自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

中国人留学生厳俊さん「濁流から高槻市の小4を救助」 /タイムトラヴェル

2013-09-20 | 体験>知識

この夏身近なところで私の実体験にかかわる事件、災害がいくつも発生し全国的な話題になった。
9月16日名勝嵐山が冠水し観光の名所渡月橋を流さんばかりの濁流の映像が一日中繰り返し放映された。
氾濫した桂川が流れる保津峡は30歳前後のころの私が私塾の小学生と共に釣りをしたり泳いだりした懐かしい場所である。
わたしはそこで急流で遭難しない方法を学び子供たちに折りに触れて伝授してきた。
同じ頃大雨で増水した保津峡で泳ぎ自慢の地元の中学生が落命した事件があった。
大人たちが工事のため?対岸にロープを渡そうとして届かないのを見かねた中学生がロープの端を体に巻いて泳ぎ渡ろうとした。
急流とロープの重みが彼の自由を奪いかれは溺死した。

桂川と加茂川と木津川が合流して淀川になる。
16日夕方の時点で淀川は水位で2.5m?増水して河川敷が冠水した。
朝日新聞の記事によると「助けて!」の叫び声にとっさに反応してジョギング中の巌さんが濁流に飛び込んだ。
岸まで15m,泳ぎに自信のあった巌さんは「助ける自信があった」が堤防
に押し上げられない。男児はふたたび流された。
いったん堤防に上がり服を脱いで身を軽くして100mほど下流に走った。
集まった近所のひとたちに腰にロープを巻いてもらい、再び飛び込んだ。
男児は300mほど流されたが無事救助された。

人類を人類足らしめるものは理性であると普通考えられている。
その前に惻隠の情があるのではないか。
今回理性だけではそれがかえって邪魔して助けられなかったと思う。
わたしに置き換えて考えると、男児にしがみつかれると救助は困難である。
流れの速さとロープの重みで体が沈む。
巌さんは理性で行動したのではないと思う。
もっと本源的な惻隠の情が迸って行動したと思う。

日本人は弱者にたいする思いやりが薄れてきたと感じる。
だが東日本大震災時にはみな何かせずには居られなかった。
12年ちょっと前、新大久保駅では線路に転落した酔っ払いを助けようとして韓国人留学生と日本人カメラマンが命を落とした。
災難を前に人の原点に立ち返った時、日本人も中国人もコリアンもない。
あるのは人類共通の仁だけである。
性善説の孟子曰く。惻隠の情は仁(ヒト)の始まり。


 


栃若時代を堪能/正攻法礼賛で興味減退

2013-09-15 | 遊び>規制

名人栃錦の鮮やかな出し投げ、土俵の鬼若乃花の豪快な上手投げを筆頭に当時の大相撲では多彩な得意技が見られた。
それをラジオ、新聞で見聞し、時には巡回映画のニュースで見て、よく友達と二人きりでで技の掛け合いをした。
わたしが得意だった立会い一瞬の出し投げは最初から体が逃げては成功しない。
思い切り当たって当たった瞬間に体を開きながら相手の勢いを利用して腕で投げて相手を転がす。
前に出ながら飛んで来たボールの勢いをそいでコントロールするサッカーのトラッピングと要領は同じだ。
若乃花の呼び戻し技は類まれな怪力がなければ真似すらできないし試みたこともない。
一度相手を左上手で投げる振りして呼び込んで右下手で豪快に投げて引っくり返す。仏壇返しの異名がある。

友達に試して成功した技をいくつか挙げてみよう。
栃錦の2枚蹴り・・・四つに組んだまま時計回りに回転する。相手の両足が合わさった瞬間に右足で相手の左足を払うと玉突きで両足が宙に浮き土俵に横倒しに落ちる。
羽島山のやぐら投げ・・・相手を吊り上げながら膝で相手の内股を高く跳ね上げて腕力で引っくり返す豪快な技。
朝青龍が日馬富士を櫓投げで投げ飛ばして34年ぶりの大技として話題になった。
モンゴル相撲では基本技、と自慢げにみずからコメントした。
琴が濱の切れ味鋭い内掛け・・・外掛け同様子供の遊びでは普通に見られた。
巨漢大起の鯖折り・・・真似はしたが成功するはずもない。戦前この技で負傷して引退をよぎなくされた力士がいた。

そのご大相撲はNHKの解説者が正攻法を善しとして変わり身やいなし技を邪道としてダメ出ししたため、がっぷり四つからの寄り、正面からの突き押しが多くなり、小兵が工夫研鑽してものにした得意技があまり見られなくなった。
技のデパート舞の海が例外になるほど業師が出なくなった。

大相撲は神事だから整ってしまうのは仕方ないのだろうか?