自分史 物怖じしない国際人を育てるヒント集

近現代史に触れつつ自分の生涯を追体験的に語ることによって環境、体験、教育がいかに一個人の自己形成に影響したか跡付ける。

大腸癌手術/標準治療と働き方改革

2022-09-28 | 大腸癌闘病記

PCがno signalと出てまったく利用できない日が続いた。日々の日課の一つがこなせずイライラが溜まった。
ねじ回し一本でケースの蓋を開けて見ると10年分の埃がたまっていた。ブラシとエアダスターで掃除するとPCが蘇ったばかりか表示が速くなった。機器無智の私にしては上出来だ。

大腸癌手術を無事「卒業」できたので今回は体験した医療と看護について綴ってみたい。一患者のささやかな体験にもとづく感想なので、当該病院や医療体制の評価を意図するものでないことをあらかじめことわっておく。
入院直後、主任麻酔医から脊髄硬膜外麻酔の使用に同意を求められた。これは術後の経過を楽にするもので天皇も自分も体験している、ほぼ百パーセント安全で皆同意しているので是非署名してほしい、と説得された。
大腸癌手術の標準治療の一環に入っているのに何故特別の同意が必要なのか、頭をかしげるが、そのことはわたしにはどうでもよい。わたしが署名を渋ったのは前立腺肥大手術の際、主治医から普通硬膜外麻酔で手術するが、血液サラサラ薬を服用している高齢者には出血のリスクがあるので全身麻酔で手術する、と言われていたからである。
天皇の名を二度出しても同意しないので「手術時に取り消せるから署名してくれ」とまで言われて、それならばと署名した。
手術当日の朝、看護師に全身麻酔だけにしてくれと申し出ると「それは大変、準備の変更をしなければ・・・」とナースセンターに走った。

「術後、楽になる」の意味を知ったのは私が個室から4人部屋18号室に移った日の晩である。私はナースコールを押すほどの事はなかったが、同室者はしばしば誰かが看護師を呼び、話し声が聞こえた。幸か不幸か難聴のわたしは気にならなかったが、看護師は入れ替わり立ち代わり大変だった。18号室は術後間もない重病患者の部屋であったのでナースコールのライトが頻繁に点滅していた。
聞けば夜間は病棟20室を看護師3人+ヘルパー1人で看ていた。すべての部屋が満室だったわけではない。また苦痛を訴える患者は他の部屋ではまれであったように思われる。それでも4人ではナースコールに即応できない。
硬膜外麻酔は苦痛を訴える患者に留置カテーテルを通じて麻酔薬を注入して、患者ひいては看護師を「楽にする」働き方改革の一環だった、と理解できた。

当該病院における働き方改革について消化器外科病棟で感じたことをもう少し付け加えよう。
朝、定時になると出勤してきた大勢の看護師とヘルパーがセンターで各自PCと向き合う。昼食時には一斉にほぼ居なくなる。夕べの定時になるとまばらになる。配膳、配薬担当はこの限りでない。
また、ノートパソコンを載せた台車を押して定時的に各部屋をめぐり計器で患者のデータを収集、記録する看護師も変則勤務である。朝6時から夜10時までの16時間勤務であるようだ。3,4日看護してくれた女性はこのような勤務形態だった。その後姿が見えなくなった。派遣だったのだろうか。病院でも派遣は常態化している。
私見をはさむが、派遣のよいところは勤務形態を多様化できる点である。反面賃金を中抜きされ搾取される。看護師の職務内容はきっちりマニュアル化されているから研修は不要で、研修名目の中抜きはあってはならないと思う。そのあたり実際はどうなっているのだろうか、訊いてみたかった。

各人のやることがタイムラインに沿ってすべてマニュアル化されているから、病棟の仕事は蟻の集団活動のように整然と進行していた。
医師と看護師はおもにPCと向き合っている。それがONである。OFFつまり患者と対面することはまれである。医師と看護師は機器を観て患者の顔、表情を見ない。患部に触ることもほとんどない。要するに患者との心の触れ合いがない。
医療サービスや業務におけるデジタル化は従事者自身の「デジタル化」つまり装置との一体化と表裏一体をなしている。AIが診断を下す日も間近であると思う。
ITとデジタルの進歩が難病の治療に多大の貢献をしていることに異議はない。一患者としてそれを実感した。半面、病いは治るが気が病むという合併症が生じるのではないかという心配が生じた。良きにつけ悪きにつけ心の触れ合いがないから孤独に陥るのである。
私みたいに1,2週間で退院可能なら我慢できるが長期療養者は鬱にならないだろうか。病院には患者の様々な悩みを聴く相談コーナーがあるが、私は体験したことがないので、医療当事者が新生の孤独病を認識しているのかどうか、何も知らない。

 


大腸癌手術/日録

2022-09-14 | 大腸癌闘病記

2022.8.1~

8.1(月)入院。臍ゴマとり
8.2(火) 低残渣流動食。下剤。シャワー後から点滴。零時から絶食     
8.3(水)8時浣腸。着替えて10時手術室へ。麻酔用マスクを装着すると同時に昏睡。5時間後「目覚めましたか」で覚醒。「生きていた」と実感。ICUで一晩過ごす。お腹に石ころが詰まっていて重たい感じ。眠れないのが苦痛
8.4(木)ICUでは「管と線に繋がれて」寝たきりだ。呼吸、心臓、排尿が管理されている。点滴で栄養、水分、薬剤を入れている。麻酔が残っているのか、体を動かすとお腹に響く感じで痛いほどではない。
午後個室に移った。そのころから、響く感じが持続的な痛みに代わった。寝相を変えることもできない。
困るのは痰が溜まって来て咳が出そうなときである。咳をしようにも脳が痛みの触発を先取りして咳にブレーキをかける。こういう時は自然に咳が出るまで待てばよい。軽い咳でまとまった痰がとれることがわかった。
自前で呼吸できるようになって3時からリハビリがあった。抱きかかえて起こしてくれた。マッサージのあと支えられて240歩いた。大腿四頭筋のフレイルを抑える方法を教えてもらった。
痛みが響きにもどった。
8.5(金)睡眠薬が利いてよく眠れた。呼吸、心臓、排尿の管、線がとれて身軽になった。残るのは点滴と排血(ドレーン)の管である。
8.6(土)眠れないので早朝6時の点灯が待ち遠しい。体調はよいが昨日からときどき幻視が現れた。術後せん妄の現れであることは後日知った。
目をつむると暗闇の中に色つきの画像が大写しになる。新聞のTV番組欄、見知らぬ風景等。5年前の日付を読めたドキュメントには考えさせられる。脳内にはふつう呼び出せない無数の画像が保存されているのだろうか。
8.7(日)初めての食事。低残渣流動食3分粥300mlとみそスープ
歩行器に支えられて毎日2400歩リハビリしている。
体重77キロ、入院前より1キロ増、きわめて異常だ。
両眼の瞼が腫れ目の奥がいたい。体重増は明らかなデータの異変だから何らかの処置をしてほしかった。
8.8(月)夜中に便がドバッと出た。小のほうもひんぱんに出るようになった。これまでの点滴が体に回ってむくみをおこしていたと考えられる。腹腔内出血排出チューブと点滴チューブがとれた。看護師に「お疲れ様」といわれて一瞬何のことかわからなかった。
8.9(火)体重74キロ台。低残渣流動食5分粥300ml
身軽になったが歩くとキズが痛い。
8.10(水)昼食から全粥になった。便もガスも出ない。
夕食も全粥。直後から吻合部あたりが痛みだした。
寝ていてもずっと痛い。どんな姿勢でも痛い。
7:30にガスが出た。7:50に看護師が来て「痛み止めあげましょうか」
8:20ガスが出た。息が詰まりそう。深呼吸できない。足の方から寒気がしてきて悪寒で体が震える。看護師が二人来て、血圧、酸素、体温を測定した。「ちょっと先生に言うわね」
8:45大量に便とガスが出る。直後先生(多分救急医)が来て血圧を測りレントゲンを撮った。
痛みがましになった。睡眠薬を服用したが朝まで一睡もできなかった。
8.11(木=祝)入院中最大のピンチに悪戦苦闘して今朝は疲労困憊、何かをする意欲を喪失した。
回診に来た主治医は夕べのデータしか見ていなかった。もともと容体の経過(トラブル)は共有されていないとしか思われない。交替した看護師に「夕べわたしにどんなトラブルがありましたか」とそれとなく訊いてみた。「何もなかったよ」
万一のことがあったら家族にどう説明するのだろうか。
看護師の名誉のために一言付け加える。夜間は看護師3人とヘルパー1人で病棟20室を看ている。
8.12(金)退院
   全長32㎝

妻に聞いたが大腸の3分の1を切り取ったそうだ。体重3キロ減の73キロ台。
久しぶりの我が家だがわたしへのコロナ感染を警戒して孫たちは来なかった。
心労と過労で妻の精神状態が少しおかしい。あすから私は病人をやめる。朝昼晩の水やり・3000歩ウオーキング・ブログ執筆のルーティンを実行する。
8.13(土)娘の家族、息子たちの家族がお盆の旅行に出かけ私が朝昼夕の水やりをこなしたため、妻は元気を回復した。
8.14(日)やることはやったが体がだるい。睡眠不足のせい。
8.15(月)鈍痛で気が晴れない。食事制限がストレスになっている。
8.16(火)まるでお腹に鉛を入れているかのように重く痛い。
8.17(水)昨日に同じ、進歩なし。体重71キロ台
8.18(木)外科通院。検体の顕微鏡検査の結果が主治医から詳しく説明された。
①リンパ節転移なし。
②「上行結腸の腫瘍は腫瘍底が広く、比較的小型の腺腔を示す腺癌で、潰瘍中心部で筋層を越え、脂肪組織まで湿潤しています」
癌細胞の広がりが大きいから血液を通して癌細胞が結腸外に漏れている可能性がある。ステージⅡA、ハイリスクの診断。
癌再発予防のため 二択の選択肢が主治医から示された。外科で定期検査を受けて様子を見る。内科で抗がん剤治療を受ける。
一難去って又一難。
8.19(金)疲労感で一度椅子にもたれると起きるのが億劫で2時間ほどムダに過ごしてしまう。体重71キロ台も心配だ。元気づけに妻の反対を押し切って赤肉を一切れ食べた。
8.20(土)受診。癌化学療法専門医の説明を受けた。ステージⅡA.  切り取った組織内の血管、リンパ管に癌細胞が入っている。他臓器での再発率30%.  安全率70%.  5年過ぎれば再発なし。
術後化学療法の副作用はかならずある。患者が身内なら勧めない。なんと力強い言葉だろう。決心が固まった。
8.21(日)普通の便通になって来た。大腸の働きが良くなってきた証だろう。最近よく眠れる。
8.22(月)循環器内科。これからお世話になる先生。気軽に話せそうだ。味覚のうちウマミが衰えて何を食べても美味しくない。
8.23(火)リクライニングチェアから立ち上がるのが億劫。案の定ウオーキング途中で息切れし、ふらつく心配も出て来た。退院後初の経験。目標歩数未達成、2000歩止まり。
8.24(水)体調回復。足取りも軽く3000歩達成。なぜか夜は尿が出にくい。これが最近の一番の気がかりである。 
8.25(木)消化器外科診断。転移の有無を5年間定期観察することになった。気がかりの排尿難、術後に始まった左脚神経症について、それぞれ泌尿器科、整形外科に渡りをつけてもらった。主治医が9月いっぱいで大学に戻ると聞いて夫婦で落胆した。
8.27(土)
泌尿器科受診:前立腺肥大はなし。排尿改善の常用薬を処方された。心配のタネ=腫瘍マーカーPSA値24。「生検をしましょうか?」3カ月後のPSA値を見て悪ければ生検を受けるほかあるまい。
整形外科受診:レントゲンの結果脊柱管異常なし。神経痛の原因が腰部にある? 次回MRIで検査する。
8.31(水)腸の働きは快調。昨夕「快気内祝い」をした。対象は内で夕食を食べて帰る孫娘3人。御馳走はビフテキ。私ら夫婦は翌日鰻丼で回復を喜び合った。病院の皆さんに感謝を伝える手段がないのが心残りだ。
9.5(月)整形外科MRI検査
910(土)整形外科診断。腰部に異常なし。下肢の神経痛は血流のせいでは、と言われた。
9.12(水)消化器外科診断。丁寧な説明と質疑応答があった。主治医は9月いっぱいで出身大学病院に転勤になる。さらなる活躍を祈る。私の癌治療に関わった延べ数百人の方々に深く感謝している。