一人目は遠藤章農芸化学者。東北大学ひと語録によると「世界で一番服用されている奇跡の薬『スタチン』を発見」とある。
カビやキノコ6千種の株の中からコレステロール合成阻害剤になる青かび 「コンパクチン」を1973年に発見し、1976年学術雑誌に発表した。
遠藤博士が所属する三共とアメリカの学者を結集したメルクがスタチン(総称)開発で熾烈な先陣争いを演じた。博士も当然渦中の人となったが、スタチン発見のパイオニアであることは最終的にメルクの学者たちも認めた。構造(分子式)の重要部分はみなコンパクチンと同じだった。
遠藤博士の研究成果は、1985年のノーベル生理学・医学賞受賞者ブラウン、ゴールドスタインの「コレステロール代謝の調節に関する諸発見」に用いられた。そして遠藤は、2008年に米国最高の医学賞『ラスカー賞』を受賞した。
1987年にロバスタチン(商品名ローコール🄬)がメルクから、1989年にプロバスタチン(メバロチン🄬)が三共から発売された。三共は5年間で世界中で売り上げが1000億円に達した。
いくつものスタチン製品が開発された。中でもアメリカの現ファイザーがアトルバスタチン(コンパクチンの亜種でないストロングスタチン)の特許をとり1996年にビヒトール🄬の名で売り出した薬剤は、ファイザー社の稼ぎ頭となり、莫大な利益(2010年度までに世界で累計円換算でおよそ13兆円)を上げて、同社を世界最大のメガ・ファーマーに押し上げる原動力となった。
横綱と平幕、帝国と島国ではいかんともしがたい力の差が出るものだ。
1978年、博士は三共を去っている。この島国では、企業と研究者が主従関係にある。ノーベル賞級の日本の研究者は組織の合理性とハイリターンの正当な分け前を求めて悪戦苦闘している。1979年、博士は三共の外で紅麹からロバスタチン(=モナコリンK)の世界特許(米国を除く)を取り、三共に譲渡した。
スタチンは動脈硬化の薬として全世界で心筋梗塞、脳梗塞から無数の患者の命を救った。スタチンがなかったら私はこのブログを綴っていない。私は2005年に労作性狭心症で冠動脈手術を受けて以来ずっとメバロチンを服用している。
現在の病名は狭心症のほか脂質異常症と脂肪肝であるが、検査データ上は中性脂肪が多いこと以外は正常値である。かび由来のスタチンは、継続服用してもコレステロールを必要以上に下げないから、二次予防薬の効果が期待できて、ありがたい。
二人目は文化勲章受章の川田順造文化人類学博士である。特に博士の業績をたどったことはないが、レヴィー=ストロース『悲しき熱帯』の訳者として随分お世話になった。博士の全訳がなかったら私の歴史研究は薄っぺらなものになったであろう。
『悲しき熱帯』のお陰で、私にとって、歴史が目に見える並列の現実となった。それまで目に見えない時間軸の発端だったものが目で見て手で触れる生き物となった。
石器時代が地球上に資本主義時代と並存していることを深く識るまでは、アマゾンやアジアの、孤立を貫く非接触部族を「先史未開の先住民」と見ていた。これは文明に視座を置いた観察であり、資本主義時代そのものも客観的にみることができない。
『悲しき熱帯』は、現存する石器時代から文明を見る視座を与えてくれた。文明を破綻から救うヒントもいくつかそこから見えるように思う。早速、川田順造『無文字社会の歴史 西アフリカ・モシ族の事例を中心に』を注文した。
私は幼い時、Londrinaの地所で若い女の「インジオ」をみかけた以外にインディジェナを見ていない。地所内の水場に土器片があった。先住民Paraná Kaingang(ジェ語族)は開拓が始まる前に山地に移動したらしい。
☞ Paraná Kaingangの現在の姿(Londrinaから80kmの4集落1800人)を撮ったYouTube VIDA KAINGANG(2014年)
北パラナ土地開発会社がLondrinaの地割作業のために日本人移民の有力者を雇った。その移民によると、ジャングルの奥から大樹の幹を叩く音が聞こえた、という。近寄るなという警告音である。
レヴィー=ストロースは6年後「純粋な」先住民を求めて奥地に向かったときLondrinaを通ってコメントを残している。
☞ 当ブログ「悲しき熱帯 上/パラナ編」2023.08.18