1952年3月のある朝、わたしは教室の掲示板に書いた。
ソ連の偉大な政治家スターリン死去!
共産党系で組合活動にも熱心だった担任は興奮気味につぶやいた。
「こういう捉え方ができる君はすごい」
これにはわたしが驚いた。
わたしは新聞、ラジオが大きく取り上げて騒いでいるから単純に「偉大」と表現しただけで思想的背景は何もなかった。
いやそれどころか先生の期待から程遠い白に近かっただろう。
父母の日常会話の影響が濃厚だった。
田舎ではメディアや世間の空気を吸うかぎり赤ではなく白に染まるほかなかった。
ちなみに校内演説会の一弁士にいやいや選ばれたときの演題は「日ソ不可侵条約を破棄して対日参戦に踏み切ったソ連の裏切りを弾劾する」だった。北方4島はこのとき占領された。
新聞、ラジオのまったくの受け売りだったが教師からも誰からもコメントがなかった。
近年日教組が諸悪の根源のように言われ、タメにする鷹派の攻撃目標になっているが、わたしに関するかぎり日教組の影響力は皆無だった。
学校の授業内容が文部省検定の教科書からはみ出すことはなかった。
先生が組合の会議に出るために授業を自習の時間にするのが嬉しかった。