雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 5月5日(水) 88夜も過ぎて立夏・端午の節句

2010年05月08日 05時47分11秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月5日(水) 88夜も過ぎて立夏・端午の節句

 5月5日は全国的には,2日の「88夜」を過ぎて、立夏・端午の節句です。浜松的には「浜松まつり最終日」です。
 今年は、浜松まつりも3日間、雨が降らず、いい天候でした。
 浜松まつりも、むかしは5月1日から5日間もやっていたんですが、さすがに、最近はそんな無茶元気はなくて、3日間になっています。
 
 この連休は,静岡県内では各地で茶摘みです。
 1912年の文部省唱歌「茶摘み」では、こう歌われています。
 
 「夏も近づく八十八夜
  野にも山にも若葉が茂る
  「あれに見えるは茶摘みぢやないか
  あかねだすきに菅(すげ)の笠」

 「あかねだすき」とか「菅の笠」とか、今の子どもたちにわかるかな?
 「だすき?ダスキンのこと?」と聞かれそうです。

 もう一つ有名な「ちゃっきり節」では、こうでしたね。

 「唄はちゃっきり節、男は次郎長、
  花はたちばな、夏はたちばな、茶のかおり、
  ちゃっきり、ちゃっきり、ちゃっきりよ
  キャアロ(蛙)が啼くんで、雨(あま)ずーらーよー」
 
 この「ちゃっきり節」は、戦前の1927年(昭和2年)に北原白秋さんが作詞して、町田嘉章さんが作曲した「新民謡」です。
 
 加藤文三さん著『民謡歳時記 ーくらしの文化史ー (上)』青木書店、「14 茶摘唄」(p175)によると、松尾芭蕉さんの俳句をもとにしたものだとありました。

 「駿河路や 花橘も 茶の匂い」

 「匂い」と「かおり」は同じ感じなんでしょうか?違うのでしょうか?
 

遠州の遺跡・寺社12 江之島町の新羅大明神

2010年05月07日 13時44分59秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社12 江之島町の新羅大明神

 浜松市南区役所のすぐ東南に浜松江ノ島高校がありますが、芳川を渡る江南大橋を南に渡って、江の島高校北」信号を過ぎると、道が東へ曲がっていきます。
 最初の信号を南へ曲がると、すぐ右(西)に見えてきます。

 東向きの神社です。
 静岡県神社庁のホームページでは「新羅(しんら)神社」となっています。

 江戸時代に、小笠原源太夫(げんだゆう)基長さんは、出身地の近江の園城寺にあった新羅神社を勧奨しました。
 この近江の新羅神社は、平安時代の源氏の頭領・源義家さんの弟・新羅三郎義光さんが元服した神社です。
 祭神は「新羅三郎義光」です。

 つまり近江から来た新羅系朝鮮人の子孫がこのあたりにたくさんいたということでしょうか。

 小笠原源太夫さんは、五島地区に農業用水と水運のための「源太夫堀」を整備した人です。
 遠州浜団地の西の端に「源太夫橋」があります。

 問題は、堂々と「新羅」を名乗った「新羅三郎義光」さんとは何物か、ということです。研究します。
 

人間・心・集団の学習6 構造論「人格・心・インターフェイス」

2010年05月05日 05時10分11秒 | 人間・生命・宇宙
人間・心・集団の学習6 構造論「人格・心・インターフェイス」

 いろいろ考えた末に、人間の構造を「人格+能力」で考える構造論を修正します。

 安冨歩さんと本條晴一郎さんの共著『ハラスメントは連鎖する』光文社新書(「本と映像の森31」で一部のさわりを紹介)では、生まれたばかりの赤ちゃんは「人格=魂」としてとらえ、その後の学習によって、魂のまわりにインターフェイス(仲立ち)が発達し「人格=魂+インターフェイス」となるとの説でした。

 最近、思い始めたのは、これだと人間の「意識」「心」はどこにあるのだろうか、揺らぎ、悩む心、表面意識は、個々の人間の「魂」「人格」とはすこし違うのではないか、というのが出発点です。

 そこで、やはり、人間の中心になる「魂=人格」と、自然環境や他人とのコミュニケーションの装置である「インターフェイス」の間に、もう一つ、1段階入れないと、リアルではないと思うようになりました。
 
 つまり、人間精神(「精神」という概念でいいかどうかわかりませんが)を、
 ① 中心の、決定権のある司令塔としての人格(魂・霊性)+
 ② ①と③をいったりきたりして、悩み苦しむ表面的意識・心+
 ③ 外界(自然と人間)を仲立ちするインターフェイス
  ③A 受信能力(第1次信号系も言語=第2次信号系も)
  ③B 発信や労働能力
 以上、3つの重なったもの、と、とらえたいと思います。

 みなさん、どうでしょうか?

 

本と映像の森36 こうの史代さん『さんさん録 1&2』双葉社

2010年05月04日 23時26分00秒 | 本と映像の森
本と映像の森36 こうの史代さん『さんさん録 1&2』双葉社,2006年4月11日と7月28日初版第1刷、定価724円+消費税

 こうの史代さんのコミックです。
 こうのさんのほのぼのとした優しい描線が大好きです。

 突然、妻の鶴子さん「つうさん」を交通事故で亡くした中年男・参平さん「さんさん」を主人公にした『さんさん録』の第1巻と第2巻(たぶん完結)です。

 定年から3年という設定ですから、63才でしょうか。
 息子の詩郎さんと妻の礼花さんと一人娘の乃菜さんの3人家庭に入り込んだ「さんさん」ですが、
 偶然さんさんは、つうさんが書きためていた「奥田家の記録 鶴子」を発見してしまいます。(というかこれが発見されないと物語は成立しないし、たんなるぼけ老人が家族にいやがられる話になっちゃいます。この物語の本当の主人公は、鶴子さんなんですね)。

 つうさんが残してくれた「家事の仕方」全般のノートを読んで、さんさんは今までしたことのなかった家事に挑戦して、詩郎家に溶け込んでいきます。

 たんなる家庭コミック・家事コミックにおわっていないのは、詩郎と仕事上のつきあいがある「引き抜き屋」の若い女性の仙川さんの存在があるからでしょうか・・。
 
 「最終話」をお読みください。
 
 虫好きの乃菜さんも、現代の子どもではあまり居ないキャラで、すごくいいですね。
 「じいさん、この【スリッパ】の中にしまっといたカマキリの卵、知らない?」

 つうさんの書かれたことば
 「この世でわたしの愛したすべてが、どうかあなたに力を貸してくれますように」
 「あの時のふたりを思い出せば、わたしはたぶん死の間際にも笑っていられる」

 

雨宮日記 5月4日(火) 祭りの声とアマガエルの声と電話の声

2010年05月04日 23時15分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月4日(火) 祭りの声とアマガエルの声と電話の声

 上島2丁目でアマガエルの声を聴きました。訪問したお宅の迎えの家の庭から、ゲッ、ゲッ、ゲッと日本アマガエルの大きな鳴き声が。
 アマガエルは、冬場はこういうお庭の土や石の下で冬眠して,田んぼに水が張られる今頃になると、目覚めて、水場に帰って行きます。
 はて、上島に田んぼが残っていたかしらと考えたけど、もしかして近くの四つ池などで散乱するのかもしれません。

 暑いので、今年初めて、昨日から部屋の窓を開け放していますから、外の音や声がよく聞こえます。
 浜松まつりも第2日、夜、我が家のそばを練りのラッパや声や、隣町の屋台のお囃子の音が通っていきました。

 夜8時半ごろ、N・YにいるN子さんから2本目の電話。今日まででN・Yでの日程を終えて、明日はカナダ・トロントへ。
 「今、そっちは何時なの?」と聞くと
 「いま起きたところ、朝の7時半」だそうです。

 せっかく日本へ通じる携帯電話を持って行ったので、携帯で写メールを撮って、メール添付で送ってくれればいいのですが。
 N子さんには、そういう機能はついていないようです(つける気はないみたいですね)。


 
 

本と映像の森35 新井満『楽しみは 橘曙覧独楽吟の世界』

2010年05月04日 00時27分11秒 | 本と映像の森
本と映像の森35 新井満さん『楽しみは 橘曙覧・独楽吟の世界』講談社、2008年11月27日第1刷、123ページ、定価1143円+消費税

 橘曙覧(たちばなのあけみ)さんは、江戸時代末期に福井に生きた貧乏な歌人で国学者です。
 1812年生まれで、1868年に亡くなりました。

 
 橘曙覧さんの代表作が『独楽吟(どくらくぎん)』という52首の連作短歌で、すべて「たのしみは」に始まり、「するとき」でおわります。

 「たのしみは 数ある書を 辛くして うつしおえつつ とぢて見るとき」
 「たのしみは ほしかりし物 銭ぶくろ うちかたぶけて かひえたるとき」
 「たのしみは 朝おきいでて きのふまで 無かりし花の 咲ける見るとき」
 
 新井満さんは、この52首をジャンルに分けて、自由訳もつけて、写真も入れたすてきな本にしてくれました。

 岩波文庫に『橘曙覧全歌集』がありますが、在庫がありますかどうか。

遠州の遺跡・寺社11 東区上新屋町の荒神社

2010年05月03日 19時20分18秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社11 東区上新屋町の荒神社

 上新屋町(かみあらやまち)251の7番地の荒神社に行ってきました。
 「あらじんじゃ」ではなくて、「こうじんじゃ」です。

 場所は、南北に走る広いバイパスで、信号の北東に「炭火焼肉 火の国中田店」があり、信号の南東に「浜松上新屋郵便局」があるところ、信号で西へ曲がって、すぐ南へ曲がると右側に見えてきます。 

 神社は南向きです。 

 祭られている神様は、スサノオノミコトでした。
 ネットで「荒神社」を調べると、瀬戸内海付近に多い神社で、いろいろな信仰が入り交じっているようです。

 なぜ「荒神社」と書いて「こうじんじゃ」なのかも不明です。

 この「荒神」信仰の系統で子どものお宮参りのときに「×印」などの「あやつこ」という印を書くとウィキペデイアに掲載されていました。

 雨宮的には、「あら」「あや」というと、やはり朝鮮半島東南部の「あや」国、「あら」国を連想するのですが、無理でしょうか?

雨宮日記 5月2日(日) ニューヨークからの地球半周の電話

2010年05月03日 05時40分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月2日(日) ニューヨークからの地球半周の電話

 雨宮家の「お嫁さん」のN子さんが、北米にいってしまい、8日間もいなくなるのは、この30年間で初めてなので、ボクの父も、「そのあいだ、おかずをどうする?」と心配になったようです。 

 雨宮家の、今の家族構成は、雨宮、妻のN子さん、雨宮の実の父親のSさん、雨宮とN子さんの2人の娘、の5人です。

つまり、煮物の好きなSさんは、ぼくの特異な脂っこい炒め物ばかり食べさせられるのはたまらないということのようです。
 娘たちは、煮物も得意なのですが、仕事で居ないことが多いのです。

 で、父親のSさんの提案は、N子さんがいない間、宅配の給食サービスをとろうと、いうことで、ぼくも、N子さんも、子どもたちも、なるほど、それでSさんも安心だし、残された3人も、安心だし、知恵の働いた提案ということで、みんな賛同しました。

 そういう準備もして、昨日、出発しましたが、ちゃんと成田に着いたのか、アメリカに着いたのか、心配でした。
 
 2日の夜に、N子さんからぼくの携帯に電話があり、無事、N・Yに着いたのを確認しました。

 遠いアメリカ東部から日本。N子さんの声が聞けて、感激です。
 地球を半周する技術進歩、すごいです。
 でも、一面では、命と人間性を破壊する核兵器技術でもあるんですね。
 
 電話が「発明」されたのは19世紀の末。
 N子さんが渡米した「飛行機」が発明されたのは20世紀の始まり,1903年。
 蓄音機が「発明」されたのは、19世紀の末。

 いろんなことが、つながっていそうですね。

 写真はいま、仕事のおわる頃,明るくなる東の空、青がきれいです。


 

遠州古代史の本1 辰巳和弘さん著『日本の古代遺跡1静岡』

2010年05月03日 05時28分17秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本1 辰巳和弘さん著『日本の古代遺跡1静岡』保育社、昭和57年11月1日初版~平成2年7月31日2版、263ページ、定価2000円

 森宏一さんの企画による、全60巻の、日本列島全体を網羅する「古代遺跡」のガイドです。(ほんとうに全60巻出たのか、わかりませんが)。

 森宏一さんは「本書を案内書として、一つでも多くの遺跡をおとずれ、失われた歴史に読者それぞれの光をあてることによって、自らの存在を問い直す機会になることを期待する」と書いています。
 
 ネットで検索すると、出版元の保育社で、品切れというネットと、まだ手に入るという、両方の情報が混在しています。
 どっちなんだろ。

 古書店でも、手に入れる価値のある本だと思います。



雨宮日記 5月1日(土) 図書館郷土資料室にこもりました

2010年05月01日 21時48分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 5月1日(土) 図書館郷土資料室にこもりました

 午前中、N子さんがまだ眠っているぼくに「智彦くん、行ってくるよ!」と言って、夢うつつに「いってらっしゃい」と答えました。

 N子さんは、今日から8日までニューヨークへ行くので、鬼のいぬ間に、N子さんが帰ってくるまでに、いろいろ、やろうと思います。

 里山や行きつけの本屋さんや、行きつけの喫茶店も、自分の好みの場所ですが、やはり、松城町の中央図書館の2階の郷土資料室も好みの場所です。

 今日は,新羅堂のことを主に調べました。
 現地調査が基本ですが、そのための下調べです。
 こういうときは、自治体による郷土史がたよりになります。
 旧の引佐町になるので、『引佐町史』を調べたら、やはり、ありました。「遠州の寺院・遺跡」の項目で報告します。

 夕方5時半までなので、夕方図書館を出て,歩いて中心街へ、ザザの横を通ったら、鍛治町の屋台があって、女の子たちがお囃子の練習をしていました。

 駅ビル「メイワン」の8階へエレベーターで行き、谷島屋の棚を探して、文庫本を何冊か買いました。
 お目当ての「啄木歌集」(岩波文庫)はありました。他に「風土記」(岩波文庫リクエスト復刊)と、清少納言『枕草子 全訳注 ①』講談社学術文庫(全3巻の1)などを買いました。
 N子さんに「「など」って何?」「「など」って、あと何冊なの?」と優しく(怖いよ)聞かれそうです。
 昔の感覚で買ったら、最近の文庫本は、意外に高い定価のもののあって、「○○○○円です」と言われて「どきっ」。

 問題は「捨てる排出量」と「流入量」ですね。これでは、いつまでも、雨宮の事務所を兼用している部屋は片付きませんよね。

写真は鍛治町の屋台です。
 
 
 

本と映像の森34 『宇宙連詩』メディアパル

2010年05月01日 00時47分40秒 | 本と映像の森
本と映像の森34 『宇宙連詩』メディアパル、2008年10月7日初版第1刷、122ページ、定価1524円+消費税

 「連詩」というのは、1971年に大岡信(まこと)さんを中心に、日本中世・近世の「連歌」「連句」に学んで新たに創造された、詩の新しい形態です。

 今までの「詩」は一人ひとりの詩人の個人的な作業でしたが、連詩は複数の人々がいっしょに(あるいはメデイア上で)集まって共同で、詩をつくっていく作業でできあがっていきます。

 「宇宙連詩」は宇宙をテーマに、宇宙航空研究開発機構(JAXX)が始めた連詩です。コンセプトは「星で人と人をつなぐ」ということ。
 いいですね!

 2006年にネット上で創作された宇宙連詩の最初、山崎直子さんは唄います。

 「われら星の子 宇宙の子
  海に生まれ大地に育ってきた わたしたちの体には
  はるか百数十億年の
  宇宙の歴史が刻まれている
  ほら 今日もどこかで 小さな光が」

 山崎さんは、つい最近、スペースシャトルと国際宇宙ステーションでの「2010年宇宙の旅」から帰ってきました。
 地球軌道上から「今日も小さな光が」生まれているのを実感されたんでしょうね。

 詩人の谷川俊太郎さんは「住所はこの惑星 銀河系 光にみちびかれ 闇にひそむエネルギーに抱かれて」と唄います。

 9才のあさのしゅんさんは唄います。
 「広くはてしない空間に
  ぐうぜんたんじょうした
  ぼくはどうしてここにいるの」


 全文は、この本(第1期まで)か、「宇宙連詩」(現在も創作中)で検索して読むことができます。

 たとえば第3期の20詩、詩人の田口犬男さん 

 「進化の系統樹からすっかりはぐれて
  星座になった熊・さそり・白鳥
  ミッシング・リンクが永遠の淵を航海している」

 同じ第3期の22詩、フリーライターの梅本真由美さんの詩

 「やわらかに乳房をふくむ唇を透かして
  かつて私の一部だった紅色が 脈々とあなたの中を流れゆくのが見える
  ああなんという幸福だろう 切り離された個体をふたたび 赤と白の螺旋が結ぶ」

 なんて素敵でドキドキする詩たちでしょうか。
 全文を、みんなで朗読する会をやりたいな。