本日は午前中30分だけの仕事が入るという、山屋にとっては実に中途半端でストレスの溜まる事おびただしい1日だった。午後から雁戸山辺りの山歩きも考えたが、早朝からスタートダッシュしないと完全燃焼しない様な気もして取り止め、気になっていた「剣岳・点の記」を観る為にチャリで出かけた。
映画を見るのはアニメを見せる為幼稚園の子供を連れて行ったのが最後で、いつもはレンタルビデオ三昧の自分にとっては17年ぶりの珍事でもあった。会場に入ると中高年の山屋さんとおぼしき方も多い様で、前評判どうりにお客さんの数は多い。自分もそうだが、これを見る為に久しぶりにシネコンにやって来たというご同輩も少なくないのでは?
結果は壮大なスケールと映像美に圧倒され、今時のCGを駆使した今の映画とは異なり、30年も前に見た古き良き時代の感動大作を観る様だった。撮影には想像を超える困難を感じさせ、監督ならびに俳優・スタッフの苦労が伺える。細かい事は別にしても、山屋サイドから見ても臨場感あふれる映像で、もう一度剣岳を訪れたくなる様な素晴らしい作品だと思います。特に無慈悲なまでの自然の厳しさが良く描かれ、物語のリアリティを高めている所に共感を覚えます。
感じる点はこの映画は意外と山屋さんにとっての課題で、「なぜ山に登るのか?」というテーマに大きく踏み込んだ作品と思えます。主人公の柴崎芳太郎も山案内人の宇治長次郎のセリフにもこの答えは有りませんが、後に続いた日本山岳会の小島烏水の対比により、明確なメッセージとなって物語の根幹を成している。
「山は人間によって必ず登頂される。最初に登頂した者が後に続く者に道を開く。」しかし、これにはどんな困難(犠牲)を払ってもという非情な背景がある。また、この単純明快な回答が全てを物語り、山を志す者にとって永遠の命題でも有り、そしてエネルギーの原動力となっている。もしこの要素が無ければ、脈々としたパイオニア精神は芽生えず、日本でも近代の登山の発展は有り得なかった。
それと「初登頂の意味」を問うところが興味深い。結果的に初登頂ではなく、陸軍参謀本部陸地測量部上層部と世間は価値を否定したが、その後100年後には実質的な初登頂と評価される所がポイントと言える。つまり結果が全てではなく、その当事者の価値観が全てを支配すると言う認証でも有る。
普通、登頂の記録が有りながら検証出来ないという場合が多いが、登頂の事実が有りながら登頂者が不明と言う逆のパターンは稀有だろう。また、初登頂者の動機が純粋な信仰心だとすれば、後で冒険あるいはスポーツ登山の続登者の価値観も異なるだろう。解り易い例で言うならば、ヒラリーがエベレストに初登頂した事と、その50年後に日本隊が厳冬期のエベレスト南西壁を初登攀した時の評価の問題で、どういう価値観を誰が認めるかと言う点では同じ様なものだ。
これと比べるとえらくスケールの小さい話だが、山スキーなどでも似た様な要素が有る。スポーツなのかそれともレジャーなのか、あるいは単なる宴会目的の手段(言い訳 これもそれなりに楽しい)なのか、当事者によってその認識・価値観は異なる。本人もあまり考えたことがなかったり、または無意識だったりする。急峻な斜面にエクストリーム的なラインを引く事と、美しいパウダー斜面に理想的なトラックを残す事と、大きな山脈に長大なツアーコースを求める事では異なり、場合によってはその世界が異なる。
剣岳はかつて2度だけ東面を訪れた事があるが、経験の無い西面の小窓尾根・早月尾根や周辺の山容がイメージできず、映像を見ていても位置関係が解らず面食らった。しかし、自分が最初に山頂に立ったコースは、同じ長次郎雪渓から本峰の南壁経由だった事も印象深い。今時アルパインクライミングは斜陽の世界の様だが、今になると登っておいて良かったと思う。
山を知らない人や関心の無い人にとっては、知らない山の光景の連続で退屈かも知れませんが、この映画の雄大で美しい映像はそれを上回り、素晴らしい感動を与えてくれるでしょう。山岳界の主役を演じる中高年の皆さんのみならず、高校生、大学生などの若い方にも是非観て頂きたい作品だと思います。
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