自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

戦争法/大正デモクラシーVS軍国主義/第一次世界大戦

2015-12-04 | 歴史認識

歴史はらせん状に繰り返す。
戦争法に向き合う現状と類似するのは大正デモクラシーである。
トピックの年表でキーワードを並べ、コメントを差し挟みつつ、今日との類似と相
違、比較を考えて数回見ていただく。
1914.6  世界の火薬庫といわれたバルカン半島のサラエヴォでオーストリア=
ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビアの民族主義青年に暗殺される。
これが第1次世界大戦の発端となる。
軍事同盟のからみで世界戦争に拡大。同盟国間戦争の嚆矢。
日本も日英同盟を足掛かりに参戦。
ドイツが権益を保持していた青島、山東半島等に出兵、漁夫の利を得る。
さらにロシア革命に干渉してシベリアに出兵したが連合国が撤兵した後も居残り
泥沼戦争にはまる。
振り返れば植民地、経済圏を拡大する列強を意識して明治国家は富国強兵に邁進
しながら日清戦争で台湾を、日露戦争で関東州と満鉄、朝鮮半島を支配下に入れ
ていた。
そして大戦中に対華21カ条要求で山東省のドイツ権益を一時継承した。
やがて南洋諸島も獲得し国際連盟に加わり日本は列強の仲間入りをする。
軍国主義を推進しつつも大陸侵略には消極的だった維新の元勲たちがフェイド
アウトし、維新を体験していない軍人、政治家、官僚が政略の実権を掌握したと
ころが今日の状況に相似している。
一方民権サイドでは1916年吉野作造が民本主義を唱道し民主主義のあらたな
風を巻き起こした。
天皇主権の憲法のもとで政権の意義を問い、政権は人民の為にあり、その政策は
民意に基づくべきだ、とした。そのためには普通選挙、言論の自由、政党内閣制が
必要と考えた。
1917年、ロシアで10月革命により労農政権が誕生し、国際政治波乱の震源地
になったばかりでなく各国の民衆運動とインテリの思想思潮を活性化させ共産主義
運動という大きな流れをつくった。
世界戦争という未曽有の惨禍は列強間の国際協調路線と軍縮傾斜となって日本軍国
主義をやや後景に後退させた。
戦禍を被らず産業を発展させたアメリカがイギリスに代わって世界政治経済の盟主
になったことも束の間の平和に貢献した。
やがて世界は、民主主義と軍国主義のせめぎあいから、世界恐慌を経て、全体主義
が蔓延し第2次世界大戦にいたる。
その間国内でも戦争につながる事件が相次いで起こる。
だが民衆は一抹の不安をいだきながらも日々の生活か享楽に明け暮れる。
民衆の上に立つ国権は揺らぐことのない国家意志を堅持している。
武力信仰である。
今と同じであることをこれからつづっていく。      

1917.11  ロシア10月革命
日本は大戦景気で経済活況、重化学工業化が進み債務国から債権国へ。武器輸入
国から輸出国へ。
賃金上昇が物価上昇に追い付かず賃上げ要求ストライキ目立つ。三菱長崎造船所
1万2千人スト。
新流行語「成金」と「今日は帝劇 明日は三越」
新中間層「月給取り」の増大とモダンな都市文化、ライフスタイルの流行。
新流行語「じり貧」「暴利取締令」 ボッタクリの語源。
近代化が新たな格差を生み、好景気の元で日雇い「細民」階級の貧困が社会問題
となり、河上肇「貧乏物語」がベストセラーとなった。
 
1918年夏  富山の女陸仲仕、漁師の女房から始まる米騒動
全国の参加者数百万、軍隊出動10万人以上で鎮圧。今の甲子園大会中止。
検事処分8千余の1割は被差別民(死刑2人含む) 暴動は西日本の炭坑にも
拡がり、宇部
興産沖の山炭坑では出動した軍隊にダイナマイトで対抗、14名が
銃弾に斃れた。

組合結成とストライキの自由がない頃の労働争議、社会騒擾である。
このあと組織的な種々の運動が顔を出す。
インテリ、学生、女性の社会運動にフォーカスしたい。