自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

音楽/名曲鑑賞/シモネタ

2013-03-22 | 体験>知識

戦後だというのに当時の教育には教員数でも指導要領でも余裕があった。
音楽担当は中年のN先生と学校を出たばかりの若い女先生だった。
N先生は世界の名作曲家のグラビア写真を壁の上部に肖像画のように張り巡らした音楽室に浸りきりという感じで、可愛がっていた女の子たちに囲まれていたので、しばしばわれわれ男子の有らぬ妄想をかきたてた。
先生が担任する一年1組にかわいい女の子が多かった気がする。
大作曲家の数だけレコードの名曲をそろえていたので音楽の時間は決まって名曲鑑賞から始まった。
みながが長時間さわがずに傾聴したのは時代のせいなのか先生の解説の魅力のせいなのか、多分両方だろう。
わたしは音符を含めて何も素養がなかったので聴いた曲名を覚えることすらできなかった。
もっとも感銘を受けたのはグリーグ作曲「ペールギュント」組曲だった。
物語性があれば覚えることができた。
いまでも「ソルヴェイグの歌」をリクエストしたい。
先生はユーモアのある軟派で合間に入れる従軍体験談にも人気があった。
「別れの曲」の斉唱を「HANA深きこの庭・・・」をスペイン語風にHを発音せず
「ANA深きこの庭  草萌ゆるかの丘よ」
と始めたときには、男の子も女の子もひとしく爆笑した。
われわれの仲間には共通の猥雑文化があったから、先生の替え歌の意味を瞬時に汲み取ることができたのだ。


中学入学/読書の効用

2013-03-18 | 体験>知識

中学校は体育館と運動場で小学校とつながっていたので小学校の卒業式が行われたのと同じ場所で入学式が行われた。
筑後川沿いの大橋小学校から卒業生が合流したので講堂が狭く感じられた。
3クラス編成になった。
小学校では一人の担任がほぼ全教科を受け持っていたので多様な個性と出会うことがなかったが中学校では教科ごとに先生が変わったので教員数だけ思い出が多い。
勉強の仕方もこのころ教わった。
だれからともなく復習より予習が大事だと教わり、一学期に主要教科の教科書を読了した。
国語の女先生は教え方は普通だったがしばしば教科に関連する読書と著者に言及してくれた。
いまはどうか知らないが当時の教科書は有名作家のオンパレードだったような気がする。
そして章末に作家の代表作名が載っていた。
生来の読書の虫が騒がないはずがない。
そのときから大学を卒業するまでに当時目にしたり耳にしたりした教養本を相当多く読んだ。
本は知識と喜びだけでなく誰にも負けないという自信を与えてくれた。
想像してみてください。
中3か高一で、大長編トルストイの「戦争と平和」、ホメーロスの「イリヤス」、ボッカッチョの「デカメロン」を読了していたことを。
単に本に飢えていてTVもなくほかにすることがなかったから、とも言える。
そのころ父に「枕草子」を買って欲しいと言ったら「まだ早い」と一蹴された。
たしかに「枕草紙」は未成年には早かった。