自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

狭山事件/玉石、棍棒、紐と縄のミステリー/完全犯罪ほころぶ

2020-09-05 | 狭山事件

   http://wwwd.pikara.ne.jp/masah/sayamajk.htm

左様、犯人はビニール風呂敷に人頭大の玉石4.65kgをのせたのだ。そして、足に携帯電話のストラップ状に掛けた細引き紐260cmの先と風呂敷の一対角とを結びあわせた。首に投げ縄状に掛けた細引き紐145cmも風呂敷のもう一つの対角と結びあわせるつもりだったが、それは実行されなかった。
もうお分かりだろう。玉石は首と足に風呂敷と細引き紐を使ってつるすはずの重石である。玉石と風呂敷と紐・縄をまとめてその用途・目的を看破したのは、私の記憶では、亀井トムさんに協力した文殊社チームの片桐軍三*さんである。かれは「西武園の池に沈めるぞ]という脅迫状と遺留物とを関連付けることに成功した功労者である。
*記録で確かめることができなかったので勘違いしているかもしれない。
遺留物の状況、その使われ方と使用目的でアピールしたいのは何であろうか。身代金目的の誘拐殺人であってそれ以外の何物でもないという強調、念押しである。
さらに、目隠し、後ろ手繋縛、スカートの破れ、ズロース引き下げ、「強姦」は、その殺人の残虐非道性をこれ見よがしに際立たせるために付け加えられた。
それだけなら遺体も遺留物も武蔵野の名残である雑木林の中に放置すれば足りるではないか。一人ではとうてい運びえない。重くてかさばる死体、玉石、荒縄、棍棒をわざわざ麦畑の狭い農道まで運びだした意味は何か。死体隠匿ではなく死体露見をあえてした意味は何か。上述した犯人がとった異常で過剰な行為はすべてこの「意味」に気付かせないためのカモフラージュ=擬装である。
複雑怪奇な事象は警察、検察、裁判官を悩ました。担当官たちは意味づけできないモノは素通りしながら苦心の末ストーリーを積み重ねて自白書をでっちあげた。その結果、空中楼閣という表現がぴったりの、途中の階がない建築物、土台のない建物が出来上がった。主犯の思惑どおり偽装が成功し犯罪の真相が闇に葬られる筈だった。ところが・・・
農道に掘った箱状の立派な穴(深さ86cm縦166㎝横88㎝)、近くの箱状縦穴(深さ2.7mと奥行のある3本の横穴=貯蔵庫)からなる芋穴、遺留物、死体の有り様に特別の意味があることに亀井トムさんが気付いて独自の事件観で世論に訴え始めた。
亀井トムさんは、犯人が遺体を農道に埋めた行為を露見を予定した隠匿としつつ、埋め穴は埋め墓に、古墳に似た芋穴は拝み墓に擬したものである、という、事件解明の新境地を墓制習俗と郷土誌の知見を用いて切り開いた。

わたしは亀井さんの斬新で衝撃的な両墓制の説に惹かれて亀井さんに会いに行き現地を探訪しながら話を聴いた。ちなみに中田家の墓場も両墓制の一形態で、道路をはさんで家の反対側の畑の一角にあった。そこに石塔を背景にして善枝さんは埋葬(土葬)された。
余談だが、30年ほど前にサッカーの合宿で湖西の朽木村に行ったとき道端近くの雑木林に真新しい土葬(土盛)があった。子供たちにそれを伝えると気味悪がって、その夜の集落の集合墓地(拝み墓)まで行って還る肝試しでは一人として怖がらないものはいなかった。
死体は遺棄ではなく埋葬された、というのが亀井説である。取調官と石川さんがスル―した玉石と棍棒(長さ94cm直径3㎝)は亀井さんによると埋め墓の葬具に相当する。葬具の目的は盛り土の上に置いたり刺したりして野犬や猪が墓を掘り返すのを防ぐことにある。棍棒は先の方3分の1が裂けていて土に刺した痕跡があった。確かに割竹で脅かす「犬弾き」等の細工が各地で知られているが、わたしは盛り土の上に刺した仮の墓標であってもいいと思う。玉石には他に墓の在処を標す目印と拝み石の意味がある。
詣り墓に想定された芋穴に祝い用風呂敷と棍棒が投げ込まれた訳は、といえば、犯人が、埋め墓はやがてステハカとなり、墓と故人につながる土とか卒塔婆*とか故人の遺品とかを「魂の証し」として参り墓に移す、という習俗にしたがった、と考えられる。埋め墓は古い土着の習俗なので千差万様であり、類似の実例探しにこだわるのは時間の無駄であることをわたしは身をもって知った。火葬の普及により1960年代を境にして埋め墓は例外的な存在になった。
*卒塔婆は普通詣り墓にたてる。習俗に正解なし。真逆の例もある。
難問は死体に巻き付けその上に手繰り寄せてあった荒縄である。9本の短い縄を繋ぎ合わせて長い2本に細工してある。それぞれを二つ折りにして束ねると4本の放射状になる。折り返し点で細引き紐と結合していた。この結合により物証の一部となり捜査本部はスルー出来なくなった。考えあぐねて深い芋穴に逆吊りする行為が捻り出された。荒縄の端は近くにあった桑の木の根元に結びつけられた。

http://wwwd.pikara.ne.jp/masah/sayamajk.htm

亀井さんも荒縄はスル―している。両墓制に憑かれたように全国の事例を探し求めた私の出番である。一筋縄ではいかない、という俚諺がある。これは葬送習俗から生まれた。棺桶は一本の縄では運べない。柩に二本掛けたら縄手が四つできて最低2人、普通4人で墓底に下せる。私はこどもながらブラジルで土葬に参列してそれを見たことがある。棺を墓穴に放り込むという手荒な風習は世界のどこにもあるまい。荒縄もまた葬具である。

   出典忘却

遺留物の荒縄の在り様の写真(二葉)もそれを暗示している。無残な現場写真なので章末に掲示した。
荒縄と玉石を誘拐殺人・死体遺棄の道具と見せかけて埋葬の葬具であることに気付かせない謀の巧みさにただただ脱帽するばかりである。

犯人はまた残忍さを強調しながら遺体を実に丁重に扱っている。目隠しをしている。顔の下にビニールを敷いている。臭い消しにお茶の枯れ葉を死体の上に撒いている。亀井さんはこれを犯人の仏心と言い、長子犯人説の一根拠としている。それは父・長子犯人説の理窟もなりうる、とわたしは思う。長子の言動は疑うに足ると思うが犯人と決めつける証拠はない。

以上で不可解な遺留物と死体の異常な在り様の意味が解明された。死体は埋蔵されたのではなく埋葬されたのだ。警察、検察、判事は騙せたが、亀井さんに見破られた。
さらに、亀井説によれば、真犯人の思惑通り、現場を一見してすべてを悟った人がいた。遺体埋蔵は16年前の意趣返しである。16歳の誕生日に「柩」に入れて送り返すとは、実の父に対する想像を絶する非道な御返しである。亀井説は筋が通っていて説得力があるが真実であるという証拠はない。
私は亀井さんからじかにその人が被害者の実の父である「証拠」を聞いた。顔のあるパーツにその証拠がある、と言われた。私は聞き流したがその一言を忘れたことはない。亀井さんはそれが何であるか、またその人の実名を文書で表現していない。正解だと思う。事件の周辺に居る一般人を推理だけで渦中に引っ張り出して晒すのは大それた人権侵害である。「疑わしきは罰せず」の法諺以前の問題である。

参考 写真1 死体に巻きつけられた荒縄 写真2  農業用ビニールと荷札