自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

東日本大震災/原発大事故/世直し復興

2011-06-27 | 環境>教育

日本を未曾有の国難に導いた「原発ムラ」の面々が首相の追い落としに懸命だ。
これから起こるドタバタ政治劇もムラと菅の陣取り合戦と観るとわかりやすい。
ここに至って孤立無援の菅首相が自然エネルギーへの転換にこだわるゆえに平成維新のヒーローになりかかっている。
菅首相に総理としての指導力が不足しているのは言われているとおりであろう。
繰り返すが成熟した近代日本には国難を一刀両断できるような大器は現れない。
大衆の大半がそれを実感しているから菅首相を支持しないが辞めろとは言わない。
即刻辞めないと日本がダメになると騒いでいるのは「原発ムラ」の面々だ。
経団連のハードコア、電事連、原発推進党派、天下り先を最大関心事とする霞が関エリート官僚、原発を飯の糧にしてきたメディアと学者、口舌の徒、そして原発エネルギーと原発マネーの恩恵をこれからも受けて行きたい市民だ。
彼らの戦術、標的選びには舌を巻く。的確だ。
菅首相の環境派思想がかれらにとって一番危険であることを菅直人の独善的手法と実績を合わせ見て悟ったのだ。
脱原発、自然エネルギーへの転換は菅直人の30年来の持論である。
その上で、薬害エイズの補償と謝罪、諌早湾干拓水門の開放容認、浜岡原発停止を実現した。
FUKUSHIMA原発事故対応においては世界の専門家や国内の被災者からみると不満だらけだと思う。
初期避難圏の過少設定(米韓の80km圏がベターだった)による被爆者の増大、メルトダウン公表の遅れ、放射線拡散の方向と量の公表遅れと測定値の過少発表による国内外での信用の低下、原発冷却と汚染物質の処理の遅れ(これが容易にできるならば原発は無くならない)、等歯がゆい限りだろう。
米国はなぜ迅速に避難圏を設定できたのか? 文科省所管のSPEEDIが1時間ごとに出すデータが外務省を通じて在日米軍に流されていたからである。
文科省、保安院と安全委は官邸には機器の存在すら知らせなかった。
何も知らされない被爆者の多くが高濃度の汚染地に避難し続けた。
これは人災であるばかりでなく国民に対する犯罪である。
だがこの点で「無能」だとしても菅が将来歴史に残る首相に押し上げられていく可能
的要因がある。
まず、12日早朝ヘリコプターで現場に飛んで視察した。
そのためにVENTが遅れたと国会で執拗に追及されたが、百聞は一見にしかず、これは菅直人だからできた、余人ではなかなかできることではない。
その二、即、自衛隊員10万人の投入を決めた。
神戸大震災の時TVに映しだされる燃える市街地(瓦礫の下で生きながら焼け死んだ
人が大勢いた)を終日見ながら何故ヘリコプターの編隊が出動して空中から消火しな
いのかと居ても立っても居られない気持ちだったことを思い出した。
その三、放射能漏れはないと虚偽の発表をする裏で避難バスの手配をその日に行い翌朝一部だが住民を避難させた。
その四、敵前逃亡を図る東電首脳に激怒して東電本社に司令塔を統合した。
そして浜岡原発の根回し抜きの突然の停止要請!
これで原発推派は回復できない打撃を受けた。
原子力から自然エネルギーへの転換に弾みがついた。
自然エネルギー促進法案は無名の龍馬が火をつけた大政奉還の平成版だ。
法案が流れようと菅直人の「首」がどうなろうと流れは止められない。
発電、送電が独占から開放されると国の仕組みも産業構造も価値観もライフスタイル
も幸せな方向に変わっていかざるをえないだろう。