガモなどにパンくずなどを与えると。
老人の生き甲斐であり、善行を行っていると思い込んでいるから始末に負えないと鳥獣保護員の方が言っていた。

峠の我が家で野鳥に与える餌も同じだと感じたからに他ならない。
で、今シーズンを最後に給餌を中止する事にした。
日本野鳥の会のHPには野鳥への給餌の禁止などの事が記載されているかと思ったが、このことに関する記事は見つける事が出来なかった。

野生動物全般に給餌する行為を止めませんかと訴える気はありませんが、もし、あなたが野生動物(野鳥を含み)に給餌しているならば、一度立ち止まって良い事なのか考えて見るのは如何でしょうか?との提言です。


東京でも沢山見かけるシジュウカラです。






先日の日曜日の朝(東京の我が家)、聞き慣れない種類の野鳥の鳴き声がするではありませんか。
その野鳥の鳴き声を調べたら、アカショウビンでした。
アカショウビンと判っていればカメラを準備して撮影したのですが、後の祭でした。
東京も自然豊かなのに驚かされます。
公園に行けばカメラの砲列です。
皆さんリタイヤされた方達のようです。
目的は飛ぶ宝石と言われるカワセミです。
撮影ポイントに止まり木を立てて、小魚をバケツに入れて来ています。
それまでして、撮影する事が自然のためになるのでしょうか。
コメント (13)
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