則子さんの持っていた全障研の資料に「個人ー集団(組織)-社会の系」と言う箇所があって、あっ!と思いました。
1984年に、自分が属していた社会運動のなかで、ある大きな事件がおきて(新聞でもいろいろ書きたてられました)、初めて、そういう運動とはなにか、運動のなかで自分がどんな役割を果たすのか、役割を果たすにはどうすればいいのか、悩みました。
則子さんと結婚して数年の時期でしたが、あの頃のことについて、則子さんは「あなたは、あの頃、松城町の家の2階で、動物園の熊さんみたいに部屋の中をあっちからこっちへ歩いていた」と言っています。
熊みたいだった記憶はないのですが、社会運動について悩んでいろいろ考えていたのは確かです。
もともと日本史が専攻でしたが、その時に思ったのは、社会全体の分析だけでは不十分で、人間集団や人間個人の分析がなくては、ほんとうの社会変革はできない、というのが結論というか、到達点でした。
その到達点に達するのに、今は覚えの無いのですが、滋賀県や伊豆の障害児施設で働いていて、全障研のことも知っていた則子さんが、大きな貢献をしてくれたことは間違い有りません。
どうして、そのことを忘れて、自分一人の思考で、そこまで到達したように錯覚したんでしょうか。
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「個人ー集団(組織)-社会」の系で、個人が集団から、集団が社会から自由に自立して存在する、それがいちばん大事なことのように思います。
集団に癒着して固定化した個人、社会に癒着して固定化した集団、それがいちばん典型的に減少したのが、あの「原子力村」では、ないでしょうか。
「原子力村」の村民は、お金と肩書きなどで癒着していて、自分の意見は許されず、まるで蟻や蜂の「社会」のように、個体の自立性を失っていました。
輝く個人を失い、輝く集団を失った、その果てに、あの「福島第1原発破局事故」がありました。
原発事故と放射能汚染を償うだけは、足りません。それは失われた過去を取り戻すだけです。
ほんとうの未来をつかむためには、失われた自立した個人を取り戻し、個人と個人の絆を取り戻し、失われた自立した集団を取り戻し、集団と集団の絆を取り戻さないと、と思います。
それは、電力会社や保守党や政府官僚を非難・批判するだけではできない・完結しない仕事で、自分たちの不十分さをリアルに見つめないと、いけない、つらい仕事です。
でも、ボクは今年は、則子さんといっしょに、そういうつらい作業をしたいな、と思います。