16世紀後半、総督によるキャピタニア回収、統治により砂糖キビのファゼンダ(先進のペルナンブーコを中心とする)が軌道に乗ると植民地の奴隷不足が発展のネックになった。黒人奴隷の輸入が始まっていたが本流になっていなかった。
大農場主(ファゼンデイロ)は先住民の奴隷化を望み、総督(カピタ~ン・ジェラウ)は洗礼を受けていない先住民の奴隷化を認めて先住民に改宗をせまった。イエズス会は改宗者を保護した(布教所が「駆け込み寺」になった)が奴隷化の流れに抗しきれない。
しかも移民の数は増える一方で、移住者が持ち込んだ伝染病で先住民集落の人口が激減したこともあって、力関係が逆転した先住民は、服従(改宗と定住)するか蜂起して逆襲するか、ほかに選択の余地がない窮地に陥る。
抵抗した主要部族は、ペルナンブーコのカエテー族をはじめとして、バイーア(サルヴァドールが首都)のナンバー族、サンパウロ~リオ間のタモイア族(5部族の連合名、総称)、バイーアとサンパウロ間のニキン族等である。抵抗部族は、勇敢に執拗に消滅するまで戦った。時にはフランス人と同盟を結んでフランス人が指揮し洋式武器を使用して、あるいは諸族と連合して戦うさまは、旧幕府軍の東北・函館戦争を想起させる。
戦う相手は大農場主と総督軍であるが、兵士は帰順したナンバー族、ニキン族、混血のマメルーコである。最初の供給源はサルヴァドールのカラムルーの一族、サンビセンチのラマーリョ率いる一族であった。サンパウロ防衛戦では老齢のラマーリョがマメルーコを指揮してタモイオ連合軍と戦った。
植民者の反撃は、サルヴァドールに総督府が置かれ、総督軍による計画的な討伐行が実施されるようになったことで可能になった。総督が「正義の戦争」を宣言し、植民者の熱狂に支えられた討伐行は時をおかずして殲滅戦に移行した。集落が灰燼に帰し、奥地に向かって四散した者を除くと、奴隷として使える者だけが生かされた。奴隷は短命だったので死ぬために生かされたと言えなくもない。
沿岸部から吹き荒れる虐殺の嵐に乗って、治安維持の討伐行は後背地の奴隷狩り遠征に移行した。奥地への浸透(エントラーダ)は総督軍が最初で、バンデイランテスの登場は、1600年代中頃、沿岸部の掃討で奴隷源が尽き、かつサンパウロに植民者が増え植民地が根付いてからである。
先駆していたイエズス会宣教師にも転機と苦難の選択が訪れた。
サルヴァドールに最初のカトリック司教区が設置され、サルジーニャ司教が着任した。司教は改宗が神への愛からではなく恐怖(総督による非洗礼者→奴隷化の脅し)からであることを問題視し、イエズス会の先住民布教を脅かした。
「聖戦」で沸き立つ植民地の世論に押されてイエズス会の宣教師までが軍に非改宗民族討伐を進言したり、軍が布教所のカエテー族の改宗者を捕らえて奴隷化したりした。
新世界ではイエズス会と世俗司祭との対立が一般的だったが、他と違ってブラジルではイエズス会士の理想主義が芽吹く余地がなかったように見える。ブラジルには世界遺産に指定されたブラジル・イエズス会のミッション遺跡が一つもない(次章で説明)。
封建領主然とした大土地所有者とイエズス会の布教団の対立をレヴィ=ストロース教授は次のようにまとめている。
「ファゼンデイロと呼ばれる農場主は、自分たちの徴税を妨げ、農奴のようにこき使える労働源を奪いさえしている布教団の世上権を嫉んでいた。彼らは見せしめに討伐を行い、布教団やインディオを四散させた。」
奥地奴隷狩り遠征隊は、その隊旗からバンデイラ(旗の意)あるいは構成員に重点を置いてバンデイランテスと呼ばれた。サンパウロの有力なファゼンデイロの家父長的指導者が組織し、ならず者の自称capitãoが少数のポルトガル人と大勢の先住民(トゥピニキン族)及びマメルーコ(mameluco 先住民とポルトガル人の混血)で構成した隊を指揮した。
彼らに特有の話し言葉を Lingua Geral paulista(パウリスタ=サンパウロ出身者)という。トゥピ語中心の共通語である。トゥピ語とグアラニー語は兄弟ほどに共通点が多い。トゥピ=グアラニー語族という大きな分類で語られる所以である。
元々一つの民族でアマゾン川支流沿いと北部海沿いに南行して両語族に分かれたと考えることができる。
グアラニー語族は中部高原のいくつもあるパラナ川支流伝いに下って現パラグアイ・アルゼンチン・ブラジルの広大な草原地帯(乾燥地帯と湿地帯)を生活圏としていた。
パラナ川とイグアス川の落合 三国国境 左上PY,右上BR,手前AR
そこでは、スペイン人・イエズス会が布教所を構えて、堕落した旧教の刷新を実践しながら、ルネサンス後に芽生えた西欧のユートピア思想の影響を受けて先住民の平等社会を実現していた。最盛期にはスペイン人集落よりも豊かで、侵略したバンデイランテスがそこにあるはずの金塊、金鉱を無駄に探し回ったと言い伝えられている。
バンデイランテスは、現サンパウロの海岸山脈を水源とするチエテ川をカヌー船団で一千キロ以上蛇行して南米第二の大河パラナ川に至ったと考える。出発地は都心から百キロ以上離れたオウムが岸壁のミネラルを求めて集う岸辺である。クイアバー(現マトグロッソ州都)で金が発見されると、その船着き場は黄金の陸揚げ港として栄え、「天国の出入口」ポルト・フェリスと名付けられた。グアラニー人にとっては「生き地獄の窯の蓋」ポルト・インフェルノだったと想像する。