自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

大腸癌術後15カ月

2023-11-30 | 大腸癌闘病記

11月21日に大腸の内視鏡検査を受けた。
昨年8月の腹腔鏡下大腸癌手術後は、3カ月ごとに定期検診を受けてきた。この間体調に異常は感じられなかった。先日の検診の際、最近へその右横にゆで卵の鈍端部のような膨らみが出来て押さえると柔らかいことをDr.(消化器外科医)に告げた。Dr.はちょっと見ただけで、大腸の内視鏡検査をしましょうと言った。
理由も聞かず承諾した。「患部」が横行結腸と小腸の吻合部あたりだと思ったからである。大と小の管を縫合するイメージが今一つ私には浮かばず心配だった*。
*切り口と切り口を縫合すると早合点していた。横行結腸の切断部を閉じて結腸に回腸(小腸の最下端部)を横付けするのが正しいイメージ。
検査中モニター画像を見ることができた。ポリープを二つ切除した。検体の精査結果は3か月後の定期検診時に知らされる。多分悪性ではないだろう。
検査後、吻合に異常はないとの説明があった。狭窄がないということだろうか。訊くのを忘れた。
「ゆで卵の鈍端部」のようなものは何ですかと訊いた。ヘルニアと一言。どうして出来たか訊くのを忘れた。老化でとっさの判断ができてない。
ネットでしらべて、一般に狭窄で狭くなれば便の流れが滞り腸の一部が膨れることを知った。手術前腸閉塞で苦しみ強く力んだことがヘルニアの原因なのか、分からない。
吻合部付近のヘルニアは問題ないが左下腹部にもう一つヘルニアがある、そこが痛むと即来診するように、と言われた。心当たりがある。前立腺肥大で尿閉になったとき力み過ぎてそのあたりが痛かった。2回の手術で尿の流れがよくなってその症状を忘れていた。

大腸癌は早期には自覚症状に乏しく、性別に関係なくかかる癌の中で罹患数が一番多く、死亡者数も女性1位、男性2位である。ステージⅠ、Ⅱ[私]、Ⅲ、Ⅳの5年netto生存率はそれぞれ92%、85%、75%、18%。毎年内視鏡検査を受けたいものだ。
私は、いくつかの慢性持病で長期にわたって内蔵の定期検査を受けていたが大腸検査だけが対象外だった。今回対象となったお陰で新たなポリープとヘルニアが見つかった。
さらに喜ばしいことに、検索を続けていて、小腸が対象外であることを発見した。上腹部検査でも下腹部検査でも小腸の深部には内視鏡が届かない。小腸癌は希少がんであるが、小腸検査にはカプセルカメラという新技術があることを肝に銘じておこう。

最後に、最新の大腸内視鏡は胃カメラとは比べようもなく苦痛がない。検査のために、私は鎮静剤を使用しないし、自転車で往復する。羞恥心を和らげる使い捨てトランクスも検査室に用意されている。40歳を過ぎたら惑わず大腸内視鏡検査を受けるべし。


大腸癌の兆候/下腹部膨満感/見落とした原因

2022-10-14 | 大腸癌闘病記

大腸癌は私にとってもっとも罹患が考えられない病気だった。ここ10数年、腹痛はもとより下痢、嘔吐、便秘と縁がなかった。105歳間近まで長生きした母も胃腸が強かった。私は腸に関しては自信過剰に陥っていた。
さらに舌癌と冠動脈の手術アフターケアとして24年と17年の長期にわたって行われた定期健診で、私の体は、脳、血管、食道、胃、心臓、肺臓、肝臓、腎臓、膵臓、胆道、十二指腸(小腸の主部)、前立腺(これだけは医師に特別に頼んで血液検査項目にPSAを入れてもらった)まで、データと映像による管理がなされていた。お陰で今日まで健康を維持できた。
これらは上腹部検査である。大腸は対象外である。
2,3年前から下腹部膨満感と倦怠感があった。猫の額ほどの庭で午前中1,2時間しゃがんで土いじりをするとお腹の圧迫で体がだるくなって動く意欲も昼食を食べる意欲も落ちた。
定期健診の内科医に相談したが消化剤を処方薬されただけだった。循環器の内科医には心不全のせいではないかと懸念を告げたが検査の結果心血に異常はないと言われた。
私は前立腺手術と関係があるかもと考えて泌尿器科のDr.にも検査してもらったが関連を否定された。
そのころ大腸で腺腫癌が進行していたと考えられるが、私もだが、どのDr.も腸閉塞、大腸癌の疑いに想像が及ばなかった。百慮の一失、残念でたまらない。
総合診療医(ドクターG)のクリニックの必要性を強く感じる。総合病院には総合内科があるが、しかるべき専門医への患者振り分けが主で、みずから病名を突き止める役割は担っていないように感じる。
今年になってなぜかお腹の膨満感が消えた。そして、既述のとおり、コロナ自粛で最もストレスが溜まっていた4月末ごろから、朝食を食べ始めると2,3秒間へその周りを中心に痛みを感じるようなった。5月の中頃、北摂総合病院で受診すると、画像検査で大腸が荒れているようだから[もっと強く言ってもらっていたら、と残念に思う]と、内視鏡検査を強く勧められた。
1か月後の内視鏡検査の結果は、腸閉塞を伴う上行結腸癌だった。至急大腸の上行結腸を切除しないと、その間に腸閉塞で緊急入院となると、W治療になり、治療の困難が増す、と警告された。
手術の結果は既述のとおりで、膨満感が始まったころより身軽で元気になった。

検索してもほとんどヒットしないが、大腸癌の症状に下腹部膨満感→倦怠感(私の場合は最初それしかなかった)があることを知ってもらいたい。
下腹部に膨満感を感じたら、ほかに症状がなくても、腸閉塞か大腸癌を疑おう!


大腸癌手術/日録

2022-09-14 | 大腸癌闘病記

2022.8.1~

8.1(月)入院。臍ゴマとり
8.2(火) 低残渣流動食。下剤。シャワー後から点滴。零時から絶食     
8.3(水)8時浣腸。着替えて10時手術室へ。麻酔用マスクを装着すると同時に昏睡。5時間後「目覚めましたか」で覚醒。「生きていた」と実感。ICUで一晩過ごす。お腹に石ころが詰まっていて重たい感じ。眠れないのが苦痛
8.4(木)ICUでは「管と線に繋がれて」寝たきりだ。呼吸、心臓、排尿が管理されている。点滴で栄養、水分、薬剤を入れている。麻酔が残っているのか、体を動かすとお腹に響く感じで痛いほどではない。
午後個室に移った。そのころから、響く感じが持続的な痛みに代わった。寝相を変えることもできない。
困るのは痰が溜まって来て咳が出そうなときである。咳をしようにも脳が痛みの触発を先取りして咳にブレーキをかける。こういう時は自然に咳が出るまで待てばよい。軽い咳でまとまった痰がとれることがわかった。
自前で呼吸できるようになって3時からリハビリがあった。抱きかかえて起こしてくれた。マッサージのあと支えられて240歩いた。大腿四頭筋のフレイルを抑える方法を教えてもらった。
痛みが響きにもどった。
8.5(金)睡眠薬が利いてよく眠れた。呼吸、心臓、排尿の管、線がとれて身軽になった。残るのは点滴と排血(ドレーン)の管である。
8.6(土)眠れないので早朝6時の点灯が待ち遠しい。体調はよいが昨日からときどき幻視が現れた。術後せん妄の現れであることは後日知った。
目をつむると暗闇の中に色つきの画像が大写しになる。新聞のTV番組欄、見知らぬ風景等。5年前の日付を読めたドキュメントには考えさせられる。脳内にはふつう呼び出せない無数の画像が保存されているのだろうか。
8.7(日)初めての食事。低残渣流動食3分粥300mlとみそスープ
歩行器に支えられて毎日2400歩リハビリしている。
体重77キロ、入院前より1キロ増、きわめて異常だ。
両眼の瞼が腫れ目の奥がいたい。体重増は明らかなデータの異変だから何らかの処置をしてほしかった。
8.8(月)夜中に便がドバッと出た。小のほうもひんぱんに出るようになった。これまでの点滴が体に回ってむくみをおこしていたと考えられる。腹腔内出血排出チューブと点滴チューブがとれた。看護師に「お疲れ様」といわれて一瞬何のことかわからなかった。
8.9(火)体重74キロ台。低残渣流動食5分粥300ml
身軽になったが歩くとキズが痛い。
8.10(水)昼食から全粥になった。便もガスも出ない。
夕食も全粥。直後から吻合部あたりが痛みだした。
寝ていてもずっと痛い。どんな姿勢でも痛い。
7:30にガスが出た。7:50に看護師が来て「痛み止めあげましょうか」
8:20ガスが出た。息が詰まりそう。深呼吸できない。足の方から寒気がしてきて悪寒で体が震える。看護師が二人来て、血圧、酸素、体温を測定した。「ちょっと先生に言うわね」
8:45大量に便とガスが出る。直後先生(多分救急医)が来て血圧を測りレントゲンを撮った。
痛みがましになった。睡眠薬を服用したが朝まで一睡もできなかった。
8.11(木=祝)入院中最大のピンチに悪戦苦闘して今朝は疲労困憊、何かをする意欲を喪失した。
回診に来た主治医は夕べのデータしか見ていなかった。もともと容体の経過(トラブル)は共有されていないとしか思われない。交替した看護師に「夕べわたしにどんなトラブルがありましたか」とそれとなく訊いてみた。「何もなかったよ」
万一のことがあったら家族にどう説明するのだろうか。
看護師の名誉のために一言付け加える。夜間は看護師3人とヘルパー1人で病棟20室を看ている。
8.12(金)退院
   全長32㎝

妻に聞いたが大腸の3分の1を切り取ったそうだ。体重3キロ減の73キロ台。
久しぶりの我が家だがわたしへのコロナ感染を警戒して孫たちは来なかった。
心労と過労で妻の精神状態が少しおかしい。あすから私は病人をやめる。朝昼晩の水やり・3000歩ウオーキング・ブログ執筆のルーティンを実行する。
8.13(土)娘の家族、息子たちの家族がお盆の旅行に出かけ私が朝昼夕の水やりをこなしたため、妻は元気を回復した。
8.14(日)やることはやったが体がだるい。睡眠不足のせい。
8.15(月)鈍痛で気が晴れない。食事制限がストレスになっている。
8.16(火)まるでお腹に鉛を入れているかのように重く痛い。
8.17(水)昨日に同じ、進歩なし。体重71キロ台
8.18(木)外科通院。検体の顕微鏡検査の結果が主治医から詳しく説明された。
①リンパ節転移なし。
②「上行結腸の腫瘍は腫瘍底が広く、比較的小型の腺腔を示す腺癌で、潰瘍中心部で筋層を越え、脂肪組織まで湿潤しています」
癌細胞の広がりが大きいから血液を通して癌細胞が結腸外に漏れている可能性がある。ステージⅡA、ハイリスクの診断。
癌再発予防のため 二択の選択肢が主治医から示された。外科で定期検査を受けて様子を見る。内科で抗がん剤治療を受ける。
一難去って又一難。
8.19(金)疲労感で一度椅子にもたれると起きるのが億劫で2時間ほどムダに過ごしてしまう。体重71キロ台も心配だ。元気づけに妻の反対を押し切って赤肉を一切れ食べた。
8.20(土)受診。癌化学療法専門医の説明を受けた。ステージⅡA.  切り取った組織内の血管、リンパ管に癌細胞が入っている。他臓器での再発率30%.  安全率70%.  5年過ぎれば再発なし。
術後化学療法の副作用はかならずある。患者が身内なら勧めない。なんと力強い言葉だろう。決心が固まった。
8.21(日)普通の便通になって来た。大腸の働きが良くなってきた証だろう。最近よく眠れる。
8.22(月)循環器内科。これからお世話になる先生。気軽に話せそうだ。味覚のうちウマミが衰えて何を食べても美味しくない。
8.23(火)リクライニングチェアから立ち上がるのが億劫。案の定ウオーキング途中で息切れし、ふらつく心配も出て来た。退院後初の経験。目標歩数未達成、2000歩止まり。
8.24(水)体調回復。足取りも軽く3000歩達成。なぜか夜は尿が出にくい。これが最近の一番の気がかりである。 
8.25(木)消化器外科診断。転移の有無を5年間定期観察することになった。気がかりの排尿難、術後に始まった左脚神経症について、それぞれ泌尿器科、整形外科に渡りをつけてもらった。主治医が9月いっぱいで大学に戻ると聞いて夫婦で落胆した。
8.27(土)
泌尿器科受診:前立腺肥大はなし。排尿改善の常用薬を処方された。心配のタネ=腫瘍マーカーPSA値24。「生検をしましょうか?」3カ月後のPSA値を見て悪ければ生検を受けるほかあるまい。
整形外科受診:レントゲンの結果脊柱管異常なし。神経痛の原因が腰部にある? 次回MRIで検査する。
8.31(水)腸の働きは快調。昨夕「快気内祝い」をした。対象は内で夕食を食べて帰る孫娘3人。御馳走はビフテキ。私ら夫婦は翌日鰻丼で回復を喜び合った。病院の皆さんに感謝を伝える手段がないのが心残りだ。
9.5(月)整形外科MRI検査
910(土)整形外科診断。腰部に異常なし。下肢の神経痛は血流のせいでは、と言われた。
9.12(水)消化器外科診断。丁寧な説明と質疑応答があった。主治医は9月いっぱいで出身大学病院に転勤になる。さらなる活躍を祈る。私の癌治療に関わった延べ数百人の方々に深く感謝している。