雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月9日(月)~12日(木)

2012年01月13日 13時39分21秒 | 雨宮日誌
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月9日(月)~12日(木)

 2012年1月9日(月)15時52分、晴れ、風強い
  
 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.053 μSv/h
  最大値 0.056 μSv/h
  最小値 0.050 


 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.051 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.048 μSv/h

 20回計測の合計
  平均値 0.052 μSv/h
  最大値 0.056 μSv/h
  最小値 0.048 μSv/h

 2012年1月10日(火)欠測

 2012年1月11日(水)16時28分、快晴、風あり、寒い

 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.058 μSv/h
  最小値 0.051 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.057 μSv/h
  最小値 0.049 μSv/h

 20回の計測合計
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.058 μSv/h
  最小値 0.049 μSv/h

 2012年1月12日(木)14時05分、快晴、風有り、このところずっと雨なし

 11回目から20回目までの10回計測
  平均値 0.052
  最大値 0.056
  最小値 0.046

 21回目から30回目までの10回計測
  平均値 0.052
  最大値 0.056
  最小値 0.050

 20回計測合計
  平均値 0.052
  最大値 0.056
  最小値 0.046

 写真は、自宅近くでクジラのような雲



雨宮日記 1月11日(水) 主婦になった娘が来て、則子さんと家計談義

2012年01月12日 06時04分01秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月11日(水) 主婦になった娘が来て、則子さんと家計談義

 午後、起きる前にウトウトしていると、則子さんとは違う、若い女性の声が1階から聞こえてきました。

 起きて、下に降りていくと、昨年夏に結婚して、わが家の近くの中田町で彼氏と住んでいる長女が来て、則子さんと、「おたがいにきびしい家計」みたいな、話をしていました。

 長女は、昨年秋に歯医者の事務を退職して、いまは求職中です。

 それにたいして、ぼくたちは、60才のぼくの非正規給与が月14万5千円、まだ仕事していない則子さん(62才)の年金が月12万円、それでなんとか、生きています。

 則子さんは、やせているのに(結婚して30年以上、ほとんど同じ細身の体型です)食事にはこだわっていて、たくさん、作ります。

 ぼくは食事には、あんまりこだわりがなくて、無ければ、ごはんと海苔と卵だけでもいい、みたいな感じですけど、父が煮物が好きなこともあって、毎回、ちゃんと、家族4人(ぼくたちと父と、次女)の、それぞれの好みが皆、満足できるように食事をつくっています。

 ほんとうにありがとう。

 写真は、今夜の雨宮家の夕食です。

 

地震・防災ニュース 衝撃のあさひテレビ「静岡を襲う巨大地震」

2012年01月12日 05時39分38秒 | 地震・原発・津波・防災情報
地震・防災ニュース 衝撃のあさひテレビ「静岡を襲う巨大地震」

 1月9日に、衝撃のあさひテレビ「静岡を襲う巨大地震」を見ました。

 いままでM8.7と言われてきた東海大震災が3地震連動のM9.0だったら、というシミュレーションをした名古屋大学の川崎さんの研究が紹介されました。

 昨年、浜松市は、暫定的に海岸線から2kmを津波危険区域として対策を始めたのですが、川崎さんの結果は、海岸から5km、JR浜松駅付近まで津波が到達します。

 地震から5分前後で、海岸で高さ10数メートルの津波が浜松市を襲います。

 浜松駅の西側から浜名湖までは、伊場の崖まで、佐鳴湖付近まで津波が到達しています。

 写真をよく見てください。

 これから、いろいろみんなで論議しないと、と思います。


 

浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション(その2

2012年01月12日 05時02分22秒 | 雨宮日誌
浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション(その2


 加「犬居城は丸子城の入り口と同じなのはなぜか?家康の城?」

 中「島田市の諏訪原遺跡の発掘では、たぶん徳川でしょう」

 加「最後に入ったのが誰かをつきとめないと。最後に入った人が100%改修している」

 中「城郭研究者は武田びいきが多くて、怒られる。今、おもしろい箱が開きかけている」

 加「静岡の城は、武田・徳川・後北条・今川と、一度に見れる。今は、それがわかりはじめた。徳川は(武田が滅んだ)天正10年から18年まで(遠江・駿河に)いますが、これまでそれが評価されなかった。武田にたいする神話を作りすぎたのかな」

 中「幕府は家康が負けた相手が弱かったら困るわけですよ。そこで、武田強しという神話をつくっていく」

 加「浜松城主の堀尾吉晴が、城作りの名人」
 
 中「そのあと松江城と4つの支城をつくり、それが渋い」

 加「浜松城のあの石垣は堀尾って言い出したのが、20年前」

 中「お城の研究は30年くらい前から科学的になった。その前は伝説の世界」

 加「(最近)山城に行って、いちばんこわいのが、ハイヒールを履いた若い女性に会うこと。どうやって昇ってきたんだ!?」

 加「お城が見えないので繁茂した木を切ってくれませんか?というと「桜の木だからだめだ」という。実は、お城に桜の木を植えだしたのは、日露戦争の後、もっとわさわさ植えだしたのが太平洋戦争のときに、やたらと植えだした」

 中「(お城には)江戸時代に桜の木はない。小和田先生が小田原城で木を切る委員会をやっている」

 加「浜松城は、これから木を切っていくと(浜松市が)言ってますので。神社の木も、あれは神社の建て替えのときにジンジャを建てるための木ですから」

 中「犬居城と丸子城、土づくりの城の最高到達点、芸術品です。見に行くだけで、ほれぼれする」

 以上、目からうろこ、寝耳に水、の発見があった、すてきな座談会でした。

 写真の左側が加藤さん、右側が中井さんです。

 中学教師の加藤さんの若い教え子が何人か、聞きに来ていました。若いカップルもいました。こういう若い人の中から、やがてお城の研究者になってくれるといいですね。

 加藤さん、ハイヒールの若い女性(歴女)も、そのうちにズック靴を履いて山を歩き回るようになると思いますよ。


 


雨宮日記 1月9日(月) 今までで最高のアクセス順位かな?

2012年01月10日 05時36分44秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月9日(月) 今までで最高のアクセス順位かな?

 いまアクセスしたら「閲覧数:1,233PV 訪問者数:208IP 順位: 5,340位 /1,671,075ブログ中」でした。

 順位は今までも1万を切ってましたが、5千位台になったのは初めてでしょうか?ちょっと、うれしくなって掲載しました。

 何に、みなさん観に来るんでしょうね?もしかして、山城の話かな?

 ☆

 午後、起きてみたら、則子さんが民放(あさひ)テレビの特集で静岡県の津波特集を見て話をしてくれました。やはり、浜松駅付近まで津波が来そうです。いろいろ検討して対策を立てたいと思います。

 ☆

 今日は、則子さんが事務局長の「原水爆禁止浜松市協議会」が毎月、広島原爆の日・6日と、長崎原爆の日・9日に、遠鉄新浜松駅高架下でやっている署名・募金行動の日です。

 いまやっている署名は、核兵器禁止の署名です。

 原発なくそうという署名は新鮮だけど、核兵器なくそうという署名は、すこしマンネリで、という感じでしたが、則子さんの言うには「核兵器も、原発もなくしましょう」という訴えが新鮮な感じでした、ということです。

 今月が、浜松市原水協が、核兵器も原発もいらない、原子核エネルギーの軍事的利用も平和的利用も拒否しますという理念を公式に打ち立てた記念すべき日です。

 

浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション

2012年01月09日 13時22分47秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 1月8日(日) 「静岡の城」発刊記念トーク・セッション(その1)

 2回か3回に分けて掲載します。以下、第1回目。

 浜松駅ビルのメイワン7Fで開かれた、谷島屋(メイワンの8Fが谷島屋です)主宰の」「静岡の城」発刊記念トーク・セッションに則子さんと出かけました。

 きっかけは新春に、雨宮ブログにメッセージ(メールです)が入り、サンライズ出版という出版社のNさんという方から、このお誘いがあったからです。

 ブログのにサンライズ出版発行の『静岡の山城 ベスト50を歩く』を紹介してあったので、それを見ての、お誘いのメールでした。

 お話は、この本を共著した加藤理文さん(磐田市の中学校の先生)と中井均さん(同志社大学・龍谷大学非常勤講師)です。

 メイワン7階は飲食店街なので、はて、あそこに小ホールかなんかあったかしら、と思いながら行くと、飲食店街の真ん中の広い通路のようなところに椅子を並べて会場にしていました。なるほど、という感じで、飲食店街に食べに来る人でも聞こえるので、興味のある人は聞いていきますね。

 6時半きっかりに始まったトークは、ものすごくおもしろくて、ためになりました。筆記した中から、要約でご紹介します。加「 」は加藤さん、中「 」は中井さんです。

 中「城を見ると元気になるが、人を見るとあがってしまう。加藤さんとはじめて会ったのが、袋井市の久能城の発掘現場に瓦を見に行った。その時の調査担当者が加藤さん。」

 加「20何年来のつきあい。昨年もけっこう一緒に行っている。ここ3年は韓国にある秀吉時代の「倭城」へ行っている。韓国のおととしは昼間の2時でマイナス2度。こんどサンライズ出版から「倭城を歩く」を出します」
 
 加「久能城のあと、水窪の高根城を、私が出身なので教育委員会から話があって、夏休みに、中井さんと5人で掘った。」

 中「天竜で「ここが最後のコンビニです」と言われた。お昼の弁当を買う場所がなくて、水窪の町で唯一のパン屋さんがチョコレートパンしか作っていないので、全員お昼はいつもチョコレートパンだった」

 「5年続けて、当時は南北朝の城と言われていたのが、16世紀の武田の城だとわかった。大きな考古学の成果だった。町が初めは「天守閣」を作るという話だったので、当時は天守閣はなかったので、ありのままに作るようにアドバイスして、町が5億円の起債をして建てた」

 加「高根城は、今は古びてきて、倒れそうな感じになって、うらさびしい昔の感じになった。昔の城は、何回も建て直すんだと言うことがよくわかる。浜松市が改築しちゃう前に、みなさん、行ってください」
 
 中「ぼくは、草ぼーぼー派。その建物は、なくなったという歴史があるので。戦国時代の防御の工夫を、1人で山城に行って、昔の人の工夫を見つけるのがおもしろい」

 加「最近の山は荒れて、入りにくい。4月になると、とくに。蜂やダニやヒルが出て」

 中「5月はじめのゴールデン・ウィークが最後のチャンス。夏は行かない。私は、ダニが入って、2回切開手術をした」


雨宮日記 1月8日(日) メイワン7Fで、谷島屋主催の山城講演会

2012年01月09日 05時31分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月8日(日) メイワン7Fで、谷島屋主催の山城講演会

 お正月の5日に、サンライズ出版の編集者の方からメールが来て、今日、静岡県の山城についての講演会が、メイワンであるので、来ませんかとのお誘いでした。

 最初「谷島屋本店」とあるので、てっきり連尺町のお店だと思っていたら、次女が谷島屋はメイワン店ができたときにメイワンを「本店」にしたのだと教えてくれました。

 あぶない、あぶない。連尺店へ行ってしまうところでした。

 5時半頃、則子さんと二人で家を出て、電車でメイワンへ。

 メイワンの7Fへ行くと、飲食店街の真ん中の広い通路に椅子を置いて会場にしていました。

 6時半からちょうど1時間、城の専門家、磐田市の中学教員の加藤理文さんと、京都の大学の先生で山城の専門家の、中井均さんの対談でした。

 どうかなあと思いながら行きましたが、2人のお話は、凄く面白くて、ためになりました。

 たぶん、現状の結論ではなくて、科学的に探求していくプロセスをその苦労とともに話してくれたからでしょうね。

 特にお城と桜の木の話は衝撃でした。都市伝説でしたね。

 きっかり1時間で終わったのは、さすが先生、でした。

 

雨宮日記 1月7日(土)の2 則子さんは5ヶ月ぶりの短時間の仕事に

2012年01月09日 05時14分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月7日(土)の2 則子さんは5ヶ月ぶりの短時間の仕事に

 新年の7日から、則子さんは8年前(たぶんそれぐらい)まで勤めていた「古巣」のたんぽぽ保育園に、毎週土曜日の朝7時から8時半まで、1時間半だけ、保母として仕事を始めました。

 介護の仕事を4月からしたいので、3月までの短期限定の仕事です。

 昨年末に、別の用事で、ぼくが車を運転して、たんぽぽに行ったら、すぐに戻ってこなくて、しばらくして「ごめん、おまたせ」と戻って来て「1月から、たんぽぽで土曜日の朝だけ1時間半働くの」と言うのですね。

 その時間帯だけ働く人がいなくて、園長のEさんが困り果てていて、ちょうど訪問した則子さんに相談したら「まだ、仕事してないからいいよ」ということのようです。

 ほんとに、則子さんって「困ったときの、則子さんだのみ」で、仕方なく、頼られて、する仕事と社会活動が多いんですよね、というか、それが全部でしょ。

 そういう則子さんとボクの30何年を、きちんと活字で残したいと思っています。資料もいっぱいありますし。

 基本資料は、まず、結婚してからの、則子さんとボクの手書きの「二人のノート」12冊ですね。

 これを全部、活字で復元すると、夫婦の心と肉体のヒダまでぜんぶ出てしまい、かなり恥ずかしいので、あくまで、限定公開です。

 それと、ぼくが則子さんにパソコンで書いた「○○○くんより○○○○さまへの通信」、これもかなりパソコンのファイルに残っています。

 ☆

 午後、則子さんに聞いたら、同僚は昔なじみのKさんでした。子どもは?と聞いたら、昔より、元気がないみたいな感じ、とも。

 

 

浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月7日(土)、8日(日)

2012年01月09日 04時57分03秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 自宅定点 1月7日(土)、8日(日)

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
      (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から         20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者 :特記ないかぎり雨宮智彦

2012年(平成24年)1月7日(土)14時51分、快晴、風あり

 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.045 μSv/h  
  最大値 0.051 μSv/h
  最小値 0.040 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.049 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.044 μSv/h

 20回の合計
  平均値 0.047 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.040 μSv/h
 

2012年(平成24年)1月8日(日)14時24分、快晴、風あり、暖かい、このところずっと雨が降らず、乾燥しています

 11回目から20回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.059 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 21回目から30回目まで10回計測
  平均値 0.054 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h
  最小値 0.049 μSv/h

 20回計測の合計
  平均値 0.054 μSv/h
  最大値 0.059 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 「果てしなき監視(ネバーエンディング・ウォッチ)」は、すくなくとも直近の距離40kmの浜岡原発と、北西風のときに危ない福井県の原発群が停止・廃炉にされるまで続ける予定です。

 ☆1月13日(金)に表示方法とデータ修正しました

 

 

雨宮日記 1月7日(土) 7日なので「七草がゆセット」!でした

2012年01月07日 19時20分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月7日(土) 7日なので「七草がゆセット」!でした
 
 お正月に暴飲暴食した人のために、薬草にもなる植物「七草」を野でつんできて、おかゆに入れて食べるのが「七草がゆ」です。

 万葉集には「春の七草」の歌はありません。

 近世に冷泉家に、次のような歌が伝わっています。誰の歌かも不明。

 「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ 春の七草」

 今日、わが家で食べたのは、コープで注文した「七草がゆセット」で、すべて北海道と東北の七草でした。

 すみません、家の周辺の、曳馬地区の野で摘んだ「若菜」ではありませんでした。

 それでも、熱くて、おいしい「七草がゆ」をフーフーしながら食べました。

 

   

雨宮日記 1月6日(金) 則子さんは風邪気味の父の代わりに七草クリニックへ

2012年01月07日 19時14分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月6日(金) 則子さんは風邪気味の父の代わりに七草クリニックへ

 ここ2日くらい父が風邪気味で咳をしているので、父は病院へ行きたがったのですが、則子さんがメモを書いて「今、病院に行っても風邪を悪化させるだけだから、私が代理で薬をもらいにいってきます」と説得して、夕方、七草クリニックへ行きました。

 ところが、お正月明けで、クリニックはすごく混んでいて、診察までに2時間、家に帰って来て父に説明するまでに1時間、合計3時間かかりました。

 則子さんが居てくれて、ほんとうに、父のためには良かったなあ、と思います。ぼくには、できません。

 

 

本と映像の森 185 アイザック・アシモフさん『はだかの太陽』ハヤカワ文庫

2012年01月07日 19時14分25秒 | 本と映像の森
本と映像の森 185 アイザック・アシモフさん『はだかの太陽』ハヤカワ文庫、早川書房、1984年5月30日発行~1990年2月28日8刷、360ページ、定価505円+消費税=525円

 自室の本が折り重なった「本の地層」の古生代のあたりを発掘したら、この古い文庫本が出てきました。

 推理SF小説の「最高傑作」という評価もありますね。つまり、推理小説とSF小説の融合です。

 ぼくも、AAA級のお勧めです。

 アシモフさんの名前「アシモフ」から、ホンダの「アシモ」が名付けられました。

 地球人のニューヨーク警察刑事のイライジャ(「依頼じゃ」)・ベイリさんと、宇宙国家オーロラで作られた人間型ロボットの傑作、ダニール・R・オリヴォーさんの2人の名コンビが宇宙国家ソラリアでおきた殺人事件の謎に挑みます。

 前作のニューヨーク(地下の「鋼鉄都市」)を舞台におきた殺人事件を同じコンビで見事に解決したことから、今回の事件に宇宙国家からベイリさんに依頼がきます。

 宇宙国家ソラリアはロボット製造技術でぴかいちでロボットの輸出で儲けて、人間の人口よりはるかに多い奉仕ロボットで人間が生活させてもらっている社会で、人間は一人ひとりが孤立して生活してます。

 人間同士が「会う」のも自宅に居ながらの「視覚」のスクリーン電話で会う「眺める」だけなのです。

 人間同士が直接会う(「見る」)ことが困難な社会で、どのように人間による人間の殺人が可能なのか?

 そして「ロボット三原則」は、このロボットが充満している社会でどうなるのか?

 ソラリア社会の問題点を探るうちに、ベイリさんは、自らの地球社会の問題点にも気づき初めて…。

 なお、アシモフさんは、人間社会で不可欠のセックス(性交)をソラリア社会でどうしているのか、ぼやかしていますが、むしろ、ソラリアでは性交はなくて、すべて人工受精で子どもは生まれてくるとしたほうが背景がスッキリするのでは?
 
 この「はだかの太陽」は2012年1月現在で品切れか絶版のようです。

 蛇足ですが、「ロボット三原則」を以下に引用しておきます。

 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 そして、この「鋼鉄都市」「はだかの太陽」を出発点にして、ロボットもの「我はロボット」や「宇宙の小石」「暗黒星雲のかなたに」「宇宙気流」などの宇宙史シリーズ、さらにその先の「銀河帝国の崩壊=ファウンデーション」シリーズに接続していきます。

 SF好きの人なら「全部、読むべし」ですn
 
 

 

原発ニュース 低線量被爆で「原爆症」絶対に起こらないのか?

2012年01月07日 11時47分02秒 | 雨宮日誌
原発ニュース 低線量被爆で「原爆症」絶対に起こらないのか?

 ひごろ、あんまりネットを熱心に見ているわけではないので、ちまたのニュースを見落とす場合もあります。とくに紙の出版物へは掲載れず、ネット上の情報だけであればなおさらです。
 
 昨年12月30日に、このブログで「原発ニュース 「福島県浪江町で5月に耳なし兎が生まれた」」を掲載しましたが、関東で3・11以後、子どもや大人の鼻血が急増しているようです。

 私が初めて見たのは、戦争と平和をテーマに報道しているロシアの核実験場のルポ写真集も出した森住卓(もりずみたかし)さんの文章です。

 則子さんが1年間限定で購読している雑誌『みんなのねがい 1月号』の巻頭に森住さんのエッセイが掲載されていました。

 森住さんは、東京都町田市の子どもたちに、「鼻血、微熱、肺炎、下痢、口内炎、咳、抜け毛、爪がはがれる、倦怠感、顔のむくみ」など、様々な症状が出ていて、しかも医師が診察しても、原因不明で、これまでの薬が効かない、症状が長引くなどの特徴があると言います。

 そして森住さんは、自分が会ってきた核実験被害者と同じ症状だと言います。ぼくも長年、原水爆禁止運動にかかわってきた者ととしてそう思います。

 興味のある方は、森住さんのブログを検索して「2011年11月18日」をお読み下さい。

 そして、ネットで検索してみると、3・11以後明らかに、関東各地で鼻血になる人が事実として「問題」になっている。

 統計的調査がないので、ほんとうに3・11以前に、そういう症状がなかったのか、あったけど、3・11以後、みんな「過敏」になって話題になったのか、そういう可能性もあり得ますが。

 科学者のなかには、そういう急性障害は、低放射線量ではおこらないと決めつけている人もいますが、これまでの日本の科学者の知見は、広島・長崎の原爆の放射線によるものです。

 私が考えるのは、広島・長崎の原爆の場合のように、爆心地で100%致死量、爆心から1kmで4シーベルトの半致死量で周辺に向けてかなり急激に減衰してから残留放射能などによる緩いカーブで減衰していく、そして時間的には、秋の台風の影響もあって放射能は長期には残らなかったわけです。

 原爆の場合と比較して、原発事故による放出放射能は、その影響範囲も東日本いや日本列島全体にわたるほど広範囲で、かつ時間的には、広島・長崎と比較すると劇的に長期間に放射能が残ります。

 しかも、いちばん最初期のヨウ素131がすでに消えてしまった今の段階では、3月にはたして、どこにヨウ素のホットスポットがあったのか、ないのかもわかりません。

 「低放射線量では鼻血は出ない」という結論は科学者としては早計ではないでしょうか。

 福島の例がないかネットで検索してみると、「子に体調異変じわり 原発50キロ 福島・郡山は今 大量の鼻血、下痢、倦怠感」という「東京新聞 6月16日」の記事が見つかりました。

 専門科学者・プロ科学者もふくめて、私たちも、もっと文献をきちんと読み、調査・研究をおこなうべきです。

 原発事故という新しい状況で、新しい現象が起きている可能性もあるわけですから。

 何よりも「お母さんたちの声」「お父さんたちの声」を真摯に聞くことではないでしょうか。

 症状が出ているのは確かなので、それが(今、思い出したのですが、ぼく、去年、鼻血が出たことがありましたね。)何に寄るのか、心のストレスでそうなる可能性もあるのでは?それも、ぼくは国と東電の責任に属する被害だと思います。

 今後も調査と考察を続けます。
 

 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 1月4日、5日、6日 

2012年01月07日 05時21分55秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 1月4日、5日、6日

 9月から始まった、自宅のコンクリ駐車場定点(A)での、放射線量測定は、5ヶ月目になりました。

 小さい頃は「おまえは、あきっぽい」「せっかくギターを買ってあげたのに、なんですぐやめるの」と親から言われていましたが、今では、妻の則子さんから「智彦くんは、こる性格だから」と、「しつこいだけが取り柄です」みたいに言われています。

 この変化は何なんでしょうか。執着心があるのと、その執着心を「則子七変化」のように、パッと手放すのと、両面あるのだと思いますが。

 1月4日(水)15時42分、晴れ、雲あり、寒い
  平均値 0.051 μSv/h
  最大値 0.054 μSv/h
  最小値 0.047 μSv/h

 1月5日(木)15時08分、快晴、風強い、寒い
  平均値 0.051 μSv/h
  最大値 0.055 μSv/h
  最小値 0.046 μSv/h

 1月6日(金)14時22分、快晴、風がすこし、暖かい
  平均値 0.049 μSv/h
  最大値 0.057 μSv/h
  最小値 0.043 μSv/h


  

雨宮日記 1月5日(木) マスコミの大馬鹿、潜伏場所が問題なの?

2012年01月06日 05時33分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月5日(木) マスコミの大馬鹿、潜伏場所が問題なの?

 オウム真理教団の事件は、もう解明済みなのでしょうか。

 「A3」で書いたことを参照。

 12月31日に自首した平田さんが、17年間、どこでどう潜伏していたかが最大問題になっているマスコミは、かなり恥ずかしいです。なんじゃ、これ?!

 それに、政府機関のなかで、警察だけが、きちんと「記者会見」を開いて公式発表をしないで、マスコミの取材だけで「リーク」しているのは、政府機関としてはおかしいです。

 もちろん、事実と細部は大事ですよ。

 むかし、1960年代のベトナム戦争で、朝日新聞記者・本多勝一さんが南ベトナムに取材して、「ヌクマム」とか日常生活の細々を書いた記事を思い出します。

 ただし、同じ細部を描くのに、その方向と、その意味が違いますね。

 ごめんなさい、この項目は中途半端で、あとで、どこかで展開します。

  ☆

 明日は6日で、浜松市原水協の広島の日行動の日です。

 則子さんが「私、原案を書くから、智彦くん、明日のマイク原稿を作ってね」というので、「はい」と、則子さんの手書き原稿をパソコンに向かって打って、修正し、不要と思う箇所を削除して、必要な追加をしました。

 いちばん大事なのは、核兵器もなくす、原発もなくす、その二つの関係を、マイクの声で聞いた市民が胸に落ちる原稿でした。

 書いて、プリンターで印刷した原稿を、則子さんに渡したら、二人の夫婦生活の歴史上では珍しく、ぼくの原稿への則子さんの赤ペンでの手直しは、今回はありませんでした。

 すこし余裕ができた証拠でしょうか。