自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

母語をもつ幸せ/言葉で迷子「デカセギ」日系の子

2010-03-23 | 家族>社会>国家

朝日朝刊の一面トップ記事に吸い付けられた。
「不況 母国語も不安」
日本語も母国語も「いずれも満足に話したり読み書きしたりできない〈ダブルリミテッド〉の子の問題が、各地で浮上している」
日本語を指導したことのある教諭の話「母語の土台がないと考える力が育たず,どっちの言語も中途半端になるのではないか」
国は便利な労働力として日系人を消費しただけで再生産(教育投資)を怠った。
資本主義の原理に反するではないか、とマルクス*なら言うだろう。
日本社会から孤立し、夢破れてブラジルに帰国してからも言葉で不自由する子どもたち。

わたしの場合とどこがどう違うのか、といえば、わたしは一人っ子だったが家で自然に母語(日本語)が身に付いた。
デカセギの子は、家族が不規則な勤務ですれちがいが普通であるために、十分母語(ブラジル語)での対話環境をもてなかった。
わたしの父親は、過酷な農作業に従事したが、日の出とともに現場に歩いて行き日暮れてから大抵焚き木を背負って帰ってきた。
母親は、弁当を作って私を連れて遅れて現場に行き仕事をして家事をするために早めに家に帰った。
母語対話の環境が昼の畑でも夜の家庭でも十分にあった。
わたしが通うべき学校は10kmぐらい離れた街の中にあった。
学校に行かなかったがそのせいで周囲から孤立することはなかった。
私のルーツ(日本は敵国だった)ゆえに差別されることもなかった。

日系「出稼ぎ」は職場、地域で軽視され学校で孤立することが少なくない。
日系人専門のハローワーク職員の言葉「日系人は用意された〈ガラスのコップ〉の中で暮らしてきたようなもの。日本人とはガラス越しにお互いの存在を認識しつつ,交わることがなかった」
少年院に送られる割合も高い。
皮肉なのは、少年院のなかに設けられた「国際科」で日本語を学び日本文化にふれる子も相当いることだ。
(小林裕幸署名記事から)

とにかく非人間的な労働環境を正常化しない限り日本人も「出稼ぎ」も幸福になれない。
日本が幸福後進国であることを日々のニュースで思い知らされている。

*マルクスの名言  賃金が労働力の再生産費**より低いと資本主義は成り立たない。
**  出産から教育、介護を含む家族の生活費。