確かではないが1947年9歳頃のオラリアでの体験。
大雨の中を引越しして着いた先のオラリアの第一印象は洪水だった。
沼沢地は大水で大きな池になっていた。従業員たちが下着姿で泳いでいた。
空気がたまってパンツやシャツが浮き袋のように膨らんでいた。
この地で初めて釣りと水泳を体験した。
手製の竿と糸に釣り針をつけてみみずでよくナマズを釣った。
釣った魚はフライにして家族で食べた。
父と遊んだ数少ない記憶のひとつがここでの釣りである。
父は使用者から雇われ人に変じたので暇ができたのだった。
最初の水泳は手荒なふざけで始まった。
川辺で仲間と水遊びしているときどこかのお兄さんがいきなり私を頭より高く持ち上げて1mぐらい崖下の小川に放り込んだ。
溺れるような川ではないが必死にもがくうちに川が怖くなくなった。
アランコーンとよんでいた変な泳ぎをおぼえた。
頭は水面下に沈めない、手は水面に出さない、手足の連動が「バタフライ」様の泳ぎ方を想像してもらいたい。
わたしがなめらかに水上を滑るようにクロールできるようになったのは大学に入ってからである。
無断で夜中に大学のプールでひとり練習した。
顔を上げると上げた分だけ反動で体が水中に沈む。
顔を上げない息継ぎを心がけると距離が一挙にのびた。
塩素消毒の水で目がしびれてくるので1500mが限界だった。
大学卒業後よく塾の中学生と嵐山の急流保津川で泳いだ。
川に流されたときはあわてず、そのまま流されるとどこかに流れ着いて助かることがわかった。
岩がゴツゴツしている浅い急流では腹と頭を護るために足を先頭に背中を水につけて流されると良いことを知った。
泳ぎができるのに溺れる人が多い。流されまいと必死になって体力を使い尽くして溺れてしまう。
そのご若狭の海水浴場で塾生とキャンプしたとき引き潮にあらがって引率の同僚が溺れそうになった。離岸流と言えるほどの大きな流れだった。
海のエネルギーには勝てない。沖まで漂流しているうちに助けが来るか近くの浜に逆流するのを待つ*。
*2014年夏、29歳の男性が伊東市から下田市まで40km21時間漂流して奇跡の生還を果たした。彼は仰向けに大の字になって流れに身を任せた。uitemateは水難学会の用語になっているらしい。
最後に古泳法の師範に教えてもらった救助法を紹介しよう。さいわい実践したことはないが。
溺れかけている者は必死にしがみついてくるので救助者も危ない。
突き放して背後から抱きついて動きを止めよ。
それができないほど暴れる場合は沈めて少し水を飲ませよ。
何事もほどほどが良いようで・・・そのほどほどを知るには体験しかない。