自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

傷痍軍人/白衣の天使

2013-05-16 | 体験>知識

これまで戦争の傷跡を折に触れ見てきたが、生身の人間が傷ついた姿を回想し記述したことはなかった。

戦争で手や脚を失ったひと、視力をなくした人が人通りの多い駅前や交差点、縁日の場で施しを求めていた。
みな無言で頭を下げていた。
数人でアコーディオンやギター等の楽器で物悲しい曲を奏でる集団もいた。
集団は違ってもいつも同じ曲だったが曲名を思い出せない。
亡くなった人は地獄のあと昇天したが傷痍軍人は皆一様に白衣をまとって一生生き地獄を生きるほかなかった。
彼らの献身、犠牲は無駄ではなかった。
おかげで農地改革、財閥軍閥解体それに平和憲法が「押し付けられ」経済発展と男女同権と人権の拡張がもたらされた。
勿論家族の支えで幸せな日常を送った人もいた。
同学年のYさんは脚が不自由なお父上の文字通り杖になっていた。
お父さんを支えて散歩している姿以外の彼女を回想するのは困難だ。
実際は清楚で優しい、控えめで見目麗しい女の子だったが周りは彼女を聖女のように尊敬していたので浮いた話は皆無だった。 
20年ほど前彼女が突然尋ねて来た。
娘さんが結婚して吹田に住んでおりお孫さんが生まれたので来阪したついでに立ち寄ったとのことだった。
小柄小顔で体型の変わらぬ、老境に差し掛かってなお品の良い彼女が目の前にいた。
連れ添いも彼女に似つかわしい人と聞いてさもありなんと納得した。
喫茶店で昔話が弾んだ2時間は40年の時間の経過を忘れさせる夢のような時空だった。
ことばを交わした記憶もない尊敬する人と思いがけなく出会えるのも、故郷あっての賜物だ。
そのありがたい故郷をわたしは永らく疎遠にしている。

 



 

 


性教育

2013-05-01 | 体験>知識

それは入学間もない頃唐突にやって来た。
ある日1年生全員が男女別々の教室に集められた。
目的もテーマも告げられないまま若い男の担任がいきなり切り出した。
君たち、センベンコスルを知っているか。
わたしは知らなかったが千擦りなら聞いたことがあった。
文字通りマスタベーションの方言である。
こんな話決まりが悪く教室では教師だけでなく生徒も素面ではしにくい。
応答があるはずもなく、担任がぼそぼと続けた。
アタマが悪くなる。
学業に差し支える。
女子に初潮を教えるなら男子には夢精を教えて「ほしかった」。
わたしは14歳だったがまだ夢精を経験していなかったし、それがある事も知らなかった。
こんな性教育にどれほどの意味があるのか。
さりとて性教育は必要だが、やり方がわからない。
やはりタブーにかかわるテーマだから真実を伝えにくい。
後年英数塾を始めて最初の年、5,6年生に真面目に性交の話をした。
あとで塾生の一人が「先生ありがとう」と感激した面持ちで言いに来た。
かれは成人して教師になった。
どんな性教育をしたか聞きたいものだ。
性に対する社会的制約が緩んだ今日ではコンドーム、避妊、性病、妊娠と子育て、親になる教育を話題にしなければならないだろう。
こういうテーマを語り合えるオープンな人間関係が教室でも家庭でも望ましいが実際は難しい。