雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森39 カン吉云さん著『倭の正体』三五館

2010年05月17日 05時03分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森39 カン吉云さん著『倭の正体』三五館、2010年3月8日初版~3月25日3刷、222ページ、定価1500円+消費税

 すみません。「カン」の漢字が見つかりません。
 著者のカンさんは、韓国人の言語学者です。

 古代史に出てくる「倭」とは何か、その正体を追った推理研究です。

 カンさんは「倭」=日本列島の「日本」という常識を疑い、研究していった結果、日本列島の近畿天皇家(カンさんの言う「大和倭」)が3世紀あるいは4世紀から朝鮮半島に軍を派遣していたという定式を破棄して、古代朝鮮の史書や古代日本の史書に現出する「倭」は、南朝鮮の「加羅」や「百済」などを本拠地にしていた勢力であり、加羅や百済の衰退や滅亡にともなって、日本列島へ移住・亡命した人たちであると推定しています。

 いちばんおもしろいのは、欽明・継体・舒明・皇極・幸徳・天智・天武天皇と後に『日本書紀』で命名された人たちは、どこの誰なのか、という謎解きでしょう。
 つまり、彼らは、朝鮮系の王族たちであったという解明です。

 この謎解きが正解なのか、誤解なのか、みなさん自身で判断してください。
 万世一系の、歴史学右翼のみなさんにはショッキングな、とんでもない結論で、「トンデモ本」ということになるでしょうが、ぼくはその正邪を検討すべきまじめな本だと思います。
 
 細かい判断はまだできませんが、百済・加羅などの「南朝鮮」から日本列島への移住の動きという流れは正視すべき流れだと思います。
 
 当時は、中国や朝鮮が日本列島にとっては、模範・モデルなのでした。
 いよの時代から、近畿天皇家が派遣軍を朝鮮に送って支配して、鉄や先進物を日本列島に持ってきた、というような妄想は、そろそろ成り立たなくなってきていると考えます。

 ただし「ドラヴィダ語」うんぬんの部分については「まじめ」なものかどうかという判断を保留しておきます。
 なにしろ「ドラヴィダ語」うんぬんは、あの大野晋さんが関係しているのかどうなのか。
 大野晋さんの日本語とドラヴィダ語の関連説については、安本美典さんの批判が正しいと思いますので、参照してください。

 
 

雨宮日記 5月15日(土) 補足・日本沈没の夢と…

2010年05月16日 07時28分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月15日(土) 補足・日本沈没の夢と…

 昼間、無理をして早起きをしてN子さんとでかけたので、すごく眠くなって、夕方の早い時間でしたがN子さんに「すこし寝るね」と言って、少し仮眠をしました。

 最近読んでいた「日本沈没」の影響か、夢のなかで、海面上昇か・地盤沈降かで、高層ビルの中に取り残されたぼくたちが海面がどんどんん上昇してくるので、ビルの上へ上へ、逃げてました。
 夢のなかで、屋上に取り残されたぼくとN子さんと誰かもう1人の男性、ヘリの助けは来そうもなくて、最後に、波がうわっと押し寄せて、N子さんが何かぼくに叫んで…
 …目がさめました。

 娘のIさんに話したら「わたしはどこにいるの?」と突っ込まれました。

 そんな夢をブログに書いてどうしたいの?とN子さんにも突っ込まれそうですが、相棒のN子さんといっしょに「出演」できる夢って、そんなにめったにはないので、つい書いてしまいました。

 そんな夢を見てしまったので、なんだか昨夜は(いつものように)深夜、1人では眠れなくなってしまい、迷惑を顧みず…N子さんのお布団に…行きました……久しぶりの…とっても至福の時間でした…N子さん、ありがとう。

 今日16日(日)は、N子さんは静岡県母親大会へ行きます。行ってらっしゃい。
 ぼくのおすすめは、ゲド戦記の訳者の清水さんの分科会です。
 第1巻は「影とのたたかい」です。
 うわ、また「買いたくなってきました」。全6巻。



 

 

雨宮日記 5月15日(土) 素敵な喫茶店で素敵な「音楽浴」

2010年05月16日 06時48分59秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月15日(土) 素敵な喫茶店でフルートコンサート

 4月に聞きにいった浜北なゆたでのフルート協会のコンサートに今日のビラが入っていたので、電話で予約をして、今日の晴れた午後、N子さんと2人で、電車で駅まで出てバスで佐鳴湖畔まで行きました。
 フルートの中村泉さんの追っかけ隊です。
 妻のN子さんは「智彦くん、ほんとうに起きれるの?」と半信半疑でしたが、なんとか起きて出かけました。
 
 遠鉄バスの「富塚西」で下車、佐鳴湖畔のパークタウンにある喫茶店「湖風(うみかぜ)」というところを捜すと、ありました!

 階段を上がって2階の入り口を入ると、とっても素敵な喫茶店で、ガラス戸のむこうにベランダがあって、花たちがみんな、競って咲いていました。
 店内には浜松の桜や風景を描いた絵が飾られていて、遠くから見て最初、うわあ、とてもきれいな写真だなあと思ったら、絵でした。
 席は19席で、あ!2人分の聞く機会をぼくら2人で奪っちゃったなと、ちょっと申し訳ない気分になりました(ちょっとだけです)。
 
 ローランドの電子チェンバロが置いてあって、最初の30分間は喫茶タイムで、ぼくはラベンダーの紅茶をおいしくいただきました。
 
 今日の演奏は、中村泉さんのフルートと、中島典子さんの電子チェンバロのデュオです。タイトルは「音楽のこぼれ種 ~バロック音楽の花束~」です。
 
 中村泉さんは、今日もすてきな服で、いつもとはちょっと違って、シックでスマートな感じ!ぼくは今日の服がいちばんいいな!(服だけほめてどうするの!と相棒のN子さんにダメ出しされそうですが、洋服も演奏会のイメージのひとつなんですよね)。

 フルートと電子チェンバロが歌い始めると、喫茶店の中は、すぐヨーロッパ近世の時代になり、バロック音楽で満たされました。
 
 グノーのアベマリア、シチリアーノ、ポロネーズ、G線上のアリア、ゴセックのガボット、ヘンデルのラルゴなど、バロック音楽を中心に、音の時間を満喫しました。

 チェンバロ・パイプオルガン・リュート・フォルテピアノと、一瞬で音色の変わる電子チェンバロも魅力でした。

 主催者として全方向に注意している企画の時間では、せっかくの中村泉さんのフルートも集中して楽しめていないので、今日は、1聴衆としてフルートと電子チェンバロの音に浸ることができました。
 すてきな「音楽浴」の時間をありがとうございました。
 
 写真は、ラベンダーの紅茶です。

 

 
 




 

 
 

本と映像の森38 中山七里さん『さよならドビュッシー』宝島社

2010年05月15日 05時07分32秒 | 本と映像の森
本と映像の森38 中山七里さん『さよならドビュッシー』宝島社、

 5月8日にN子さんがアメリカ・カナダの旅から帰ってきて2日後の、10日(月)にN子さんが「智彦くん、本屋へ行かない?」と言うので、ちょうど谷島屋三方原店から「ご注文の本が1冊入りました」と電話があったので、「いいよ。行こう」と、2人で車で行きました。

 谷島屋三方原店はわが家から遠くて車でしか行けません。前は、有玉にあった谷島屋毎日ボール店を使っていたのですが、なくなったので、ここを使うようになりました。
 浜松駅のメイワンビルの谷島屋を使えばとも思いますが、電車で、重い本を運ぶのがいやで、こういう時は車を使います。
 とは言っても、客の入りはいつも少なくて、いつ使えなくなるか、ちょっと心配です。

 注文した本を買って店内をぶらついていると、小説のコーナーで、ぼくを呼ぶ本が1冊ありました…。
 本が大好きなぼくは、本屋さんや図書館でぶらついていると、視野の隅にちらついた本の背表紙や表紙が「雨宮さん、わたしはあなたが読みたい本ですよ」「ぼくはあなたが読むべき本ですよ」と語っているのです。

 (N子さんに警告されそうですが。「智彦くん、そういうオカルト的な、観念論的な主張は誤解を呼ぶからやめてください」と。でも、これは観念論でも、オカルトでもなくて、ぼくのリアルな事実に基づいた強固な経験なんです。他人に強制しようとは思いませんが。)

 もちろん、ぼくの側の勝手な主観ですが、そういう自分の主観さえもなくて、ただマスコミで売れている本や、新聞の書評欄で推薦している本だけを読んでいればいいという人は、自分の読むべき本とは巡り会えないと思います。

 すみません、やっと本論に入ります。
 小説は、こう始まります。
 「鍵盤にそっと指を置く。
  右足は軽くペダルに乗せる。
  深呼吸を一つしてから指を走らせ始める。
  低温から始まる序奏。そして和音からしなやかな三度の重音に」

 主人公・16才の遙(はるか)が、従兄弟のルシアといっしょに鬼塚先生のレッスンを受けるシーンから始まります。
 曲はショパンさんの「英雄ポロネーズ」です。

 小説は、自宅の火事で、祖父と従兄弟が亡くなってしまい、自分だけが大火傷で生き残った少女が、ピアニストをめざします。
 
 大火傷で運指もままなならい少女は、入学した高校の特待生の地位を維持するために、鬼塚先生の家で出会った若きピアニスト・岬洋介さんの、思いがけない申し出で、岬先生とのきびしいレッスンを始めます。

 レッスンをしながら、少女の周りで起きる不可解な事件や、家族を巻き込んだ殺人事件とピアノのレッスンを、少女と岬先生が謎解きをして解決していく、音楽推理小説です。
 
 全編でショパンやドビュッシーやベートーベンのピアノが鳴っています。
 
 音楽マンガでいうと『のだめカンタービレ』や『ピアノの森』と同等以上の良質の音楽小説だと思います。
 「音楽映画」というジャンルがありますが、映画なら実際に音楽をならせばいいので「小説」や「マンガ」は音を想像させるのにたいへんですね。

 主人公がコンクールで弾いた「魂のドビュッシー」、実際の演奏として、聞きたいです。
 
 最後のあたり、切なくて、哀しくて、啼けました。
 自分たちは、どのあたりにいるのだろうか、N子さんとぼくは。

 なぜかは、小説の最後の岬探偵による解明を読んでください。
 
 審査委員長のことばが切実に響きます。
 「私たちは今日改めて音楽は指先ではなく、魂で奏でるものだと教えられました…」
 そうなんですよね。「魂」、みんな「魂」をどれくらい保持しているのでしょうか。


 

 

 
 

遠州古代史の本2 浜松市『浜松の古墳めぐり』

2010年05月14日 23時03分19秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本2 浜松市生活文化部生涯学習課(文化財担当)さん編集『浜松の古墳めぐり』<浜松市文化財ブックレット1>、浜松市発行、2008年3月20日、64ページ

 浜松市内の主なほとんどの古墳を「見学する際のガイドブックとして作成」されたカラーパンフです。
 
 主な古墳について解説と地図がついていて、これを手に「浜松の古墳めぐり」をするのがいいです。

 有料でたぶん、浜松市博物館や浜松市生活文化部生涯学習課で売っていると思います。
 浜松の古墳に興味のある方は必見です。

雨宮日記 5月14日(金) アメリカとカナダの文化の違い

2010年05月14日 05時38分18秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月14日(金) アメリカとカナダの文化の違い

 5月1日から8日までの旅で、N子さんは、アメリカとカナダに行きました。
 帰ってきて、いろいろ聞いたり見たりすると、オモチャみたいな1色のアメリカのドル紙幣と、ちょっとしゃれたカナダの紙幣に、北アメリカの2つの国と、2つの文化の違いが現れているような気がしました。

 フランス文化とイギリス文化の融合である、カナダの方が、アジア大陸の東端の、いろんな文化が融合した日本とは、気が合う点があるのかもしれません。
 
 アメリカのような、砂糖漬けの、甘い文化に比べると、カナダは、サトウカエデから取った砂糖(英語で、メイプルシュガー)ですから、複雑さがあります(つまり、いくつものシステム(系)の複合系ということで。

写真はカナダの紙幣と貨幣。
 

遠州の遺跡・寺社13 早出町の「しら」は新羅かな?

2010年05月14日 05時24分11秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社13 早出町の「しら」は新羅かな?

 浜松市の古代史で、古代朝鮮「4国」の高句麗・百済・新羅・加羅任那あやを追っています。
 その追跡で気がついたこと。

 馬込川の川べりにある十軒町の我が家の、すぐ東は早出町です。
 その早出町に、こういう「人名」「会社名」があります。
 写真を見てください。

 早出町の「白井医院」と「志らは」(産業という会社です)は、明らかに目と鼻の先で、おなじ「しら」から来ているのは明白です。
 「しら」です、「しろ」では、ありません。
 地元なので、「しらい・いいん」であって「しろい・いいん」ではないと、いうのは、よくわかっています。

 全国に分布する「白山神社」は、「しろやまじんじゃ」なのか「しらやまじんじゃ」なのか、それが問題なのですが、音読みが「しろ」ではなく「しら」である場合は、これは「新羅」であることは、ほぼ確実といえるのでは、ないでしょうか。

 

雨宮日記 5月13日(木) いて座の銀河が薄く見えました

2010年05月14日 04時49分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月13日(木) いて座の銀河が薄く見えました

 真夜中に、配送の仕事で、ちょうど中田島海岸の付近まで車で毎日行っています。
 今朝2時頃、まだ雲も少しあったのですが、雨の後で、すごくきれいな夜空でした。

 ちょうど、今の時刻は、南の空に、さそり座が尾まで全部見せて「南中」していて、「サソリ座のアンタレスが赤く燃えてい」ます(埋田昇二作詞、合唱組曲「ビキニの海は忘れない」より)。

 サソリ座の左上がいて座(射手座)で、地球からは射手座の付近に、銀河系の中心があります。
 つまり、地球の空では、射手座が、地球の夜空を一周する「天の川」(銀河系を地球の空で見た形)の一番、濃いところです。

 射手座の付近に、すごく淡いですけど、明らかに「銀河」が見えました。
 写真では撮影できない、淡い、白いミルクのような、白い雲のような、です。

 そう、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』の冒頭のシーンです。

 浜松市内で「天の川」「銀河」が見えること、どれくらいの市民が知っているのかな?
 「広報はままつ」か、浜松市のホームページで告知してもらいたいです。

 いつか、雨上がりの晴れた日に、妻のN子さんを誘って、二人で、ジョバンニとカンパネルラのように銀河を見に、夜のデートに行きたいな、と思います。

 N子さん、ぼくたちも、鉄郎とメーテルのように、ジョバンニとカンパネルラのように、長い長い銀河を、ずっと旅してきたよね。
 途中でけんかもしながら、いさかいもしながら、不安になりながら、でも30年。
 ぼくたち、旅の仲間と、もっと、もっと先まで行けるかな?
 
 

浜松と遠州の歴史1 『浜松市史 新編史料編6』

2010年05月12日 07時38分39秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史1 『浜松市史 新編史料編6』浜松市、2010年、A5版、1218ページ、価格2800円。

 1959年(昭和34年)5月から、2008(平成19年)までの浜松市政や浜松市の歴史資料、610点を収録しています。
 
 浜松市の図書館で扱っています。
 郵送の場合は、郵送料金として切手代450円が必要です。
 
 発刊記念講演会が6月19日(土)午後と、6月26日(土)午後に開催されます。
 定員50人で、先着順です。

人間・心・集団の学習7 民主的運営と個人的・専制的運営

2010年05月12日 06時58分41秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習7 民主的運営と個人的・専制的運営

 組織・集団の運営と決定はどうあるべきか、ここ数年、雨宮は信頼できる仲間(妻のN子さんを含みます)とともに、いろいろ悩み、追求してきました。

 解決してスッキリ運営している組織・団体もあるし、解決できずに、そこで包囲されて孤軍奮闘でのたれ死にするのもいやなので、雨宮夫妻としてはそこは見捨てた組織もあります。

 「民主団体」「民主的運営」といえるのは、2種類しかないと思います。
 
 一つの道は、満場一致制を原則にして、参加者全員で納得のいくまで、とことん、話し合って、議案を修正していくことです。


 二つめの道は,満場一致制を目標にしつつも、どうしても一致しないときには、参加者全員の投票で、多数決決定をすることです。
 
 この2つ以外に、民主組織・民主的運営はないと思います。

 戦国時代を扱った小説、たとえば、宮城谷昌光さんの小説『風は山河より』『新三河物語』を読むと、戦国時代の武将たちは、部下を集めて、まず存分に部下たちの意向を言わせて、その上で、自分が全責任を負って決めるのだと、書いてありました。
 
 もちろん、それは、民主的運営・民主的組織ではありません。ありえません。

 民主的運営とは、とにかく定期的に会議を開いて、そこで決めていることだと、考える人がいるなら、それは大きな誤解だと思います。

 民主主義を、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・上杉景勝の水準に下ろしてはいけないと思います。

 民主的か、非民主的か、の分かれ道は、満場一致制か多数決制のどちらかを採用しているか、それとも声の大きい人や責任者の判断だけで決めているかどうか、だと思います。
 
 もしみなさんが参加している会議が、みんなに総意を図らずに、責任者だけの大きな声で決めるのなら、それは、400年前の戦国時代の水準だということだと思います。
 (反論・批判、受け付けます)

 

雨宮日記 5月10日(月) ショパンさんピアノ協奏曲再論

2010年05月12日 06時42分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月10日(月) ショパンさんピアノ協奏曲再論

 「雨宮日記 4月23日(金)」「ショパン(ゼロ才)の洗礼の日」でこう書きました。
 
 「今大好きなのは、ショパンさんのピアノ協奏曲1番・2番と、ラフマニノフさんのピアノ協奏曲2番・3番なのですが、ラフマニノフさんのピアノとオケのからみあった緊密な構成の曲を聴くと(からみあいすぎて時々、ピアノの旋律が聞き取れません)、ショパンさんのピアノ協奏曲は、すごく好きなのですが、オーケストラがバックで伴奏するピアノソナタという感じがします」と。

 さっき「審美眼要請日誌」さんのホームページにアクセスしたら、以下の文章がありました。
 
 「ショパンのピアノ協奏曲が「ピアニストの、ピアニストによる、ピアニストのための協奏曲」だということは確かだと思う。第1番も第2番も、ピアノ・パートの入念な書かれ方に対して、オーケストラ・パートは響きが単調で、意外なほど繊細さがない。明らかに、常に音楽をひっぱっていくのはピアノで、オーケストラは添え物としての役割しかもらっていない。作曲された動機が、20歳そこそこだったショパンがピアニストとしての自分を売り込むための自作自演用、ということも一因なのかもしれない。でも、同じくピアニスト兼作曲家だったラフマニノフも、バルトークも、もうちょっと丁寧にオーケストラ・パートを書いてるんだけどなぁ」と。

 やっぱり!誰が聞いてもそうなんだ、と思って、雨宮は自分の感性にすこし自信がつきました。
 
 5年に1回ワルシャワで「国際ショパンコンクール」がおこなわれます。
 いま『週刊モーニング』で隔週連載しているマンガ「ピアノの森」が、2人の主人公の少年、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平が、最終予選に挑んでいます。
 この第3次予選に通ると、いよいよ、ショパンのピアノ協奏曲を演奏するラストの本選です。

 修平は、1番?2番?海は、1番?2番?どっちを演奏するのか、楽しみです。

雨宮日記 5月8日(土) 2万ヒットお礼!とN子さん帰国!

2010年05月10日 00時19分39秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月8日(土) 2万ヒットお礼!とN子さん帰国!

 今日は嬉しいことが2つ,重なりました。

 雨宮ブログが今日で2万ヒットとなりました。こむずかしい、つたないブログを見に来てくれるみなさま、お礼申し上げます。
 毎日、多くの方が見に来てくれると、毎日、書かないと…という気になります(あ、これは1万ヒットで書いたか)。

 ネットで検索してみたら、日本人は世界の中でも「ブログ」好きな民族なようで、2006年になんと、英語のブログより日本語のブログの方が多くなったとあります。
 その年に日本語ブログは世界のブログの37%だったそうです。その後の数値は不明。

 日本のブログのうち1日500ヒット以上が2%、1日200ヒット以上が6%だそうです。
 雨宮ブログは、最近の平均で1日200ヒットぐらいですから、日本のブログの中の6%、12万ブログのなかに入っているということでしょうか。

 今日は、妻のN子さんがアメリカから、午後3時に成田に到着、8時過ぎに帰宅しました。
 N子さん「無事、行ってきました」
 ぼく「こっちも8日間、なんとか無事でした」

 メタボなアメリカの男女や、テレビもつかない、お湯も有料のホテルの話とか、いろいろ聞いておもしろかったです。 

 写真は、N子さんがアメリカ行きの飛行機で見た「月」。
 「浜松で見るより大きかったよ」と言ってますが、N子さん、それは錯覚です。



本と映像の森37 中村啓信さん訳注『古事記』角川ソフィア文庫

2010年05月08日 19時32分15秒 | 本と映像の森
本と映像の森37 中村啓信(ひろとし)さん訳注『古事記 新版』角川ソフィア文庫、607ページ、定価1124円+消費税

 日本古代史の基本文献の1つである『古事記』の手頃でいい文庫本を、この前、メイワンの谷島屋店で見つけたので紹介します。

 昨年9月25日に初版が発行されています。

 約600ページで、消費税含めて1180円ですから、なんと1ページ2円、安い!
(だからどうなの?と聞かれそうですね。いえ、別に。「効率」を主張する、浜松行革審の委員のみなさんは推薦してくれるかな?と、ちょっと、思っただけです。)

 内容は、読み下し文・現代語訳・原文(漢文)、解説、全歌謡各句索引、主要語句索引からなっていて、初心者にも親切だと思います。

 岩波文庫版は固すぎて、初心者には不向きですし、文春文庫の三浦佑之さん訳の『口語訳古事記』(2巻)は訳者の三浦さんの趣味が私には合わなくて(つまり、「語り部の古老を登場させて、本文に古老の注釈をつけくわえちゃうことまでしている。ここまでやるのは「原文改訂」でしょう?)。

 専門家の「解釈」にたよらず、本来の「古事記」をテキストで味わいたい日本人全員におすすめします。
 つまり、たとえば音楽を聴くのには、まずその曲を聴いて,自分で「これ、いいね」とか「これ、きらい」「今の私にはあわない」とか自分で判断すればいいのです。
 学校の「名曲鑑賞」の時間みたいに、まず先生が「これは、これこれこうい理由で名曲で」と「ご高説」を聞いてから聞くのはいやです。
 
 なお、三浦さんの『口語訳 古事記』は、文藝春秋社から出たハードカバー版を買って持っていますが、「古老の語り」を削除すれば、それほど奇怪な本ではありませんので、念のため。
 口語訳と、本文につけられた大量の用語注釈、42ページにわたる解説、地名解説、氏族名解説、系図、地図、動植物名索引、神人名索引、と読者に親切な本です。
 なお、この解説や索引が文庫版についているのかどうかは、まだ見ていませんので。

雨宮日記 5月7日(金) 玄関の蛍光灯と居間の蛍光灯

2010年05月08日 06時26分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月7日(金) 玄関の蛍光灯と居間の蛍光灯

 5月6日に、玄関を照らす蛍光灯が切れて,高林の「コジマ電器」に行って買って来たら、すごく明るくなりました。
 うわ、こんなに汚くなって、暗くなっていたんだと、感動的。

 そうしたら、次の日の7日になって、こんどは、玄関の脇の、最近は長女と次女で占拠している部屋の蛍光灯が2本ともパカパカして。

 明日は、アメリカ・カナダの旅から、N子さんが帰ってくる日なのに、なんだか、「啓示」なのか、そうでないのか、なんだか、いやです。

 何もないといいけど。
 今日、5月8日の午後3時に、N子さんは成田に到着する予定です。
 
 声が聴きたい。
 姿を見たい。
 

雨宮日記 5月6日(木) 食いだめ生きもの、しない生きもの

2010年05月08日 06時09分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月6日(木) 食いだめ生きもの、しない生きもの

 名古屋水族館に行った時に、「太っちょペンギン」を見て思ったことは、「食いだめのできる生きものと、できないで始終、動き回っている生きものがいる」ということでした。

南極に住むペンギンは、電波探知機をつけて行動を追ったら、海の深くまで潜るペンギンもいたようです。

 空中を飛ぶツバメやトンボはあの、体の細さからいっても、体内に栄養をためることはできなくて、始終、動き回って餌をとらないといけないでしょうね。
 
 もちろん、トンボは自分だけの餌で、ツバメは自分の子供に餌を与えないといけないということもありますね。

 ライオンが、映像で、なんとなく寝そべって、のんびりしている映像があるのは、食いだめができるからではないでしょうか。
 このシマウマ1頭で、○日くらいは、寝ていられるな、みたいな。

 人間の経済でいうと「剰余価値」ですが。
 
 名古屋水族館で見た、すごく印象的な「メタボぺんぎん」の写真。
 そのとき、N子さんが、ニコニコして、ぼくの腰のあたりを見つめていました。
 え!やだな!ぼくは、最近、腰回りが少なくなったんだよ。ほんとだって!
 N・Yから帰ってきたら、直接、N子さんの手指で、ぼくの腰回りを確かめてください。
ほんとに減量してるんだから。ツバメほどではないけど。
 ツバメ+ペンギン÷2=、くらいです。