8,9歳ごろの記憶から文化の違いについて一言述べたい。
住まいは新築の木造一戸建てにかわっていた。
風呂場は母屋の外にあった。壁をへだてて同じ屋根の下に巻き上げ式の井戸と洗い場があった。
そこでのやりとりを今でも鮮明に覚えている。
雇い人が母に願い出て、うちのコーヒー園の大きな倒木の空洞を切り開いて蜜房を採って来た。
かれは蜜房を二つに分けて、蜜色に輝く半分を母に渡した。
ハチミツは元の花の種類によって色も味もちがう。
彼が取った黒色のほうがおいしいことをわたしは知っていた。
かれの行為は約束違反だろうか?
いいや、かれは約束どおり半分を雇い主に渡した。
かれは非難されるだろうか。
日本ではずるがしこいと言われてきらわれる。
ブラジルではずるがしこさmaliciaはほめられる。
マリーシアは生存競争が厳しい大陸文化の一側面であろう。
他方当時ブラジルの日本人は自分たちが後れて移住して来たにもかかわらず先住者を外人とよんでいた。
これは海によって護られた島国文化の発露だろう。
ちなみにガイジンは日本のサッカーを評して「マリーシアが足らない」と言う。
これには十人おれば十色の見解があるだろう。
わたしの見解はこうだ。
ルールからはみでていなければ、もっと自己主張すべきだ、論理的に。筋の通った自己主張が決定的にたらない。
生後3か月 掘っ立て小屋入口の少年は子守り役の従兄
生後5か月 母に抱かれて
わたしは1938年の10月ブラジルの密林開拓直後の掘っ立て小屋で生まれた。
わたしの記憶は3歳ごろに始まる。
最初の記憶は、新築の家と風呂小屋を背にして母親に抱かれていて、母が雇い人に言った言葉である。
「子供の前で・・・」
当然そのころには掘っ立て小屋は跡形もなかったのにわたしはその内部を鮮明にイメージできる。小屋の写真は上掲以外無い。
6畳ほどの土間1間でかまどと床式ベッドが一つあった。
壁は丸太の木の二つ割を立てて並べただけで屋根は椰子の葉ぶきであった。
精神未熟な1,2歳児にそれを見て記憶できたのだろうか? 見えるはずがないのにイメージできる不思議! きっと精神が想像して定着したイメージを記憶と錯覚しているのだろう。
話が飛ぶが、川渕三郎氏が若かりしころ合宿先のドイツのスポーツシューレで見て衝撃を受けた碑文にはこう刻まれている。
「目は見ることができない。ものをみるのは精神である」
これがJリーグ創設につながった原点の哲学である。
そしてふえんされて全国で日々の指導で生かされているはずの指導原理である。
「足は蹴ることができない。蹴るのは精神である」