赤玉ポートワイン、サントリーの角、次いでダルマに親しんだ世代として、また北摂
連山に曲想を得て創られた戦後歌謡「青い山脈」、山紫水明の天王山麓、山崎蒸
留所を近くに見て生活するわたしは時間が合えば朝ドラ・マッサンを興味深く観て
いる。
キャプテン翼のロゴ入りグッズが爆発的に売れ始めた頃、わたしは主宰する高槻
フットボールクラブの資金稼ぎにキャプテン翼のキャップを創った。
大量に売れると信じて郵便局で通販用BOXを数千個買った。箱代100円/1個
デパートに卸すことを計画して学部OBの鳥井さんに面識がないのに手紙を書いた。
ほかにも下手な手紙をほとんどのデパートに出したが、扱いましょう、という返事を
くれたのは阪急の鳥井社長(?)だけだった。
阪急百貨店が扱ってくれると高島屋も大丸も阪神もそごうも松坂屋も阪神地区の
名だたる百貨店が品物を置いてくれた。
帽子の卸屋をはじめ関係商人はだれもが裏事情を知りたがった。
商品を直接卸すためには百貨店に口座なるものを開かないといけないが信用皆無
の若造がどんなバックアップでそれを手に入れたかは相当な関心事らしかった。
売り場を訪問し、品切れが近づくと搬入口で並んで検品を受けなければならない。
骨折り損のくたびれもうけ、あまり売れなかった。売り上げ300万円未満
また、ネットショッピングのない時代、通販は取らぬ狸の皮算用に終わった。
商社伊藤萬に前払いしたロイヤルティが72万円、帽子製造代を差し引くと儲けは
ゼロ!
ただ自分に商才がないことを学んだ授業料がタダで済んだのはハッピーだった。
サントリーには後日談がある。
当初からわたしはサントリーの名称を創業者(名言「やってみなはれ」 朝ドラでは
鴨居姓)の3子息にちなんだ3鳥井に由来すると思い込んでいた。
このたび正解は赤玉→太陽→サン→+鳥井トリーだったことがわかった。
創業者の三男が、どこの馬の骨とも分からぬわたしにトライさせてくれた道夫氏
(サントリー名誉会長、故人)である。
二つ目。わたしはかねがね戦中戦後の食糧難の時代にサントリーがどうして大麦で
角瓶やオールドを製造でき熟成したか疑問に感じていた。
当時学生にとって貴重だった角瓶は戦時中に熟成したものだった。
両銘柄の販売こそできなかったがその間海軍ご用達で軍用ウイスキーを造っていた
のだった。
安全な場所でウイスキーを賞味する軍エリート、戦地で泥水を飲み戦病死する兵士、
この命の格差に唖然とする。
三つ目。東日本大震災の折、南相馬市原の避難所で年寄りがお茶がないため弁当
を呑み込みにくいということがあった。
取次ぎに電話するとすぐ業務用袋入り粉末2,000スティックをその避難所に送って
くれた。
値段不定のため後日請求書が送られて来る事になった。
いまだに来ない。
大震災の時は皆が同じ気持ちだったのでことさら取り上げることでもないが、それ以
来伊右衛門の名に愛着を覚えるようになった。