最近TVを見て居ると良く感じる事一つ。
あなたは自分自身を何とよびますか。
男性の貴方に対する問いかけです。
自分自身の事を呼ぶとき、即ち一人称として『僕』と使う事に、私は凄い違和感を感じる。
他人が使う事に対してもです。
違和感と言う程度の甘いものではありません。
いい大人が使う言葉でないだろうと思う程なのです。
違和感を感じる自分が可笑しいのか、使う方が可笑しいのかは分からない、でも書かずにはいられない。
こんな自分が変なのか!
自分自身が感じる感覚なので如何ともしがたい。
幼少期に育った時代&幼少期を過ごした地域や場所に依るのかもしれない。
私(わたくしではありません、わたしです。)が幼い頃育った地域では一般の方は公立小学校で、お金持ちの特権階級の御子息は私立小学校・中学校に通っていました。
勿論、私は由緒正しき歴史のある公立小学校でした。
制服などありません。
今の様に制帽もありません。(制帽は中学生からだったかも。)
鼻たれ小僧で学校に通っていました。
雨が降れば長靴を履き、傘を差して通いました。
下校時に雨が止めば、長靴は履かなければ帰れませんから履いて帰ります。
でも、傘は必ずしも記憶に残るとは限りません。
と言う事は、良く小学校に忘れました。
持ち帰っても、下校時にチャンバラ(今は死語で若い方には分からないと思います。ネットで調べてください。)しながら帰りますから直ぐに取っ手の所が壊れます。
黒いセルロイドの中に白墨の様な石灰の塊で出来た芯でしたから。
直ぐに折れるのです。
でも、公立小学校に通う親はその程度の壊れ方では新しい傘は買ってくれません。
私立の小学校に通うおぼちゃまはその様なはしたない遊びは勿論いたしません。
そんな地域性がなせる業なのでしょうか?
制服を着て、制帽を被り私立小学校に通うガキ、間違えましたおお坊っちゃんでした。
ズボン(今風に言えばパンツorスラックス)は必ず半ズボンでした。
今より格段に寒い東京です。
それでも外套を着てもズボンは半ズボンでした。
それがステータスだったのかもしれません。
私は子供の頃、半ズボンなど履いたことはありません。
親に買ってなどと言おうものなら気でも触れたかと思われるのが落ちでした。
前振りが長くなりましたがここからが本題です。
(前書きは、自分の育った時代や環境を理解して貰わなければ、その違和感が分からないと思ったからです。)
はなたれ小僧の公立の小学校に通う餓鬼は俺と自分自身の事を呼んでいました。
小さなはなたれ小僧なのに、いっちょまえにです。
別に粋がって使っていたのではないのです。
周り全体が使っていますから至って自然体で使用していました。
私立に通うお坊ちゃまは、親や女中さんから僕ちゃんなどと呼ばれていました。
勿論名前で呼ばれる事の方が多かったかもしれません。
そのお坊ちゃんが、自分自身を指す言葉として『僕』と言うのが普通でした。
間違っても、俺などとは言いませんでした。
子供がわたし(私)と言う事もありません。
なので、幼少期より金持ちの餓鬼が自分の事を言う一人称の言葉が即ち『ぼく、ボク、僕』だと思っていました。
即ち自分の脳裏には僕=幼児or子供言葉との固定観念が長い時間を掛けて構築されています。
幼児・児童言葉から大人の言葉に変わる時は心の葛藤がありました。
葛藤と言うと少し大袈裟ですが。
でも、自分自身の親を呼ぶとき、子供言葉として「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいました。
高校生・大学生になって迄、「お父ちゃん」「お母ちゃん」は無いだろうと思い、呼び方を変える時のその心の動きは複雑でした。
(NHKの朝ドラの『あさが来た』では、子供を生んで親になっても「お父ちゃん」「お母ちゃん」と言っていましたが。)
広辞苑で『僕』を、国語辞典で『僕』を何と言おうが私自身の心の中に沸き上がる違和感はぬぐいされないのです。
「いい大人が使う言葉では無いだろう」との感情と言ってもよい感覚です。
いやしくも、意見を述べるコメンテーターが公共の電波に乗せて発言する言葉(子供言葉との意味で)ではないだろうとの気持ちなんです。
わたくし(私)は堅苦しくても、立派なわたし(私)の大人が使うべき言葉が存在するだろうと思うのです。
言葉は生き物ですから、時と共に変遷していくのは致し方ありません。
古い感覚にとらわれている自分自身が異端児なのかもしれません。
でも、その偏屈者の異端児の違和感も理解してほしいとアップした次第です。
本音は「わたし」を使えよ!との気持ちです。
真理があり正しいor間違っているとの論旨ではありません。
此処に載せたのも一つの考え方として捉えて頂ければ幸いです。
小学校の画像の追加です。(意味のない只のおまけです。)
今では芝生の校庭です。
自分の小さい頃と大違いです。
でも、校庭はボールが校庭外に飛んで行かないためでしょうか。
ゴルフ練習場みたいに高いネットで覆われています。
細々と。
あなたは自分自身を何とよびますか。
男性の貴方に対する問いかけです。
自分自身の事を呼ぶとき、即ち一人称として『僕』と使う事に、私は凄い違和感を感じる。
他人が使う事に対してもです。
違和感と言う程度の甘いものではありません。
いい大人が使う言葉でないだろうと思う程なのです。
違和感を感じる自分が可笑しいのか、使う方が可笑しいのかは分からない、でも書かずにはいられない。
こんな自分が変なのか!
自分自身が感じる感覚なので如何ともしがたい。
幼少期に育った時代&幼少期を過ごした地域や場所に依るのかもしれない。
私(わたくしではありません、わたしです。)が幼い頃育った地域では一般の方は公立小学校で、お金持ちの特権階級の御子息は私立小学校・中学校に通っていました。
勿論、私は由緒正しき歴史のある公立小学校でした。
制服などありません。
今の様に制帽もありません。(制帽は中学生からだったかも。)
鼻たれ小僧で学校に通っていました。
雨が降れば長靴を履き、傘を差して通いました。
下校時に雨が止めば、長靴は履かなければ帰れませんから履いて帰ります。
でも、傘は必ずしも記憶に残るとは限りません。
と言う事は、良く小学校に忘れました。
持ち帰っても、下校時にチャンバラ(今は死語で若い方には分からないと思います。ネットで調べてください。)しながら帰りますから直ぐに取っ手の所が壊れます。
黒いセルロイドの中に白墨の様な石灰の塊で出来た芯でしたから。
直ぐに折れるのです。
でも、公立小学校に通う親はその程度の壊れ方では新しい傘は買ってくれません。
私立の小学校に通うおぼちゃまはその様なはしたない遊びは勿論いたしません。
そんな地域性がなせる業なのでしょうか?
制服を着て、制帽を被り私立小学校に通うガキ、間違えましたおお坊っちゃんでした。
ズボン(今風に言えばパンツorスラックス)は必ず半ズボンでした。
今より格段に寒い東京です。
それでも外套を着てもズボンは半ズボンでした。
それがステータスだったのかもしれません。
私は子供の頃、半ズボンなど履いたことはありません。
親に買ってなどと言おうものなら気でも触れたかと思われるのが落ちでした。
前振りが長くなりましたがここからが本題です。
(前書きは、自分の育った時代や環境を理解して貰わなければ、その違和感が分からないと思ったからです。)
はなたれ小僧の公立の小学校に通う餓鬼は俺と自分自身の事を呼んでいました。
小さなはなたれ小僧なのに、いっちょまえにです。
別に粋がって使っていたのではないのです。
周り全体が使っていますから至って自然体で使用していました。
私立に通うお坊ちゃまは、親や女中さんから僕ちゃんなどと呼ばれていました。
勿論名前で呼ばれる事の方が多かったかもしれません。
そのお坊ちゃんが、自分自身を指す言葉として『僕』と言うのが普通でした。
間違っても、俺などとは言いませんでした。
子供がわたし(私)と言う事もありません。
なので、幼少期より金持ちの餓鬼が自分の事を言う一人称の言葉が即ち『ぼく、ボク、僕』だと思っていました。
即ち自分の脳裏には僕=幼児or子供言葉との固定観念が長い時間を掛けて構築されています。
幼児・児童言葉から大人の言葉に変わる時は心の葛藤がありました。
葛藤と言うと少し大袈裟ですが。
でも、自分自身の親を呼ぶとき、子供言葉として「お父ちゃん」「お母ちゃん」と呼んでいました。
高校生・大学生になって迄、「お父ちゃん」「お母ちゃん」は無いだろうと思い、呼び方を変える時のその心の動きは複雑でした。
(NHKの朝ドラの『あさが来た』では、子供を生んで親になっても「お父ちゃん」「お母ちゃん」と言っていましたが。)
広辞苑で『僕』を、国語辞典で『僕』を何と言おうが私自身の心の中に沸き上がる違和感はぬぐいされないのです。
「いい大人が使う言葉では無いだろう」との感情と言ってもよい感覚です。
いやしくも、意見を述べるコメンテーターが公共の電波に乗せて発言する言葉(子供言葉との意味で)ではないだろうとの気持ちなんです。
わたくし(私)は堅苦しくても、立派なわたし(私)の大人が使うべき言葉が存在するだろうと思うのです。
言葉は生き物ですから、時と共に変遷していくのは致し方ありません。
古い感覚にとらわれている自分自身が異端児なのかもしれません。
でも、その偏屈者の異端児の違和感も理解してほしいとアップした次第です。
本音は「わたし」を使えよ!との気持ちです。
真理があり正しいor間違っているとの論旨ではありません。
此処に載せたのも一つの考え方として捉えて頂ければ幸いです。
小学校の画像の追加です。(意味のない只のおまけです。)
今では芝生の校庭です。
自分の小さい頃と大違いです。
でも、校庭はボールが校庭外に飛んで行かないためでしょうか。
ゴルフ練習場みたいに高いネットで覆われています。
細々と。