十分ではなかったが受験校が入試に関係ない授業を組んでくれていたことに感謝している。
わたしは多くの趣味に手を染めたがほとんど中途半端か尻切れトンボで終わった。
美術鑑賞だけは今も続いている。
明善高校から講師として来ていた山村先生のお陰だ。
先生が筑後水彩画の草分けだったことは最近知った。
先生に水面の描き方を習い、美術の時間に学友と二人で高良山麓の池に写生に行った。
初めて水の透明感と揺らぎ、水面に映る樹木の緑の濃淡、明暗を描いた。
春の陽気を受けて輝く楠の大木の黄緑の若葉がまぶしかった。
弁当持参でピクニック気分だった。
教室に帰って大きな画用紙に描いた絵を提出すると先生は二人の絵を黒板に張り、たいそう褒められた。
ただ一度の成功体験で美術鑑賞が好きになりその後の人生がその分豊かになった。
先生の授業でずっと気になっていた場面と内容があった。
さも現場に居合わせたかのように大声で「一樂帖が見付かったぞ!」と叫びながら手足を大袈裟に振り上げて教壇狭しと喜びを爆発させて踊った。
「一樂帖」は幕末豊後竹田の文人画家田能村竹田が描いて京都の頼山陽に跋文を依頼した画帖であることを最近知った。
子供のように欲しがる頼山陽に田能村竹田は一樂帖を贈った。
ところが山陽は国へ帰る竹田を大阪まで送った帰途、淀川上りの船中でそれを紛失した。
頼山陽のあわてぶりが目に見えるようだが、結局彼がそのとき見つけたのだろうか。
そうであれば頼山陽もまた小躍りして叫んだにちがいない。
「一楽帖が見付かったぞ!」
一樂帖は現在奈良の名勝依水園内寧楽美術館に所蔵されている。
田能村竹田「富士山」